アルゼンチンで10月22日の大統領選挙を控え、8月13日に実施された予備選挙で極右でリバタリアン(自由至上主義)のハビエル・ミレイ氏が当初の予測に反してトップの得票率30%を得た背景には以下のような理由があるからだ。
1944年以降、高いインフレから解放されたことがない国
20世紀初頭の経済大国だったアルゼンチンが1944年から高いインフレで国家経済は衰退への道を辿っている。インフレ率は44年間の2桁、15年間の3桁。それに1989年は3,0780%、1990年は2,314%という4桁のインフレ率も経験している。
昨年2022年のインフレは94.8%、今年は136%が予測されている。アルゼンチンの通貨ペソは世界で最も悪質な通貨のひとつとされている。勿論、国民が通貨ペソに寄せる信頼はゼロ。市民ができる最高の投資は今日買えるものは今日買っておくということ。なぜなら明日には同じ品物が値上がりしている可能性があるからだ。
スーパーマーケットでは開店の時間が遅れることがよくある。なぜなら頻繁に値上がりする商品の値札を変更する必要があるからだ。市民は毎日の消費物価の値上げで毎月の家計出費額がわからない。また小売業者も生産業者もその材料の頻繁なる値上げで正確なコスト計算ができない。だから、販売で損出しないように価格を多めに見積もっている。それがまたインフレを煽ることに繋がっている。
慢性的に財政赤字を繰り返している国
これまで政府では歳入が歳出を常に上回る状態が長年続いている。その赤字を紙幣ペソを刷って補填しているというのが常なる政府のやり方である。だから正に経済の教科書で説明している通り、高騰インフレを招く典型的なお手本をアルゼンチン政府がこれまでやって来たということだ。
財政緊縮を実施する意思は政府にはない。その政府というのは正義党である。正義党が戦後から長年政権を担って来た。これまで正義党以外の政党から出た大統領は僅か3人だけである。それと断続的に17年続いた軍事政権も発展を損なって来た。
アルゼンチンの政治は慢性的に汚職を繰り返して来ている。例えば、正義党のネストル・キルチネール氏そしてその妻クリスチーナ・フェルナンデス氏の両大統領が政権を担った2003年から2015年の間に公共事業という名目で10億ドル以上の金額を横領していたことが明らかになっている。
ネストル・キルチネール氏は既に故人となっているが、クリスチーナ・フェルナンデス氏には6年の禁固刑の判決が下されている。ところが、彼女は現在副大統領のポストに就いており、政治家の不逮捕特権を利用して少なくとも彼女の任期が切れる今年12月10日までは逮捕されることはない。そのあとも議員選挙に立候補するはずである。
それを正義党の議員は暗黙の内に了解して、彼女を政界から排斥させようとする動きは皆無。勿論、彼女自身がこの不正への責任を取って辞任する意向はまったくない。一方、彼女に纏わるこの汚職に絡んでいた人物は全員刑に服している。
公共部門における2022年度の汚職の世界ランキングによると、アルゼンチンは世界180カ国の中でランキング94位。同じランキングにブラジル、エチオピア、モロッコが位置している。日本は18位。最も汚職が少ないのはデンマーク。
上述したクリスチーナ・フェルナデス氏の最後の政権年度の2015年にはアルゼンチンは107位にランキングされた。
余談になるが、クリスチーナ・フェルナデス氏が大統領だった時にあるテレビ番組に出演した。司会者が彼女が身に着けている高級な服装を皮肉って貧困者にはそのような服は手にすることはできないといったような表現をした。すると彼女は「私に貧困者の服装をして出演するようにとあなたは言っているのですか?」と立腹したように答えた。
国家指導者が貧困層を卑下したような回答をする。そのような国が発展することはない。彼女の息子も国会議員となっている。世襲政治だ。何故か、キルチネール夫妻を支持するファンが今もいるのである。
彗星のごとく現れた救世主?
現在のアルゼンチンの貧困層は40%。貧困な子供は50%を超えている。8月の時点で1年間を遡ってのインフレは115%と記録されている。即ち、毎月10%近く商品が値上がりしていたことになる。
このような市場経済で長年生活せねばならない市民は悲劇である。特権階級にある政治家の多くはそれが気にならないようである。
このような社会事情の中で彗星のごとく現れたのが下院議員になって2年目の経済専門家ハビエル・ミレイ氏である。彼が党首を務める「前進ある自由」は大統領予備選挙に次ぎのような公約を掲げて立候補した。
- 特権階級の巣窟となっている中央銀行を閉鎖し、通貨ペソを廃止して法定通貨として米ドルを採用する。現在、ラテンアメリカで米ドルを国の法定通貨として採用しているのはパナマ、エクアドル、エルサルバドルの3か国である。
- GDPの15%に相当する歳出を削減する。
- 90%の税金を廃止。なぜなら税収はGDP比で僅2%しか貢献していないからである。寧ろ、税金を廃止してその分景気を煽る方向に向けるということ。
- すべての公営企業を民営化する。例えば、長年赤字のアルゼンチン航空の経営を民間に委ねる。それでも経営が成り立たたない場合は閉鎖する。
- 11ある政府の省の4つを削減し、新たに1つ増やして8つの省から成る政府にする。8省とは経済、法務、内務、治安、防衛、外務、インフラ、それに人的資本省を新たに設置する。人的資本省の中にこれまで存在していた健康、社会発展、労働、教育を包括するとした。
農牧業や教育などについての改革や、法制化された中絶法は破棄するといった項目もあるが、上記の項目が目立って注目されるものである。
公約の中で一番注目を集めているのが中央銀行の閉鎖と米ドル化である。ペソが市民から全く信頼されておらず、一般市場でもドルの影響が大きく左右している。市民はできるだけドルを持ちたがる。だから機会あるごとに市民はペソをドルに両替している。両替のレートは11あると言われているが、実際には48もあるという。
その一方で中央銀行でもドルは常に不足気味だ。ドルへの需要が多く、しかもアルゼンチンは国の規模の割に輸出量が非常に少ないということ。また政策金利も現在118%という高い国では外国から投資をしようとする国はない。だからアルゼンチンは慢性的にドル不足なのである。
そのような状況下でドル化しようというのである。そうすれば高いインフレから解放されるという考えだ。なぜなら、インフレが上昇するのは常にドル対価に影響されているからである。
ドル化に必要な米ドルは350億ドルから450億ドルを推測されている。現在のアルゼンチンにはペソをそれだけの金額まで両替できるドルはない。しかし、ミレイ氏の発言によると、中央銀行の資産の部でドル化に必要な資金を調達できるとしている。このドル化を9か月から24カ月で実施するという。このようにして、これまで悪習となっている紙幣を無制限に発行することを停止させる。
また労働市場の開放や閉鎖的な市場経済をより自由化させる。例えば、これまでアルゼンチンは輸出にも税金がかかる国だ。それで国際競争力が減少するが、それ以上に政府にとって重要なのは常に不足している外貨を確保しようという狙いからである。
ドル化については経済専門家の間でも賛成派と反対派に分かれている。しかし、現在のアルゼンチンを改善するには現状の体制の儘だと、これからも高いインフレが繰り返されることになるのは確実。必要なだけ紙幣を発行して行く体制が続く限りアルゼンチンの成長はない。だからそれを根幹から挫くためには中央銀行は存在してはいけないのである。ミレイ氏によると、中央銀行の紙幣を発行する利権を利用して毎年2万5000ドル相当の資金が政治家への賄賂に化けていると語っている。
50年前にマネタリズムを唱えた米国のミルトン・フリードマン氏は「アルゼンチンのようなひどい貨幣経済を実施している国は自国の通貨を持つべきではない」と指摘している。(8月18日付「インフォバエ」から引用)。
救世主が大統領になれるか?
問題はミレイ氏が大統領に成れるかという疑問である。大統領選挙で仮にトップの得票率を得たとしても、45%の得票率を達成するのは非常に難しい。そうなると2位と決戦投票に臨むことになる。マクリ前大統領が背後にいるパトリシア・ブルリッチ氏か、または正義党が背後にいるセルヒオ・マサ氏との対戦になるか現時点での予測は非常に難しい。
しかし、それにミレイ氏が勝利して大統領になったとしても、上下院で彼の政党が過半数の議席を確保することは不可能。そうなると、他党を説得して法案を通過させねばならなくなる。その為の説得は容易ではない。
一つ噂にあるのは、マクリ前大統領が彼が信頼している友人にミレイ氏の為に資金を集めるように依頼しているというのである。マクリ氏は内心、ミレイ氏の政策プランに同調しているようだ。