金融セクターにおける「ESGの兵器化」と米国民の反発

昨今、日本でもあちこちで耳にするようになったESGとは、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の頭文字を取って作られた言葉である。端的にいうならば、二酸化炭素(CO2)排出量の削減や再生可能エネルギーの普及といった環境対策(=E)や、男女平等・LGBTQといった人権対策などの対応(=S)、さらに社外取締役の導入などによる企業統治の透明性・公正性の向上(=G)を通じ、企業をして「より良い」姿に志向させようとする考え方だ。

これだけを聞くと、「ESGの取り組みは至極まっとうだ」と首肯する読者も多いかもしれない。しかし、ESGについて米国内では多くの激しい議論が起きている。なかでも、共和党系の州で急拡大しているのが「反ESG運動」だ。この動きは日本でも「ウォール街襲う『反ESG』の波」の記事などでも少しずつ報じられるようになった。

Douglas Rissing/iStock

筆者は、米国のESGを巡る対立の背景には、世界第二の影響力を誇るとされる米国のヘリテージ財団が2023年3月6日付のメールマガジンで述べた、「左派は、連邦政府、大企業、“woke(意識高い系)”アクティビストの間に脅威とも言える同盟関係を作り上げ、投資資金と連邦規制の重みを利用し、“進歩的な”アジェンダを推進するよう企業に強要している」という状況があることが大きいのではないかと考える。

実際、近年「ESGの観点で適切でないと判断されたために金融機関から一方的に締め出された」という米国の個人や組織からの悲痛な報告が相次いでいる。ESGの観点で不適切と見做される個人や組織の金融商品取引行為そのものが妨害されるということは、まさに、金融セクターで「ESGの兵器化」とも言える状況ができつつあるとも言えるのではないか。

ここでは、「ESGの兵器化」を受けてターゲットとされた個人や組織がどのように金融機関から締め出されたのか、その被害事例として、下記の2例を紹介したい。

事例1:PayPal

 PayPalは世界で金融決済手段を提供する企業であり、インターネットで買い物をする際に利用経験のある読者も多いだろう。そのPayPalで突然、利用が制限される事例が増えている。

同社は2019年に、公民権を守る活動を行うNGO「南部貧困法律センター(Southern Poverty Law Center; SPLC)」がブラックリストに掲載した顧客のアカウントを閉鎖したことを発表、また2021年には、反ユダヤ主義に対抗する米国最大のユダヤ人監視団体「名誉毀損防止同盟」(Anti-Defamation League; ADL)とのパートナーシップを表明した

PayPalはさらに「過激派やヘイト運動を支援する金融パイプラインの解明ならびに破壊」を行っていくことを公表し、これらの団体のブラックリストに掲載された個人や組織へのサービスの制限を行っているという。

これは例えば、ニュースサイトの一部の記事において公民権活動に反する、または反ユダヤ主義と見做される言論があった場合にはブラックリストに掲載され、それをもとに同社が決済手段の提供を停止している、ということのようだ。

このようなことは違法とされずに実行可能なものなのか。同社の英文の利用規約を確認したところ、同社と直接関係のない「第三者とのやり取り」であっても、「中傷的、取引上の名誉毀損、脅迫、または嫌がらせとなるような行為」があった場合、顧客との取引制限が可能と解釈できるようになっているようだ。

しかし、顧客が第三者のブラックリストに載っただけで一方的にサービスを拒否されることは契約違反の可能性があるかもしれない。仮に顧客の発言や信条を理由に差別的な取り扱いをし、取引を停止し顧客に損害を与えたとすれば、言論・思想信条の自由や財産権の侵害のおそれもあるといえよう。

明確な法的根拠もなく、金融機関の裁量でこのような取り扱いがまかり通っているということは、前述の米国のヘリテージ財団が「財務的な信用スコアが社会的信用スコアに置き換わってきている」と指摘するように、金融機関がESGの観点から「適切でない」と評価した個人や組織を一方的に締め出すことが可能になってきていると言えるだろう。

事例2:ウェルズ・ファーゴ銀行

米国フロリダ州のデサンティス知事は2023年2月の会見で、25年間ウェルズ・ファーゴ銀行の顧客であったブランドン・ウェクスラー(Brandon Wexler)氏の同行の口座が突然封鎖されたことを紹介している。ウェクスラー氏はWex Gunworksという銃器を扱う企業のオーナーである。

同氏がある日同行に預金に行ったところ、「口座が閉鎖されているので預かりはできない」と前触れもなく行員に言われ、「当社のリスク管理のために口座閉鎖を決めた」と聞かされたという。

ウェクスラー氏はビジネス用の口座だけでなく生活のための個人口座も閉鎖され、「1ヶ月以内に全額引き出すように」と言われた。なんとか別の銀行で口座開設ができたことは不幸中の幸いだったが、同氏は「このような仕打ちは間違っている」として憤りを隠していない。

何を根拠に突然の口座閉鎖のようなことがまかり通るのかと思い、ウェルズ・ファーゴ銀行の契約書を読んでみたところ、「当社は、いつでも顧客の口座を閉鎖できる」という文言があった。

一方のウェクスラー氏は、「口座が閉鎖された理由には、バイデン政権が銃規制を進めており、政権側から銀行への圧力もあったのではないか」と推察している。

米国では憲法で銃所持の権利が保障されているが、ここしばらく、銃規制問題は米国の国論を二分するほどに大きな議論となっている。そのなかで民主党・リベラル勢力は銃規制を積極的に推進しようとしている。そして本稿で取り上げているESGもまた、同じ民主党・リベラル勢力が主に推進するものだ。そんなESGへの支持を表明する多くの金融機関も、武器製造企業への投資を控えると公表しているのである。

前述のウェクスラー氏の突然の銀行口座閉鎖事案は、このような党派性の強いアジェンダを、民主党系リベラル勢力が政治の場でなく、政権や大企業、さらには左派アクティビストらの結託を通じて全ての米国民に強制的に押し付けようとする文脈上にある疑いが強いと考えられる。このようなことがまかり通れば、明確な法的根拠もなく、金融機関の裁量で特定の産業の顧客を締め出すようなことにもなりかねない。そして、閉め出されるのは“進歩的な”アジェンダに沿わないと見做される顧客なのだ。

中国化する米国

政府や企業が個人や組織に非財務的な基準で評価を行い、それを元に影響力を行使せんとする手法は、全体主義・社会主義国家で顕著にみられる特徴であるが、現代においてそのような手法を採用する国の代表例の一つは中国であろう。

中国では何年も前から、政府が認める「社会スコア」が一定基準を満たさない個人に対しては、例えば本人に十分な資金力がある場合でもインターネット上でブランド物を購入させない、または航空機のチケットを購入させないといった強制力を通じ、国家が個人の選択の自由を著しく制限する措置が行われてきた。

ここでいう「社会スコア」とは、交通マナーやごみの捨て方といった「公共の福祉」を目的とするものだけでなく、政府に不都合な言論活動の有無など、中国共産党に対する個々人の従順さで評価されるものだ。これに対し、一部の識者からは「中国の消費者に対する人権侵害だ」とする懸念の声が挙げられてきた。

そして今や、米国においても、特定の企業がESGの観点をもって、つまり「ESGの兵器化」を通じて一方的に不適切と見做す個人や組織を排除しつつあるということは、米国が中国化しつつあることを意味するのではないか。実際にその米国国内では、ESGの美名のもとに次第に国民が特定のイデオロギーに縛られ、実質的に思想・言論の自由を制限され始めており、多くの国民はESGのあり方そのものに困惑しているのだ。

このことは、実は日本人にとっても対岸の火事ではない。日本政府は2022年から、企業・自治体・国民を巻き込んだ「脱炭素につながる新しい豊かな暮らしを創る国民運動」を展開している。仮にこれがほとんどの企業に浸透した場合、企業が国民に執拗に「脱炭素」に向けた行動変容を促し、前述の米国での例のように「国民運動」なるものに従順でない顧客が一方的に排除されるといったことが起こりかねない。ひいては実質的に自由が奪われることになる可能性も否定できないだろう。

日本も米国の動きを他山の石とし、美事麗句に隠された「ESGの兵器化」に警戒すべきではないだろうか。