おとなし過ぎる日本
日本で抗議運動がなぜ起きないのか? 60年代や70年代には安保闘争や大学教育の内容に反対して抗議運動があった。当時は全学連というのがメディアで盛んに取り上げられた。全学連というのは全日本学生自治会総連合が略称されたものである。今では全学連の名前など聞いたことのない学生も多いと思う。嘗ては、学生だけでなく、一般人も抗議運動に積極的に参加していた。
しかし、今では抗議運動と言っても静かなもので、参加者も少ない。日本の国民の間では社会的に不満はないのであろうか?
例えば、2022年度の世界平均年収(ドル換算)で日本は21位にランキングされている。その金額は3万4393ドル。G7の中では6位。22位にイタリアが3万3202ドルで位置している。隣国の韓国は20位で3万6,012ドル。遂に日本を追い越した。(世界の平均年収、国別ランキング・推移から引用)。
厚生労働省が統計を発表している1989年から2018年までの平均年収の推移を見ると、2008年以降の収入は1989年のそれよりも少なくなっている。それが手元にある統計最後の2018年まで続いている。1989年以降、最高3%弱の昇給が短期間あっただけで、給与は横並びから下降している。
30年間、年収が減少している状態が続いている。これが欧米で発生していれば、このような事態になる前に、労働組合が中心になって国レベルで昇給の為の抗議運動が当然起きていたはずである。それが日本では発生しない。不思議な国である。
国民全体で事態を穏便に収めたいという習慣が身に就いているのか、被雇用者は雇用者からの理解を期待して昇給してくれるのを待つという感じである。ところが、被雇用者の期待を裏切って雇用者は昇給を出来るだけ避けて来たというのが現状である。例えば、2021年の企業の内部留保金が516兆円もあったにもかかわらずだ。
自民党政府は企業の味方
また自民党政府は企業の味方であるから、昇給を法令化することに躊躇っている。自民党はこれまでも企業に肩入れして来た例は色々とある。
例えば、大手企業や金融機関が経営破綻に陥りそうになると、官僚組織がそれをできるだけ遅らせて来た。その間、政府は公的資金を使って間接的に企業の再建を図ろうとした。そして公的資金の無駄使いとなるのが結末である。
銀行では大量の行員が余る状態になっている。しかし、彼らを大量に解雇するのは控える傾向にある。それが銀行の経営にマイナス影響してもそうせざるを得ない雰囲気が社会的にある。余剰人員をさっさと解雇して、銀行の負担を軽減させて強力な銀行に再生させればよいはず。そして解雇された行員は別の職場を見つけるようにすればよいこと。このスムースな動きが日本ではできないというのが現状である。そして銀行は余剰人員を抱えたまま弱体化して行くのである。
日本は多くの場面で温情主義が目立つ。それが日本全体を弱体化させている。
日本は物質的に恵まれ平和過ぎる
日本は非常におとなしい国である。平和な国で、民族闘争はない。島国で国境での紛争もない。生活するにも大半は輸入ものであるが、物資面でも豊かである。これらのことが当たりまえだと多くの日本人は思っている。勿論、住宅は高く、雇用が安定しない若者にとっては生活するのは容易ではない。子持ちの親は教育費の負担は重い。しかし失業率は低く仕事も何かありつける。交通の便も良い。治安も比較的良い。
日本はこと物質面について言えば恵まれた国である。だから、敢えて生活改善を求めて抗議しなければならないほど困ってはいないということなのであろう。
しかも、多くの日本人は議論を避ける傾向にある。内心は不満でも事態を穏便にしておいた方が良いという考え方が社会で支配している。だから個々に不満は貯まるが、それが社会秩序そして隣人と円滑な関係を保つことに役立つからだという考え方なのである。
日本は繁栄していた過去から抜け出せないまま衰退して行くように筆者には思える。それを変えるにこれまでの社会的慣習にメスを入れる必要がある。それにはまず最初に国家の舵を握る政治を変えねばらないのが早急に必要である。新しい政党を誕生させて過半数の議席を獲得して改革を断行して行くことである。