顧問・麗澤大学特別教授 古森 義久
ドナルド・トランプ前大統領がわずか4ヵ月余の間に4回も起訴された。前大統領を起訴するだけでも前代未聞なのに、立て続けに4回とは、いくら対立と混迷のアメリカ政治の中でも過多すぎるのでは? と思っていたら、反トランプ氏のリベラル陣営からも、そんな意見が飛び出したので、驚き、かつ安堵した。
驚きは、この反対論が反トランプ陣営の中枢なような人物から発信されたことに対してだった。
安堵は、民主党リベラル勢力のなかでも、今回の4回連続起訴に反対する常識論が存在することに対してだった。アメリカ民主主義の支柱ともいえる意見の多様性はトランプ憎しで凝り固まったかにみえるリベラル派にもまだ残っている証拠だと感じたわけである。
この驚きの反対論はワシントン・ポストの著名なコラムニストのルース・マーカス記者による8月15日付の同紙に載ったコラム記事だった。「ジョージアでのトランプ糾弾は過剰ではないのか」という見出しの記事である。
マーカス記者といえば、きわめて広く知られたリベラル派の女性コラムニストである。1980年代からワシントン・ポストの記者としてホワイトハウスや最高裁判所の取材を担当し、評価の高い記事を多数、書いてきた。2006年からはワシントン・ポストのコラムニストに昇進し、独自のコラム記事を毎週、自由闊達に載せてきた。だがその基本の政治スタンスは一貫して民主党傾斜のリベラルだった。だからトランプ氏に対しては常に批判的だった。
ワシントン・ポスト自体も長年、国内政治では明確に民主党支持、リベラル支援、保守批判だった。だからマーカス記者はリベラルの旗を高く掲げるコラムニストだったのだ。そのマーカス記者も、ワシントン・ポストも、共和党保守のトランプ前大統領に対しては、ほぼすべて反対という厳しい批判の立場を保ってきた。
だが、今回に限ってはそんなリベラル派、反トランプ勢力の旗手ともいえるマーカス記者が第4回目のトランプ氏起訴に対しては反対論を表明したのである。
ではまずその4回目の起訴の内容について説明しておこう。
アメリカ南部ジョージア州フルトン郡のファニ・ウィルス地方検事は8月14日、同郡の大陪審の評決結果としてトランプ前大統領とかつてのその側近18人の合計19人を2020年の大統領選で大接戦となったジョージア州の投票集計を州当局者への虚偽の通告や不当な圧力で自陣営に有利に変えようとした、とする罪状で刑事起訴した。
起訴された人物のなかには年来のトランプ氏の顧問弁護士でニューヨークの高名な検察官から市長までも務めたルドルフ・ジュリアーニ氏やトランプ大統領の首席補佐官だったマーク・メドウズ氏までが含まれていた。この合計19人をフルトン郡の大陪審や裁判所で半年ほどの間に一気に裁くというのだ。
起訴状はその19人に対する罪を本来、マフィア摘発のために作られた「威力脅迫・腐敗組織法(RICO)」というジョージア州法の違反だとしていた。
この起訴は多数の点で司法の執行としてみても異例だった。まず第一には大統領選挙での集計をめぐる違法の追及という国政の最高レベルでの課題を連邦レベルでもなく、州レベルでもなく、その州のなかの一行政区に過ぎない「郡」の検事が断行した点である。
第二には、その起訴の対象が単にトランプ氏に留まらず、トランプ氏の側近とされた合計18人もの人物を一網打尽という感じで一括して裁くという構図が異例だった。
第三はこの国家レベルの容疑にフロリダ州の州法、しかも本来は犯罪組織のマフィアの取り締まりに適用したRICOという特定の州法を使っている点も異例だった。つまり検察側はトランプ氏とその側近をマフィアに等しい犯罪集団とみるという前提から追及を始めたわけなのだ。
そして第四にはこの起訴処分を進めた黒人女性のウィルス検事は年来の民主党員の政治活動家である点にも、特殊性があらわれていた。同検事は2年ほど前に民主党支持と反トランプの政治スタンスを明確にして、地方検事の選挙に立候補して、当選したのだ。しかも来年には再選を目指すという。
第五にはトランプ氏に対する民主党バイデン政権下の司法機関からの追及があまりに急迫かつ頻繁な点である。ニューヨーク州マンハッタン地区の地方検事がトランプ氏を10数年前にかかわりがあったとされる女性への「口止め料」を払った嫌疑で起訴したのは今年3月末だった。
以来、機密文書持ち出しの容疑、議会乱入を煽り、選挙結果を不正に覆そうとした容疑で2回目と3回目の起訴を受けた。しかも前回の3回目の起訴は8月1日という至近だった。どうしてもトランプ氏の政治生命を奪おうとする政治的な意図がにじむのである。
トランプ氏はすべての起訴を民主党側の政治弾圧の「魔女狩り」としてはねつける。共和党側の連邦議員や大統領選の候補たちもその主張に同調する。共和党支持層は各種の世論調査でも7割から8割がトランプ氏起訴を不当だとみなす。無党派層でも一連の起訴には政治的意図があるとみなす反応が多数派を示す。その結果として、トランプ氏への一般の世論調査での支持率が起訴の措置が断行されるたびに上昇するという皮肉な現象が起きている。トランプ陣営への政治献金の額も急上昇なのだ。
しかし民主党支持層は一般にトランプ氏起訴は歓迎という向きが多数派である。だが意外にも民主党支持色の濃いワシントン・ポストのマーカス記者が評論記事で起訴反対論を表明したのだ。マーカス記者はこの記事で8月1日のワシントンでの連邦検事によるトランプ氏起訴がジョージア州での集計変更をもすでに罪状としたと指摘し、フルトン郡での重複は同じ罪を再度は追及しない「一事不再理」の禁を破ると警告していた。
そのうえでマーカス記者は明らかに連邦レベルでの犯罪を州以下の郡のレベルで追及することはあまりにも政治的な不均衡であり、正当な法執行をかえって混乱させるから好ましくない、としてこの4回目の起訴を「過剰」として反対していた。
ちなみこの4回目の起訴に対しては政治的に中立とされる古参の刑事専門弁護士ロバート・バーンズ氏も「前大統領で現政権に挑む現役政治家をRICOまで使って糾弾する措置はアメリカ政治のルビコン川を渡ったに等しい。ウィルス検事の起訴状はトランプ氏の言論の自由や選挙結果への挑戦の権利を無視している」という見解を複数のアメリカのメディアに寄せた。
バーンズ氏らは一連の起訴対象がみな7年から2年半前の出来事なのに、民主党政権の司法機関がトランプ氏の人気が上昇したこの時期に集中して追及し始めた点や、起訴後の裁判日程をトランプ氏が予備選に忙殺される来年前半に絞っている点などをも政治的要素だと指摘する。
民主党対共和党、リベラルと保守の対決があまりに固定したこのトランプ問題では、やはり「有罪確定までは推定無罪」、そして「両論銘記」の原則優先という見方が正しい指針であろう。
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古森 義久(Komori Yoshihisa)
1963年、慶應義塾大学卒業後、毎日新聞入社。1972年から南ベトナムのサイゴン特派員。1975年、サイゴン支局長。1976年、ワシントン特派員。1987年、毎日新聞を退社し、産経新聞に入社。ロンドン支局長、ワシントン支局長、中国総局長、ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員などを歴任。現在、JFSS顧問。産経新聞ワシントン駐在客員特派員。麗澤大学特別教授。著書に『新型コロナウイルスが世界を滅ぼす』『米中激突と日本の針路』ほか多数。
編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2023年8月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。