子供の声は「騒音」になりうるとした上で対策を!さもなくば分断を生む

「子どもの声は騒音ではない」

政府は、上記の件を法律で定めることも視野に検討に入ったという。そのようなことを法律で定めることの愚かさについては「アゴラ」で先日述べた通りである。

「子供の声は騒音ではない」わざわざ法律で定めることか?
「子どもの声は騒音ではない」 政府は、上記の件を法律で定めることも視野に検討に入ったという。政府関係者は「ドイツでは、法律で騒音の定義が『騒音(こどもを除く)』となっている。日本も一部の自治体で条例として定められているが、それをもっと...

そもそも「騒音(さわがしい音。耳にうるさく感じる音)」という言葉自体が主観的なものだ。子供の声を騒音と感じる人もいれば、騒音と感じない人もいる。普段、子供の声を騒音と感じない人でも、時と状況によっては騒音に感じることもある。よって、そのようなことを法律で一律に「騒音でない」と決めつけること自体がおかしなことだと私は思う。

例えば、電車の中などで、子供が無闇に騒ぎまくることを、注意もせずに放置する「バカ親」が一層増えるのではないか、他人が注意もしにくくなるのではないかと危惧もしている(そうなると、その子供にとっても良くないことだろう)。

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岸田文雄首相は「子どもの声が騒音であるという声に対して、我々は改めて、考えを改めなければいけない」と言うが、うるさいものはうるさいのである。「子どもの声は騒音ではない」ことを法律にしたい岸田首相やその他の政治家・官僚たちは、先ずは、多くの子供が騒ぎまくる環境で、数ヶ月や一年でも過ごしてみたら、如何だろうか(実際に騒音に悩まされている人の立場になってみないと、分からないこともあろう)。

その時、果たして、「子どもの声は騒音でない」と変わらずに言い続けられるかどうか。苦し紛れに「騒音でない」と言うかもしれないが、内心では(騒音だった)と感じるに違いないと私は思うのである。

子供の「騒音」に悩まされている住民は多いと思うが、政治家や官僚はそうした声にも耳を傾けるべきだろう。そして、子供の声は「騒音になりうる」ということを前提とした上で、様々な対策をしていくべきであろう。

もちろん、子供を大切にすること、子供に優しくすることは、当たり前のことである。しかし、子供を大切にすることと、安易な「子供ファースト」で、何でも子供優先(もしくは子持ち家族優先)にすることは、子供がいる家庭といない家庭で待遇の差を生み、それが結果的に対立・分断に繋がってしまうのではないか(そうなれば、双方にとって良いことではないだろう)。

私の懸念が杞憂に終われば良いが、最近の政府の子ども政策の方針を見ていたら、不安に感じることだらけである。