3月15日の参院予算委員会で立憲民主党の杉尾秀哉議員が「高市大臣の言ってることは全く信用ができません、貴方の答弁は」という質問に、高市早苗大臣が「総務省の発表された内容でも『高市大臣に放送法解釈変更すると説明したとの認識を示す者はいなかった』と書かれてる。私が信用できないならもう質問しないで下さい」と答えたところ、一部の野党議員らが「国会軽視」と大騒ぎをしてしまいました。
答弁している高市大臣も杉尾議員の発言に困惑しています。
しかし、杉尾議員は話しにならないと言っています。
社会では許されないことが起こるのがいまの国会なのかもしれません。
さらに、塩村さやか議員の質問も混乱に拍車を掛けました。
日本維新の会の足立康史議員も高市大臣に対して「国会軽視」なんていうのはナンセンスだと指摘。
それにしても、「国会軽視」はどっちなんでしょうか。
そして、このまま立憲民主党は審議拒否をするのでしょうか。
しかし、一連のやり取りではすでに勝負はついているという指摘も。
ただし、杉尾議員はメディアの使い方は非常に手練れています。
いくら手練れていても、謝ったメディアの使い方は人びとを不幸にしてしまいますし、実際に不幸にしてきた過去があります。
そのTBSのOBからも“残念”と呟かれています。
「信用できる」とはどういうことなのでしょうか。その場の発言よりも今までの行動をよく見たほうがいいのかもしれません。公人の場合はとくにそうかもしれません。