レビューや口コミを「見ない勇気」

黒坂岳央です。

物を買ったりサービスを利用する際に「レビュー」「口コミ」をチェックする人は多い(以下レビュー)。筆者も昔はそうだった。映画、ゲーム、食事などお金を払う「前」にレビューをチェックして損失回避できる人がスマートなのだと考えていた時期があった。

しかし、数年前からレビューはお金を払った「後」にしかみなくなった。意識して「前」に見ることを止めたのである。なかなか勇気のいることかもしれないが、これには価値がある。筆者の見解を取り上げたい。

Thapana Onphalai/iStock

我々はレビューを信用しすぎていないか?

まず、レビューは「絶対的に信用できるものではない」という前提を理解しておくことは重要である。なぜならレビューは現実問題、意図的に作られることも多いからだ。

昨今はChatGPTで生成されたことがわかるレビューも投稿されるようになった。また、大手ネットショッピングサイトでは不自然な日本語で似たようなレビューで大量に星5個投稿されているものも見る。明らかに工作されている。現在はこれらをまだ見抜ける段階だが、そのうち判別は不可能になるだろう。

さらにいえば完全に信用しすぎるべきではないのは、実際の利用者によって投稿されたレビューについても同じである。

先日、筆者がショッピングサイトを利用すると「レビューをつけてくれたら次回使える割引クーポンを発行する」と送られてきた。興味が湧いてレビューを見に行くと、大量に星5つの「一行の短文レビュー」が投稿されていた。星5つのレビューは割引クーポン目当てで適当に書かれたと思しきものが多く、逆に星3つとか4つのレビューの方が実際の使用感や、改善希望点などが具体的に書き込まれており、「他者が見て参考になる」というレビューとしての本質的価値は、星の数でまったく異なるように思えた。

皮肉なことに星5つが一番信用ならないと感じた。ちなみに星1つは「配達が遅延した」とか「説明書が英語だった」といった価値評価の本質から完全にズレたものがほとんどだった。

このことからわかることが2つある。1つ目は悪いレビューは怒りを感じたユーザーが感情的にビビッドに投稿するが、良いレビューは報酬なしではほとんどつけてもらえることはないということである。売りっぱなしでは自然に悪評価に傾く。だからこそ、販売者側も高評価をつけてもらうべく、クーポン券を配布する。だが、そうなると今度は大量の適当星5つレビューを誘発し、「他のレビューを煙に巻く」みたく弾幕的活用になってしまう。これが利用者の利便性を損なっている可能性を感じた。

それからもう1つは客観的かつ冷静に、プロダクト評価できる人はほとんどいないということだ。実際の使用感やなど、買ってみないと分からないレビューとして価値の高い情報は非常に稀だ。そうなると、高すぎる信頼性を持って熱心にレビューを見ることに時間を使うことは、あまり価値が高いとは言えないかもしれない。

こういう前提がある上でレビューを参考にした方がいい。間違っても「つけられているレビューは全部正しい」という目で見てはいけないと思うのだ。

自分で決断しない機会損失

自分がレビューを支払い前に見ないもう1つの大きな理由は、レビューを見てしまうことで機会損失になると思っているからだ。

たとえば飲食店についていえば、正確性を欠き、個人の価値観をあたかもファクトであるように取り上げるレビューは少なくない。筆者が大変気に入っている近所のあるレストランは平均星2つの評価がつけられている。星2つ、これではレビューを重視する人なら来店を控えるだろう。

だが、自分はグルメな人の勧めで初めていったが、結果的に大変素晴らしいお店だと感じた。味も接客サービスも価格もすべてが最高だった。東京でもかなり名店と呼ばれるお店を利用してきたつもりだが、このお店は東京とくらべてもまったく引けを取らないレベルである。

来店後にレビューを見てみたが、星評価が低いレビューは「他の利用客が騒がしかった」とか「接客対応が良くなかった」というものが多く、実際言ってみるとそんなことはまったくなかった。聞くと見るとでぜんぜん違う。

この店舗には10回以上足を運んでいるが、不快になることはこれまで一度もなく、自分はとっておきのVIP客が来た時はこの店に連れていってもてなしている。もしも、来店前にレビューを見てしまったら低評価に懸念を感じて来店しなかったかもしれない。

その逆に評価が高いからと言って、自分にとって良い保障はない。具体的な名称を出すことは控えるが、ゲームや映画のシリーズ作品で「過去最高の売上!」「最高評価をヒット!」というものがあるが、体験してみると自分にはまったく合わず、むしろシリーズ作品で一番楽しめなかったということはこれまで何度もあった。

「自分が正しくて世間の評価が間違っている」などと傲慢な事は言わない。むしろ逆で「自分の感性が世間と違っているのだな」という認識である。しかし、重要なのは自分自身が楽しめるかどうかである。やはり、体験しないと本当のことは分からない。だからレビューを事前に見てバイアスを受けないほうがいいのだ。

自分にとっていいなと思えるお店や作品は大きな価値である。レビュー頼みでは発掘できない「お宝を見つけたような感覚」を得た時はとても嬉しくなる。そして自分で体験して良かった、良くなかったという経験を積み重ねると観察眼も磨かれてくる。結果、未来で良店、良サービスを発掘するのに役立ってくれるのだ。

自分はレビューを頼る人を批判する意図はまったくないが、レビューはあくまで他人の感想文に過ぎない。他人と自分の感性は大きく違う。年間にラーメンを100杯以上食べ歩くラーメン通が悪い評価をつけた店だって、素人が食べるととてもおいしいと感じる事はありえる。というか、他人の評価と自分が同じパターンは圧倒的に少ない。「常にマーケットの平均に好みがあう人」なんて世の中に存在しないのだ。

最近は正しいレビューを見つけるのに、レビューの山から発掘する作業に一苦労する。それなら自分の観察眼を磨き、良くも悪くも人生経験の一つとする方が良いのかもしれない。最後にレビューのおすすめの活用法は支払い後に見ることだ。「へー、他の人はそんな風に感じているんだな」と作品や商品を振り返る感覚で読んで楽しめるだろう。

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。