東京五輪談合、セレスポ鎌田氏”196日の死闘”で明らかになった「人質司法」の構造問題

8月22日、東京五輪談合(独禁法違反)事件で、逮捕・起訴されていた株式会社セレスポ(以下、「セレスポ」)の鎌田義次氏が、2月8日の逮捕から196日ぶりに保釈された。

2月28日の起訴以降、保釈請求は6回目だった。この6回の保釈請求を担当した東京地裁刑事14部(令状専門部)の4人の裁判官のうち3人が、起訴直後から本件での保釈の可否の判断に真剣に向き合い、保釈許可決定を出したにもかかわらず、その都度、検察官申立による準抗告で覆されてきた。

まさに、日本の刑事司法の最大の悪弊、「人質司法」そのものと問題を指摘し続け、第1次、第3次、第5次と、最高裁への特別抗告を行って、「『人質司法』によって無罪主張を抑え込もうとするのは、憲法32条の裁判を受ける権利を侵害する」と訴えてきたが、いずれも「適法な上告理由に当たらない」とされて棄却されてきた。

保釈当日、午後1時半、東京拘置所のゲートから出てきた鎌田氏と抱き合い、喜びと安堵を分かち合った。過去にがん手術も経験し、逮捕の前年にも胆嚢摘出手術を受け、その影響も残る状況下で逮捕され、当初は、拘置所の病棟に収容されていた鎌田氏。その日の夕刻、司法記者クラブで臨んだ会見の冒頭で、

我々、セレスポの役職員は、東京オリパラ大会のテストイベントや本大会の業務に、イベント制作会社として、多くのスポーツ大会での実績を生かし、懸命に取り組みました。私も他の役職員も、独禁法違反の犯罪などと言われることは何もやっていませんし、イベント制作会社として、当たり前の仕事を行っただけで、私も会社も無罪であることを、しっかりと裁判で訴えていきたい。

と明言した。その後、長期勾留について感想を聞かれ、

よく戦い抜いてきたなと自分をたたえたい。

と述べた。

これまでも、同様の「人質司法」によって、「無罪の訴え」が抑え込まれてきた。大川原化工機事件では、相嶋静夫氏は無罪の主張を通した結果、11ヶ月以上にわたり拘束され続け、勾留中に胃がんを発病、釈放後に病状が悪化して亡くなった(その後、検察は「公訴事実は犯罪に該当せず」と認め、起訴取消)。

東京五輪汚職事件で贈賄の容疑で逮捕・起訴され、全面否認を通していたADK植野伸一前社長は、2度の保釈請求が却下され、3カ月後に体調悪化に耐えかねて容疑を認め、ようやく保釈された。その後、有罪判決を受けた際、

否認すれば勾留が長期化するという刑事司法の厳しい現実を身をもって体感し、勾留されながら裁判で争うことは並みの精神力では現実的には非常に厳しいことを痛感した。

と述懐している。

不屈の闘志で、196日にわたって「人質司法」と闘い抜き、無事生還して、今後の刑事裁判での戦いの決意を新たにしている鎌田氏には、弁護人の私からも、心から「ほめてあげたい」。

その鎌田氏が、会見の冒頭で、

私の保釈請求に誠実に対応してくださった令状部の裁判官に、感謝したいと思います。

と述べたのは、勾留中の接見でもしばしば口にしていた「率直な思い」だ。

そのような令状専門部の裁判官の保釈許可の判断が、なぜ、検察の準抗告でいともたやすく覆されてしまうのか。

そこには、特捜部の事件において無罪の可能性が高い事件であればあるほど、徹底して「人質司法」による無罪主張の封じ込めにかかる検察官、そこで、事案の実体を見極め、保釈許可のために最大限の努力をする令状部裁判官と、検察の「言いなり」の準抗告審というコントラストが生じている現実がある。それがこの種事件での「人質司法」問題の核心だと言える。

そもそも「東京五輪談合事件」というのはどういう「事件」なのか。そこでのセレスポと鎌田氏の無罪主張は、どのような意味を持つものなのか。私が弁護人として関わるようになった経緯も含めて、改めてお話することとしたい。

東京五輪談合事件捜査への期待と失望

私自身は、東京五輪の招致・開催には反対だったし、その過程で表面化した、東京五輪の招致をめぐる贈賄疑惑に対しても(「竹田会長「辞任」だけでは“東京五輪招致疑惑”は晴れない」)、コロナ感染拡大による開催延期についての当時の政府の対応等に対しても(「政治問題化した東京五輪開催方針とメディアのコンプライアンス」など)、厳しい批判を行ってきた。

それだけに、2022年8月、東京地検特捜部が、高橋治之電通元専務とAOKIホールディングス青木拡憲会長を東京五輪スポンサー選定をめぐる贈収賄で逮捕し、東京五輪汚職事件の強制捜査に乗り出した際は、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会(以下、「組織委員会」)理事の職務権限との関連性等の刑事事件としての問題点は指摘しつつも、「東京五輪の闇」を解明しようとする捜査を、基本的に応援する立場で論評してきた(「高橋治之氏・受託収賄逮捕、電通と戦う検察、“東京五輪をめぐる闇”の解明を!」)。

同年11月、東京地検特捜部と公正取引委員会が、東京五輪大会のテストイベントをめぐる入札談合事件の捜査に着手したと報じられた際も、汚職事件では摘発の対象とならなかった東京五輪を支配する「電通の闇」の解明を期待するコメントしていた。

しかし、当初、私は、組織委員会の発注は「公共入札」であり、刑法等の「公の入札」についての規律が適用されると認識していたが、翌2023年1月以降の報道で、同発注は「公の入札」ではなく、民間発注であり、検察は、独禁法違反の犯罪の立件のみをめざして捜査を行っているとわかり、前提が大きく異なってきた。

その後報道された事実からすると、独禁法違反の刑事事件としては、どう考えても「無理筋」としか思えなかった。そこで、1月28日には、「東京五輪談合事件、組織委元次長「談合関与」で独禁法の犯罪成立に重大な疑問、”どうする検察”」と題するヤフー記事を出して、独禁法違反(不当な取引制限)での立件を疑問視し、検察に慎重な判断を求めた。

しかし、2月8日、特捜部は、組織委員会元次長森泰夫氏、電通・逸見氏、セレスポ・鎌田氏、FCC・藤野氏の4名を逮捕し、2月28日には、博報堂、東急エージェンシーなどの幹部を加え、6社・7名を独占禁止法違反で起訴した。

セレスポ・鎌田氏の弁護人受任の経緯

この起訴の直前、私の独禁法違反事件に関する【前記ヤフー記事】を見て、私の事務所に、同事件の弁護の依頼に訪れたのが、セレスポの稲葉利彦会長だった。

東京五輪大会では予期せぬことの連続で、それに対応した当社の社員は、よく頑張ってやり切ってくれたと思っています。長時間労働や社員の過労で違法問題にならないかは心配していましたが、まさか談合とか独禁法違反などということが問題になるとは夢にも思っていませんでした。当社の社員で、東京五輪大会のことで犯罪になることをやったなどと思っている人間は一人もいません。

という話だった。

それまで弁護人として対応していた同社の顧問弁護士から、起訴の時点で私が弁護を引き継ぐことにし、裁判所にセレスポと鎌田氏の弁護人選任届を提出した。

弁護を受任後、セレスポの関係する社員や勾留中の鎌田氏から話を聞き、【上記記事】を書いた時点での独禁法違反の犯罪に対する疑問は、「無罪の確信」に変わった。

東京五輪テストイベント入札は、「談合」でも「事件」でもない

東京五輪大会は、60もの競技がほぼ同じ時期に行われる世界最大のスポーツイベントであり、その26の会場で行われる競技すべてについて、穴を空けることなく、それぞれの競技についての過去の実績や競技団体との関係などに基づいて、実施能力のある事業者を選定する必要がある。しかも、その準備が大幅に遅れていたことから、発注にかけられる時間に制約があった。

結局、テストイベント計画立案業務は、総合評価方式の一般競争入札で発注されたが、単に、入札を公示して入札参加者を募り、競争で落札した事業者と契約するだけで済むものではない。人気のあるメジャーな競技に応札が集まり、マイナーな競技にはどこも応札しない事態になる可能性が高い。東京五輪では、短期間に多数の競技を行うことから、国内のスポーツイベントに関わるリソースをバランスよく配分する必要があった。

しかも、スポーツイベントの大会運営は専門的な業務の組み合わせにより成り立つため、1社でやり切ることが難しく、各業務に精通したスタッフを揃える必要がある。そのため、競合する企業間でも「協業」することが必要になる。

そこで、発注者の組織委員会側の総括者の森氏が、各社の実績や意向に基づいて、全競技について、責任をもって業務を実施できる最低一社の事業者に応札してもらうよう、適切な「協業」の組み合わせにするため「入札前の調整」を、東京五輪大会のマーケティング専任代理店の電通の協力を得て行ったものだった。

「公の入札」であれば、発注者が特定の事業者に入札参加ないし受注を依頼する行為自体が、明白に犯罪であり、それに関わった事業者も共犯の責任を問われることになる。

しかし、組織委員会の発注は、法的には「民間発注」であり、どのような方式で発注するかは、発注者が自由に選択できる。競争性を重視し、入札を行って、受注を希望する業者間で競争を行わせることも、発注物件の商品、サービスの性格などから、発注者側が最も有利な発注先を選択する随意契約によって発注することも可能だ。

民間発注であれば、発注者側の担当者が、特定の事業者と接触すること、入札参加、受注を依頼することは、内部的な責任を問われることはあり得ても、少なくとも、それ自体が犯罪に問われることはない。

民間発注において問題となるのは、事業者相互間で、「事業活動を相互に拘束し、一定の取引分野における競争の実質的制限を生じさせる」ような「合意」が行われた場合に、独占禁止法違反に問われる可能性があるということだ。

発注者の組織委員会の側が事業者に対して受注の「割り振り」を行ったとしても、それ自体には犯罪性はない。事業者が、発注者から受注案件の「割り振り」を受け、それが他の事業者に対しても行われていることを認識した上でその「割り振り」を受けると返答したとしても、それ自体は独禁法上問題になるものではない。事業者間の意思連絡がなく、単に「他の事業者も同様と認識していた」に過ぎない場合は、独禁法上問題となるものではない。

通常、入札談合であれば、競争が回避されるため、落札率(落札価格/予定価格)が高くなり、100%に近い数字になることも珍しくない。ところが、本件入札での落札率は、何と約65%である。組織委員会側の意向は尊重しつつ、事業者間では、何らの制約もなく、自由に競争行動が行われたことを示している。

このような事案が、どうして「独禁法違反の犯罪」とされるのか、全く理解できなかった。

「人質司法」との半年に及ぶ戦い

しかし、現実に、鎌田氏は独禁法違反で起訴され、勾留が続いていた。弁護人として、まず臨んだのが、鎌田氏の身柄奪還のための戦いだった。それが、その後半年にもわたり、保釈請求を6回も行うことになろうとは、全く予想していなかった。

検察官が、検察の主張に反して非を認めず、裁判で無罪主張をしようとしている被告人に対してとった「なりふり構わず絶対に保釈を阻止しようする姿勢」は凄まじいものだった。そこには、事実の歪曲、誇張、虚言あらゆる手段が用いられた。検察官倫理として凡そ許されないやり方も含まれていた。

間違いなく言えることは、この「事件」については、客観的な事実にはほとんど争いはないということだった。検察官とセレスポ側、弁護側との争いの中心となるのは、当事者が、「テストイベント計画立案業務の入札について事業者間で受注予定者を決定する合意」があったと認識していたかどうかと、法律上、独禁法違反が成立するのかという点だった。

要は、関係者それぞれが、入札への対応についてどう認識していたのか、違法との認識があったのか、ということだった。

そのような点について、存在した事実をなかったことにするとか、存在しなかった事実を作り上げるための「口裏合わせ」「働きかけ」、というような「罪証隠滅のおそれ」は、もともと考えにくい。そのような本件事案の性格を十分に理解し、「罪証隠滅のおそれ」を否定できる事情を示せるよう、様々な対応をしてくれたのが、令状専門部の担当裁判官だった。

しかし、担当裁判官が出した保釈許可決定を、検察官の準抗告申立を受け、いともたやすく覆してしまったのが刑事裁判部(刑事17部、7部、11部)だった。

6回の保釈請求の経過

起訴直後の第1次保釈請求では、14部の担当裁判官は、保釈金を1500万円という高額に設定して、広範囲の関係者との接触禁止を保釈条件にし、様々な実効確保措置も誓約させて保釈を許可した。しかし、検察官が準抗告を申立て、「起訴から間がなく公判も特段進捗していない現時点において、被告人が事件関係者らに働き掛けるなどして罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がある。」との理由で保釈許可決定は取り消された。

第2次保釈請求では、鎌田氏とセレスポの関係社員2名の陳述書を提出し、本件の争点は、独禁法違反の犯罪の成否にかかる法律上の主張と、事業者間の「合意」についての被告人の認識などの主観面に概ね限られ、罪証隠滅のおそれが低いことを指摘した。

弁護人の主張に理解を示してくれた担当裁判官は、保釈保証金をさらに300万円増額し1800万円として、保釈許可を決定した。金曜日の決定だったことから、検察官の準抗告が棄却された場合に即日釈放されるためには、同日午後5時までに保釈保証金を納付する必要があることも示唆してくれた。

しかし、準抗告決定では、「前回の保釈請求却下の裁判以降における事情変更については、本件が公判前整理手続に付された程度しか認められず、上記準抗告の裁判と異なる判断をすべき事情変更はない。」として、保釈許可決定が取り消された。

4月20日に、第3次保釈請求を行い、関係者との接触禁止の実効性確保のための新たな措置として、スマートウォッチとボイスレコーダーの併用により被告人の会話の録音とGPS位置情報を24時間継続して把握する方法を提示したが、検察官の強い反対意見で、保釈請求は却下され、弁護人から準抗告を申し立てたが、「第2次保釈請求却下後の事情変更はない」として準抗告は棄却された。

「公判の進捗」「事情変更」がなければ保釈されない!

要するに、準抗告審の判断は、「起訴から間がなく公判も特段進捗していない」ということだけで「罪証隠滅のおそれがある」とし、その後、「事情変更」がないと保釈は認めない、というものだった。

しかし、被告人の起訴後勾留が続いているのに、検察官の証拠整理、公判準備は誠に緩慢だった。弁護人への証拠開示は4月末で、起訴から2か月もかかった。しかも、証拠が全体として開示されただけで、各被告人・被告会社への請求証拠を明示する証拠等関係カードは未作成だった。

その間に、セレスポ・鎌田氏の裁判が公判前整理手続に付されることが決まった。その手続は、検察官が証明予定事実記載書を提出することから始まるのであるが、その書面が提出されたのは6月23日、起訴の約4か月後だった。

このように、検察官が公判準備のために時間をかければかけるほど、「起訴から間がなく公判も特段進捗していない」という状態について「事情変更がない」ということになり、被告人は保釈されないことになる。その間、被告人は、弁護人以外との面会もできない身柄拘束という、耐え難い苦痛が継続することになるのである。

そこで、保釈請求を却下した準抗告決定以降の「事情変更」を作るために、弁護人としての対応を前倒ししていった。4月末に開示された証拠について、通常は、検察庁内の「謄写センター」に依頼するが、「立て込んでいて証拠謄写に2か月を要する」とのことだったので、私の事務所のスタッフを動員して謄写を自前で行って開示証拠の内容を把握した。

その結果、それまで考えていたとおり、客観的事実にはほとんど争いはなく、「入札での受注予定者を決定する合意」についての認識が問題になるだけであることが確認できた。そこで、鎌田氏の早期保釈のため、検察官調書はすべて同意する方針で臨むことにし、鎌田氏とセレスポ側の了解を得た。

6月5日に開かれた公判前整理手続の第2回打合せで、「検察官調書については、すべて取調べに同意し、一部調書について信用性を争う」と述べた。これらにより、検察官請求証拠に関して、検察官がこれまで被告人を保釈すべきではない理由としてきた「関係者への働きかけ等による罪証隠滅が行われるおそれ」は全くなくなったとして、打合せ調書を疎明資料にして、6月7日、第4次保釈請求を行った。

しかし、検察官は、意見書で、「証明予定事実記載書の提出前で、弁護人の主張も具体的になされておらず、争われる具体的な事実関係が不明である現段階では、たとえ『供述調書の全てを同意する予定である』としても、供述の信用性について争われる範囲、証人尋問の要否等について全く予想することができない」などと強く保釈に反対してきた。この保釈請求の担当裁判官が、第2次請求で保釈許可決定を出してくれたのと同じ裁判官だった。

電話での保釈面接で、「事案の性格は十分に理解しているが、ここで保釈許可しても、弁護人の証拠意見が、公判前整理手続での正式なものではないので、検察官の準抗告申立で覆される可能性が極めて高い。準抗告での保釈却下が重なることはかえって保釈にマイナスではないか。証拠意見を正式な手続で確定させた後に、改めて請求した方がよいのではないか」と言ってくれた。

私も、その意見に納得し、その後、保釈請求却下決定に対して準抗告せず、第5次保釈請求の準備にとりかかった。

公判前整理手続で証拠意見が確定、「事情変更」は明白

検察官は、6月23日に「証明予定事実記載書」を提出、7月3日には、弁護人の「予定主張記載書面」を提出した。7月7日の公判前整理手続の第1回期日で、弁護人は、証拠意見書を提出し、セレスポ社員K氏の供述調書1通についてのみ、陳述書を証拠請求して、検察官が同意することを条件に供述調書に同意するとしたほかは、検察官調書はすべて同意し、信用性を争う部分も、可能な限り特定した。

これらにより、公判前整理手続期日において弁護人が証拠意見を述べ、検察官請求証拠の大部分について同意が確定し、信用性を争う部分も明示し、検察官立証に関する争点整理も概ね完了したと考えられたことから、7月20日、第5次保釈請求を行った。

K氏の調書1通についてのみ、「陳述書を検察官が同意することを条件に同意」としたのは、電通の逸見氏との会食で、逸見氏から「組織委員会と電通で割振りをしている」と言われたことが、検察官の証明予定事実でセレスポと電通の意思連絡の重要事実と位置付けられていたので、改めてK氏に確認したところ、そのような事実は記憶もなく供述していないことであり、検察官に押し付けられ調書に署名させられたと説明したからだった。しかも、逸見氏の調書にも、その会食の際の発言などは記載されていなかった。

いくら、第4次保釈請求の時点で、「すべての検察官調書に同意する」と述べていても、そのような供述調書まで無条件に同意することはできないと判断し、調書の内容を否定するK氏の陳述書の同意を条件に調書にも同意することにしたものであった。

検察官は「弁護人の主張・証拠意見の変節」を主張

ところが、検察官は、保釈求意見に対する意見書で、

弁護人が、保釈請求書に記載した主張・立証の方針や予定を短期間のうちに大きく変節させている。

弁護人の証拠意見の変節からすると、供述人の陳述書や、信用性を争う理由を記載した報告書を弁号証として請求し、「検察官がそれらの弁号証を同意するのと引き換えに同意することとする。」などと対応を変節させる可能性がある。

などと述べ、「弁護人の公判前整理手続への対応も信用できない」としてきた。

K氏の調書に対する例外的な対応は、弁護人の公判前整理手続全般の対応に影響するものでもなければ、「弁護人の証拠意見の変節」などと非難される筋合いは全くなく、全くの「言いがかり」であった。

このような検察官意見が出されていることがわかり、K氏の調書に対する例外的な対応の理由を説明し、「弁護人の証拠意見の変節」など全くないと反論する意見書を提出した。

担当裁判官は、このような検察官の「言いがかり」を、全く意に介することなく、保釈請求書及び添付資料の「証明予定事実記載書」「予定主張記載書面」「予定主張記載書面(その2)」「検察官意見書」「弁護人意見書」等を踏まえて、保釈の可否の検討を行った。

7月25日、弁護人に、本件において弁護人として予定している証人尋問の範囲を確定する書面を受訴裁判所に提出することを要請した。これを受け、書面を受訴裁判所に提出した。

これによって、検察官の証明予定事実に対する認否、弁護人の予定主張の内容、検察官請求証拠に対する同意不同意、信用性を争う部分の特定は完了し、弁護人が予定する証人の範囲を確定する書面を裁判所に提出したことについて「保釈請求書補充書」を提出した。

こうして、第5次保釈請求については、請求から1週間かけて、担当裁判官が慎重に、検討と必要な対応を重ねた上、7月28日に、保釈許可決定が出された。

ところが、検察官は、準抗告を申立て、申立書で、求意見に対する意見書をコピペして、「弁護人の主張・証拠意見の変節」を主張した。弁護人の反論は全く無視していた。

同日、保釈許可決定を取消し、保釈請求を却下する準抗告決定が出された。

現時点において、具体的な争点や証拠調べの範囲等が定まったとはいえない

という理由が、「弁護人の主張・証拠意見の変節」についての検察官の主張を真に受けたものであることは明らかだった。

K氏調書についての検察官の“致命的な変節”

8月15日に第2回公判前整理手続が行われた。

第5次保釈請求の際に、担当裁判官の要請を受けて弁護人が提出していた書面に基づき、証人尋問の範囲が確認され、裁判所による争点整理も終了した。K氏については、検察官も陳述書不同意・証人尋問請求の意向を示していたが、調書と陳述書の不同意部分について検察官と弁護人との間で調整することになり、期日後の調整で、調書・陳述書の不同意部分が確認され、検察官も弁護人も証人尋問は請求しないことになった。

弁護人は、関係者間のメール連絡・面談・会議での発言等の客観的事実を争うものではなく、争点は、もっぱら、関係者の認識や発言の趣旨等の主観面に関するものと、法律上の主張であり、基本的に「口裏合わせ」「働きかけ」等の罪証隠滅が問題になるものではない旨、一貫して主張してきた。

それにもかかわらず、検察官は、「弁護人の主張・証拠意見が変節している」などと主張し、その中で特に強調したのが、K氏調書に対する弁護人の対応であった。検察官は、第5次保釈請求の際に「(検察官調書はすべて同意するとしていたのに)主要箇所で大きく相反する内容の陳述書の証拠調べを請求することで実質的にK調書を不同意とし」として非難していたのである。

しかし、第2回期日後、検察官は、K調書の内容を否定する陳述書をほとんど同意し、K調書の中で陳述書と相反する部分についても、弁護人の意見を受け入れて請求を撤回し、証人尋問も請求しないことになった。検察官は、証明予定事実の該当部分の立証を断念したことになる。それによって、「弁護人の証拠意見の変節」の主張が誤りであったことを自ら認めたに等しい。

弁護人が、そのようなK氏調書だけは、「検察官調書すべて同意」の方針の唯一の例外として扱ったのは、当然の対応だった。それを、検察官は、

《保釈を得る目的のために「真意」を糊塗して「偽装」した》

などと非難していたのである。

8月18日に行った第6次保釈請求では、第5次保釈請求での検察官の「弁護人の主張・証拠意見が変節している」と「言いがかり」をつけていたことを「むしろ、このような検察官の主張こそが、準抗告審の判断を誤らせる『偽装』と非難すべきものであると、厳しく批判したうえ、

前回準抗告決定が「具体的な争点や証拠調べの範囲等が定まったとはいえない」と判断する原因になったと考えられる「弁護人の主張・証拠意見の変節」の主張が、公判前整理手続をめぐる検察官自らの対応等から全くの誤りであったと判明したことこそが、同決定以降の大きな「事情変更」と言える。

と主張した。

そして、

求意見で、保釈に強い反対の意見を述べてくるとは思えないが、もし、検察官が、『保釈請求は却下すべき』などという強い意見を述べてきた場合、第5次保釈請求以降の経過で明らかになったように、検察官は、保釈請求却下のためであれば、事実の捏造・歪曲まで行う「おそれが相当に高いという前提で判断を行っていく必要がある。」

と述べ、第5次保釈請求に対する意見書で検察官が使った「(弁護人の証拠意見に)今後も同様の変節が生じるおそれが相当に高いという前提で判断を行っていく必要がある」という言葉を、そのままお返しした。

8月18日金曜日の午前10時までに提出した保釈請求書は、求意見書が添えられてすぐに検察庁に送付されたはずだが、検察官が裁判所に意見書を戻したのは、同日夕刻以降であった。金曜日1日かけ、検察内部で、対応を検討したのであろうが、月曜日に確認したところ、検察官の意見は、保釈は「不相当」とだけ書かれた穏当なものだった。

令状部の担当裁判官は、第5次請求と同じ裁判官だった。22日午前、保釈許可決定が出され、検察官は準抗告は行わず、同日昼過ぎ、鎌田氏は釈放された。

以上が、6回にわたる保釈請求でのバトルの末、鎌田氏が保釈されるまでの経過である。

それにしても、検察官は、なぜ、これ程までに「保釈阻止」にこだわるのか。

それは、特捜部が強引に立件した東京五輪談合独禁法違反事件に重大な問題があり、裁判での有罪立証が容易ではないと検察官自身が認識しているからである。裁判で堂々と勝負する自信がないので、ADK植野前社長のように「人質司法」によって無罪主張を抑え込もうとしているとしか考えられない。憲法32条で保障された「裁判を受ける権利」を侵害する行為にほかならない。

そのような検察の「非道」に唯々諾々と従い、保釈許可決定の取消しを繰り返してきた東京地裁刑事裁判部の対応には失望を禁じ得ない。

しかし、保釈許可決定の執行停止との関係もあって、僅か数時間で保釈許可の是非を判断せざるを得ない準抗告審にとって、検察官が待ち構えていたかのように提出してくる長大な準抗告申立書(第5次請求では1万8000字超)の中の「事実の歪曲、誇張、虚言」を見抜き、事案の内容・性格を正しく認識して、保釈の可否を適切に判断することが極めて困難であることも事実である。

特捜事件での「人質司法」は、裁判所にとっての「構造的な問題」ともいえる。

そうした中で、検察官の「なりふり構わぬ保釈阻止の姿勢」にも怯むことなく、事案の性格を見極め保釈の可否の判断に真剣に取り組んだ東京地裁令状部の裁判官たちは、絶望的な状況の中での「微かな光明」と言える。若手中堅裁判官の彼らが東京地裁の裁判長となる頃には、「人質司法」をめぐる状況も改善されることが期待できるであろう。

鎌田氏は、“196日間の死闘”に耐え抜いた。そして、東京五輪大会運営業務に一丸となって懸命に取り組み、やり遂げたセレスポ社員の名誉をかけ、これから、刑事裁判での検察との「真剣勝負」に挑む。

【保釈当日の会見の様子はこちら】