EV戦国時代の勝者は誰か?

私はEVの時代が来ると相当前から述べておりましたが、その頃「こいつはアホか?」ぐらいのコメントがずらり並んでいました。あれから10年以上たつと思いますが、EVは結局「好き嫌い」もあるし、「食わず嫌い」なところもあると思います。嫌EV派は電源の問題に電池の性能、寒冷地で使用などとにかく問題を挙げ「ハンターイ!」とするわけです。今でもそうかもしれません。以前にも書きましたが強制されるわけではないので当面は市場を分けて行けばよいと思います。但し、2-30年後にはメンテナンスや部品の問題から両者が共に健全に生存とはならない気がします。

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ではお前はなぜ、当時、EVの時代が来ると思ったのか、と言えば欧米のプロパガンダには勝てない、それが最大の理由でした。欧米が揃ってまっとうな理由付けをし、産業の大革命を起こし、巨額の投資を行い、デファクトスタンダードを変え、ビックプレーヤーの序列を変えるというのは残念ながら我々には未だ抑えることができないのです。つまり、「ルールは白人が作る」という意識の強さは残念ながらこの時代に於いても変わらないということです。これは北米で31年も業務をしている私が日々感じることなのです。

その間、テスラがその市場で圧倒的地位を確保しました。テスラが売れたのはEVというだけではなく、今までのクルマにない様々な工夫が施されていたことがあるでしょう。販売店がない、自動車がインターネットで繋がる、様々なオプションはサブスク型、更には自前の充電施設も都市部を中心に充実させました。マスク氏はそういう意味では技術者以上にマーケッターしてのセンスが非常にあったとも言えます。

ではお前もテスラが欲しいのか、と言われるとファンの方には申し訳ないですが、お金をくれても乗りません。私はあの車、特に白いテスラを初めて見た時から今日まで続くイメージがあるのです。「13日の金曜日のジェイソンのマスク」。のっぺらぼうな感じで無表情、無機質なあのフロント周りは私のテイストには全く受け入れられないのです。

ここにきていよいよ多くのメーカーが参入し、戦国時代を迎えた感じがします。4-5年前までは「電気自動車は部品数が少ないから参入障壁は低い」という声もまことしやかに聞こえてきました。では本当にそうなのか、と言えばEV先進国、中国の市場を見れば雨後の筍ののようにできたEVメーカーがどんどん倒産しています。つまり、市場淘汰が進んでおり、それなりの商品力や販売力を兼ね備えた企業しか勝ち残り組にならないということです。

EVを含む自動車産業は部品数に伴う参入障壁の問題ではないと考えています。絶対的な安全、安定、そして商品の耐久性です。ひいては値落ちしにくい車であることが要件であり、これはやはり、長年自動車メーカーとして経営している企業に一日の長、いや、百日の長があるとみています。

その中でフォードのジム ファーリーCEOがテスラとの差別化を口にしていると報道されています。これはフォードがGMとの勝負に敗れた1920年代のマーケティング競争を背景に述べたものとされ、あの時のフォードが今のテスラだと置き換え、今のフォードは陳腐化しつつあるテスラを商品力で超えていくという意気込みを見せています。

では商品力とはなにか、です。個人的に期待するのは自動車を移動媒体からエンタテイメントや楽しい空間、あるいは自分だけの時間を過ごせる場所に創造することかと思っています。つまり、自動車の中にいることがより心地よくなる仕組みづくりではないか、と考えます。例えば映画は音響効果の高い車の中で見る、といった感じです。読書室でもいいでしょう。匂いと癒しの音楽でリラックスできる空間もアリです。その点ではEVではないですがトヨタ アルファードはコンセプトとしては先行したと思います。

ではもっと何ができるか、ですが、一つには天井の使い方が現状、せいぜい電動ルーフ止まりですが、もう一工夫した解放感が演出できないか、です。あとはクルマの側面が停車時に広げられないか、といったアイディアもあるでしょう。つまり、車内空間は狭く、その圧迫感を改善できないか、と素人ながら思うのです。

つまり、今後10年でクルマはクルマとしての用途に絞ったものだけではなく、極めて趣味の色合いが強い「多目的車」ではなく「極目的車」が提供できれば面白いと思いますし、徐々にそうなるのだろうと思います。さもなければマスク氏の言うように車は「コモディティ化」するわけで多くの人がジェイソンのマスクというか「イーロンのマスク」のような車を乗ることになるのでしょう。

クルマがコモディティになるか、という議論は奥深いと思います。例えば私はiPhoneを持っていますが、多くの方は全く同じスマホを持っています。これはコモディティです。また、スマホを差別化したいとも思っていません。それはディバイスであり、その中にあるアプリへのアクセスこそ、個性化が進むからです。つまりハードウェアは性能さえよければこだわらないともいえます。

クルマがコモディティ化するとすればEVでなく、完全自動運転になった際に所有欲が無くなると思われ、それが一番怖いところです。自動車メーカーの自動運転車開発に対する熱意があまり感じられない一つは自分で自分の首を絞めるからではないかという気すらするのです。

少なくとも私がテスラの顔は嫌いだ、と言っている時点でコモディティにはならないのだろうと思います。また、産業政策的にもコモディティ化は避けるべきではないかと個人的には思うところです。そういう意味ではEV戦国時代の勝者はまだ、誰か想像すらできないとも言えそうです。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年5月30日の記事より転載させていただきました。

会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。