テスラ車が描く未来 vs. 売上日本一のローカルスーパーの世界観(前編)

倉本 圭造

jetcityimage/iStock

ここ一ヶ月ぐらい、時間を見つけて色んな電気自動車(EV)を一日乗り回していました。

なんでそんな事をしているかというと、以前書いたこの記事がネットで結構評判だったことがあって、あるウェブメディアにEVに関する記事の寄稿を依頼されてるんですよね。

で、私は自動車評論家じゃなくて経営コンサルタントだから、そういう視点が求められているんだろうし、別にわざわざ「乗ってみる」必要はないという感じではあるんですが、やっぱ実物体験したいよなと思って…

日産リーフ、BYDのATTO3、そしてテスラモデル3に乗って一日中あちこちでかけていました。

勿論、一日乗り回した程度ではわからないことも多くありますが、単に一回りそのへんを試乗した程度ではわからない事が、一日乗ってたら色々とわかる感じではある。

結論から言うとテスラ車の完成度の高さっていうか、とにかく製品として突き抜けてる感じにはメチャクチャ衝撃を受けました。こりゃ凄いなと。

ただなんか、物凄くクセの強い製品だとも思ったし、合わない人には全然合わないだろうなとも感じるところがあって、日本車が対抗できる余地はそういうところにあるかもね、という感じもしました。

私は自動車評論家でも自動車業界のプロでもないのでそういう視点では一般的なことしか言えませんが、経営コンサルタントとして色んな”業界”のあり方を横断的に見てきたところがあるので、

「テスラの凄さ」の背後にある「組織論・経営論的」な視点

…から色々考えてみると、何か他にない示唆が出せるのではないかと思っています。

それと同時に、ちょっと突然話が180度変わったように感じるかもしれませんが、たまたまこの『EV旅』のついでに豊橋のクライアント企業を訪問し、そこの経営者氏の友人がやってる「ローカルスーパー」が凄い…という話を聞いて色々と見てきたんですが、こっちもなんだか物凄く衝撃を受けたんですね。

それはクックマートというスーパーで、経営者の白井健太郎氏は最近本も出されています(この本めっちゃ良かったのでぜひオススメです)。

クックマートの競争戦略 ローカルチェーンストア第三の道

時間があえば白井氏ともお会いしたかったんですがすれ違いになってしまって、結局本を読んで店舗を見学してきただけですが、それでも「超凄いな」と思ったところがありました。

クックマートはローカルスーパーで、豊橋と浜松にしかないんですが、なんと”一店舗あたりの平均年商27億円は普通のスーパーの倍”らしいです。

食品スーパーなんて素人から見るとそんな「圧倒的な違い」とか出しづらい業態に見えるもので、しかも全国チェーンがひしめく中でローカルスーパーが「倍」も売り上げるとか尋常じゃないですね。

なんかね、実際行ってみたらもう店舗の「空気」が全然違う(笑)なんかピッカピカに輝いてるし、お惣菜とかフルーツサンドとか「これ目当てに来ちゃうよなあ」っていうフックが大量にある感じで。

「家の近くにこのスーパーあったらQOL爆上がりだな!」と思うほどで、道路からひっきりなしにクルマが入ってくる感じは一種異様なほどでした。

で、このメチャクチャ全然違う話題を並べて面食らったかもしれませんが、テスラとクックマートって凄い対照的というか、

・”グローバルな共通性”を徹底的に押し込んで来るテスラ
・”ローカルの特殊性”を徹底的に育て上げるクックマート

…みたいな感じだよなあ、と思うわけです。

私は、外資コンサルのマッキンゼーからキャリアをはじめて、今は「日本の中小企業」相手のコンサルタントをしているので、この「全く別個に動いている2つの世界」の状況を両方知っている立場にあります。

そしてその「2つの世界」をどう共存させ、あるいは少なくともお互いぶつかってしまわないようにできるか?がこれからの日本では非常に重要な課題だと考えています。

もちろん、「テスラに対抗する日本車メーカー」みたいな話をする時には、当然クックマートみたいに「どローカル」な発想をそのまま取り入れる事は規模的にできないし、ちゃんと「グローバル」の動向にキャッチアップしていくことは当然必要になってくるわけですけど。

ただ、日本メーカーが「テスラ」のような合理性をサクサクと実現できないのは、日本社会は社会のあちこちに「クックマート型で頑張ってる人たち」がいて、彼らの論理と「グローバル」が真っ向からぶつかってしまうがために、押し合いへし合いになってしまう事が原因なんですよね。

だから、日本メーカーが「テスラ型の合理性」をキャッチアップしようと思ったら、「クックマート型の優秀性を支える部分」と、何らかの「違いを超えた連携」を考える必要があるんですよ。

それは、

・「クックマート的な美点をグローバルに転換するWin-Winの協業」ができれば理想

…ですが、そこまで行かなくても、

・「日本社会におけるクックマート型の美点」を破壊してしまわないようにお互い”住み分ける”ことさえできれば、そこから先は「必要なグローバルな合理性」を導入することもサクサクできる

…ようになるのだ、という話でもある。

私はこれを、「水の世界の論理(グローバルな透明性の高いロジックの世界)」と「アブラの世界の論理(ローカルな生身性の延長にある現場の論理の世界)」をいかに溶け合わせ、協業させるかが大事なのだ・・・というような話だと呼んでいます。

というわけで、「テスラの凄さってどういう風にできてるのか?」の考察から、一方で「クックマートの凄さ」も分析しつつ、その「板挟み」状態になる事が多い日本の大企業みたいな存在は、これからどういう風に自分たちの強みを発揮していったらいいのか?について考察する記事を書きます。

テーマがもりだくさんすぎてちょっと長くなるかと思いますが、あまり他で読めない視点になるかと思うのでぜひ最後までお付き合いいただければと思います。

1. BYDはまあ普通(ただし値段は脅威)、テスラは「モンスター級の製品」

テスラに乗る前日はBYDに乗ってたんですが、これもなかなか印象的でした。

長文ツイート(Xポスト)で感想書いてて結構評判だったので、ご興味があれば以下をクリックして読んでみていただければと思いますが。

BYDは既にEVでは世界2位、EV以外を含めたランキングでもスズキとBMWに次ぐ世界11位の巨大メーカーになっていて、一昔前の偏見的に「中華製品だからチャチなハリボテだろう」みたいなことは一切ないです。

そういうナメた態度を取るのは命取りなレベルになっているというか、そりゃ中国政府に対して言いたいことは山程あるでしょうし言うべきことを言っていくべきですが、普通の中国人の多くには罪が無い事も多いですし、なにより「コレ」と日本車は世界中で戦わないといけないという厳然たる事実があるわけですよね。

だから「どうせ中華製品なんて」みたいなナメた態度はさっさとやめなきゃいけない時代になってると思います。

特に、ナビや空調や音楽再生なんかのコントロールに使うタブレット部分の操作感はどの日系メーカーのものより圧倒的に良く出来てる感じがしました。

さすが「13億人のスマホ中毒者」市場で勝ち残ってきた”王者”という感じで、「そこ」はちゃんと対応しないとマジでヤバい。

とはいえ、「自動車としての乗り心地」みたいな話で言うとまだまだ伝統メーカーにアドバンテージがある感じでもあって、その事の詳細は上記の長文ポストに書いたので読んでみていただければと思います。

このBYDは、そんな「無茶苦茶凄い製品」という感じというより、

「当たり前のことは当たり前に出来て、ナビとかの操作感は抜群みたいな製品が、同クラスの日本車の価格帯よりも100万円とか安く出される事の脅威」

…みたいなものだと思います。

その価格差を正当化できるだけのプラスの価値を提供できるかどうか。日産リーフが苦戦するのもよくわかる。

この『安さ』の理由がどうもちょっとよくわからない感じではあって、無理してダンピングしてるのか、それとも何か構造的な優位性の構築に成功しているのか、ここはちょっと詳しい人が徹底的にリサーチしておくべき分野だと思います。

ともあれ、BYDの話は今回のメインではないのでその辺にして、テスラの話をしたいわけですが。。。

一方で、テスラっていうのは、新興メーカーとはいえ、もう圧倒的に横綱級の製品という感じで、「伝統メーカーならではのアドバンテージ」なんてもうほぼ無いと考えた方がいいぐらいの製品だなと感じました。

よくテスラの特徴として言及されるような、スマホが鍵になってて、アプリで遠隔操作出来て…とかそういう「面白いギミック」部分だけじゃなくて、「クルマとしての出来」がもう既にモンスター級というか、無茶苦茶凄かったです。

2. 100キロから120キロに加速しても、全然余裕のモンスターマシン

さっきの長文ツイート(Xポスト)で書いたように、BYDは結構100キロ超えるような速度を出すと怖い感じではあったんですよね。

車体が単純にできてて、「ねばったりしなったり」するような余力がないので、負荷がかかるような走行シーンだと乗り心地がかなり微妙になる。

「そういう部分」は伝統メーカーの方がやはり相当蓄積がある感じがあったんですけど。

テスラ車は、一番安いモデル3でも全然そんなことないです。

よく言われてるスマホとの連携とかソフトウェアアップデートがどうこうとか、自動運転がどうこうとか、そういうギミック部分とは全然関係ないところで、「クルマの基本性能」的な部分でも全然敗けてない。むしろほとんどの伝統メーカーに勝ってる感じすらある。

120キロ制限の高速で、100キロぐらい出してる時でも、さらにもうちょっとアクセル踏めばなんの問題もなく120キロまでキュン!と加速します。全然不安感ない。

昔の少年ジャンプ漫画で、「戦闘力たったの5か、ゴミめ」とか「今のはメラゾーマではない、メラだ」とか、なんかそういう「圧倒的なパワーの違い」を演出するシーンってあったと思いますけど、テスラ車って100キロから120キロに加速するようなシーンでも、「全然本気じゃない」感じなんですよね。

いわゆる「ベタ踏み」のはるか手前ぐらいの、2センチ踏み込みを3センチにしましたぐらいで十分そこまで加速するし、車体の粘る感じも十分にあって、ベタな表現をすれば「地を這うような」加速をします。

なんかもうその時点で「圧倒的」な感じで、「新興メーカーなりのチャチな感じ」とかは全然ない。

まずそこが驚愕でした。こりゃ世界中に強烈な”信者”を生み出すのもわかるわ、という感じ。

3. 「スマホを作るように自動車を作る」というより「ロケットサイエンティストが集まって作ったマシン」という感じ

電気自動車の時代になると部品さえあれば「組み合わせ」でクルマが作れるようになり、「すりあわせ」での細部の調整が必要なくなるので既存の伝統自動車メーカーのアドバンテージがなくなるのだ…っていうのは言い尽くされてる話ですよね。

つまり、これからは「スマホを作るように自動車を作る時代なんだ」っていう話ね。

ただ、BYDのクルマにはまさにその「スマホを作るように自動車を作る」を感じたのは確かなんですが、テスラはなんか全然そんな感じじゃなかったんですよね。

「ロケットサイエンティスト」っていう言葉が英語にありますけど、これは単に「ロケットの技術者」っていう意味じゃなくて、「理系の凄い天才的な人材」の事を指す言葉なんですね。

ここ20年の色んな映画とかドラマとかで、MIT(マサチューセッツ工科大学)とかを飛び級で卒業していて、なんかあったら突然ペーパーナプキンとか窓ガラスとかに数式を書き始める天才キャラっているじゃないですか(笑)

僕は見たことないからよく知らないけど、福山雅治が演じてた「ガリレオ」とかもそんな感じでしたよね。

なんか、テスラ車はそういう「ロケットサイエンティスト」気質の人が集まって作った自動車、という感じがありました。

要するに、「凄い頭良い人だけを集めて、その内輪で全部決めて作った」という感じの合理性が溢れてるんですよね。

4. 「ペーパーナプキン試算」型合理性

さっき、「MITを飛び級で出てて突然カフェの紙ナプキンに数式を書き出すタイプ」みたいな話をしましたけど、テスラってなんかそういう「ペーパーナプキン試算」型の合理性が満ちてる感じがするんですよね。

普通の人はあまり日常生活で出会わない感じではありますが、いるところにはいるという話で、「ある種の理系の天才人材」ってやっぱ本当に凄いなと思うところはあるんですよ。

外資コンサルの入社試験の「フェルミ推定」ってありますけど(日本にマンホールは何個あるか試算しろみたいなやつ)、アレのもっと高度なバージョンを当たり前のようにやって生きている人が世の中にはいる。

私の知り合いで、例えば「コロナによる経済活動の停滞が地球温暖化に影響する度合い」とかいう巨大で複雑な現象でも、(実際にペーパーナプキン使うかは別として)適宜検索しながらサクサク計算して自分なりの仮説を持つような人がいて、「すごい人はすごいんだなあ」と驚愕したことがあります。

テスラ車の「120キロ出しても全然平気な車体の出来」みたいなのも、ほんと「必要十分」にそう設計されてるという感じで、日本車や欧州車の一部にあるような「それを作り込むことに命かけてる」みたいな感じでは全然ないんですよ。

むしろ「大気圏突入するロケットの耐熱要件を定義する」とか「月面探査船に必要な最大スペックを見積もる」とか、なんかそんな感じで出来ているイメージ(笑)

コスト面も十分考えつつ、「せいぜい最大でも整備された陸上を150〜200キロで走る程度ならこの程度の剛性感があれば人間は不満を持たないだろう。別にこれで大気圏突入するってわけじゃないんだし」というレベルに作り込んで、そこから先はもう深追いせずにむしろ「そのレベルをキープしながら製造コストを削減する方法」に全力を尽くしている感じもある。

別の例で言えば、テスラのイメージからすると凄い「意外」な感じなんですが、これは色んなテスラオーナーが言ってることだし私も実感しましたけど、テスラ車ってオーディオの音がなんだかめっちゃ良い気がするんですよ。

それも、伝統メーカーが高級オーディオメーカーと協業して云々、みたいな話とは別に、

  • 全体のコスト構造の中でオーディオは必要コストの割にお金をかけるとユーザー満足度が高い領域だという判断でケチらずおカネかけている
  • 車体のパッケージの設計の段階で、「良い音響」になるように配慮されて設計されている可能性も?

…みたいな、「ペーパーナプキン試算型合理性」が歪められずにそのまま製品に反映されてる強み、みたいなのを感じました。

要するに「めっちゃ頭良い人が集まって、”鈍い人”の意見は完全にシャットアウトして作った」のがテスラ…みたいなところがあるんだなと。

では日本車は、いったいこの「ロケットサイエンティスト型製品」にどうやって対抗していけばいいのでしょうか?

5. 「ロケットサイエンティスト型製品」の特徴は後追いでパクるしかない

テスラの「ペーパーナプキン試算型合理性」に対して、他のメーカーはどう戦っていけばいいのか?っていう話で言えば、

「テスラが提示する合理性」は必要ならだいたいそのままパクる

…ぐらいの姿勢が必要だと思います。

でも、単に「パクる」だけじゃ勝てないわけですけど、テスラみたいに「ロケットサイエンティストに全権を与える」と、そのプロセスで排除してしまうものもまたあるんですよね。そこが反撃ポイントでもある。

要するに、「ペーパーナプキン試算」みたいなレベルの話を直接やりとりできるロケットサイエンティスト”だけ”を集めて、その内輪で全部決めて実装していくと、ぶっちゃけ

『アホは黙って言うことを聞け』

…という世界にどんどんなっていくので、あまり現場レベルの工夫を吸い上げて云々、みたいな事はほぼできなくなってくる。

で、そういう方式は、今みたいなEVの黎明期で「全く新しい分野においてザックリした最新の合理性を描いていく」フェーズではいいんですが、だんだん「定番」の工夫がシェアされてくると、その「ザックリした合理性」以上に追い込むのは難しい感じでもある。

テスラが導入した「ギガキャスティング」という製造手法をトヨタは今後丸パクリに真似する予定なんですが、「コンセプト」は丸パクリにしつつ、トヨタはトヨタなりの「現場レベルの工夫」によってそれをさらに熟成し、同じかそれ以上のコスト削減効果を生み出そうとしている。

「こういう対策」が、「テスラ型の強み」に対する日本メーカーの対処としては基本になってくると思います。

スマホが鍵になっていて…みたいなアレコレの細部についても同じで、「斬新なイノベーション」を生み出すための組織構造から出てきた「アイデア」は丸パクリにして、「地道な組織力」でそれをちゃんと実装する…という戦略が基本になってくるはず。

人間には色んな「知性」の形がありますが、「ペーパーナプキンに数式を書いて議論する」のは苦手でも、冷蔵庫の残り物を適切に組み合わせて手順良く美味しい料理を短時間で作るのは断然得意な人もいるわけですよね。

前者も人間の大事な「知性の一側面」だし、後者も人間の大事な「知性の一側面」なんですよ。

テスラ型に「ロケットサイエンティスト以外完全排除」にしていくと、「ペーパーナプキン試算型の合理性」を縦横無尽に実装することは可能になりますが、その先で「現場レベルでの工夫の余地」も排除されてしまいがちになる。

結果として、ギガキャスティングで製造コストを削減できたのはいいが、故障を修理するのがめっちゃ難しい構造になって世界中から文句言われていたりする。

「ギガキャスティング」という新しい発想を、トヨタ的な足腰の深い多くの技術者が突き回して、「現実的にちゃんとフィットする」形にアップデートして追撃していけるかどうか。

「そういうサイクル」を徹底的に高速で回していけるかが、日本メーカーの「鈍さ」ゆえのアドバンテージを活かせる領域になるだろうという感じですね。

今は「そのサイクル」がなんかしょうもない仲間割れみたいなのでガタガタになってるので、そこで「合意の基盤」を作り上げて高速にキャッチアップし続けられるかが大事ですね。

多分、過去5年ぐらいは日本メーカーの側が明らかに「テスラをナメていた」ところがあって、「テスラのどこが凄いのか」を理解している人から見て「わかってない!」という不満から強く主張する事が必要だった時代だったと思うんですよね。

しかしトヨタも社長を変えて明確に追撃体制に入った段階にあっては、今後

・「信者」みたいな人ではなくちゃんとEV動向に詳しい人
・日本の自動車業界の中でちゃんと物事が見えている人

この↑両者の間での情報共有は円滑化していくでしょうから(というかそうしないとヤバい)、その中で明確で合理的な「後追い戦略」をスムーズに実行し続けられる環境を作れるかが重要ですね。

6. 「説教されない乗り心地」

また別の視点ですが、テスラの「ロケットサイエンティスト型製品」のメリット&デメリットは、『乗り心地』みたいな点でもかなりあるはずだと私は感じました。

なんというか、もう完全に「神様である設計者が設計した通りに乗りなさい」という感じで、ある意味で身も心も捧げるぐらいのコミットをしないと「快適」には乗れない感じにどうしてもなるんですよね。

要するに、テスラ車って、もう「テスラの設計者」の指示どおりに着座して、設計者の意図どおりに運転するようにできてるんですよね。

これは、ちょっとマック製品(Apple・iPhone)の感じに近い、というか「”身体レベル”で細かく指定される感じ」はマック以上だと思います。

MacのOSアップデートがかかるたびに、いわゆる「プロ驚き屋」さんというか、そのどこが斬新なのかとか、「超使いやすいです!さすがMac!」っていうYouTube動画めっちゃ上がってますよね。

なんかそのレベルで「コミット」し続けないと、なかなか楽しめないところがある。

自分はまあそういうのも嫌いじゃないタイプの人間だから、もし本当に「自分のクルマ」として購入したら楽しめそうではありましたけど、こういう「正しさの押し売り」が嫌いな人は嫌いだろうな、と感じるところもありました。

なんか対照的だな、と感じるものとして、私は今自分のマイカーを修理に出してて、代車にホンダのフリードという「ザ・ファミリーカー」みたいなのを借りてるんですけど、これとかほんと「熱烈なファンがいるのもわかるな!」という感じなんですよね。

車種違いますが、以下のCMみたいなテイストが全開になっている。

なんか、運転席と助手席と後席の間が完全にフルフラットになってて歩き回れて、多分犬とか載せたら自由に動ける感じで。ハイブリッドで無茶苦茶燃費もいい。細かい電装品とかが「ちょっとやそっとでは壊れません」的な日本クオリティもある。

座席もなんというか「良い意味でテキトー」に作ってあるので、マイルドヤンキー風にメチャクチャ行儀悪く乗ったり、几帳面なマイホームパパ風に律儀に乗ったり、自由自在にできる。

ホンダのファミリーカーは「一つの極端な例」ではありますが、この「わきまえてる」というか、「上から目線で説教してこない」というような操作感って、それを重視したい人にとっては案外かなり大事なことであるように思います。

アメリカ人は案外「ベスト・アンド・ブライテスト」みたいな事を考え始めると「唯一の正解」みたいなのを追い求めがちなんですよね。(で、逆にそれを嫌がってとにかくカオスに”俺流”を求めてムチャをやる人が一億人単位で出てくるという感じ)

僕個人はそういう「頭良いアメリカ人が考える最適」みたいな方向性があまり嫌いではないタイプで、iPhoneもMacも使ってるし、例えば仕事用の椅子は「アーロンチェア」だったりしますけど、この「唯一の正解に合わさせられる感じ」が嫌いな人いっぱいいますよね。

結局iPhoneのグローバルシェアは25%程度でしかない。Macは15%ぐらい。

「設計者の言う通りにさせられるストレス」を感じる人って世の中案外たくさんいるんだなという感じ。

「アーロンチェア」は仕事中には凄いいいけど、これに座って「くつろぐ」とかは考えられなくて、普段はソファにひっくり返ってダラダラしたい自分もやはりある。

そのあたりで、「テスラ型の製品になじめる人とそうでない人」という天井は、そのうち出てくるんじゃないか、というのは非常に感じるところがありました。

これは、なんか「修理」とかその他のアフターサービス部分とかで、かなりテスラには「殿様商売」的なところがあって色々悪口言われてる部分や、色んな新しい機能の「安全性検証」的な部分がちょっと甘いんでは?みたいな部分でも同じ問題がある点のように思いますね。

7. テスラ車はどこまでシェアを伸ばすか?

電気自動車に限らず、自分のクルマを買う時にも色々な車種を乗り比べてみて思ったことなんですが、クルマはスマホ以上に「ハード」部分の違いが重要で、「ファンが多い車種」というのはそれぞれちゃんとその魅力を共有している強固な共同体みたいなものがあるんだな、ということなんですね。

ハチロクにもスイフトスポーツにもマツダ3にも、ステップワゴンにもプリウスにも、それぞれ「全然違うカルチャー」のファン層がついている。

その「差」は、iPhoneとエクスペリアとギャラクシーとピクセルの違いなんかよりももっと圧倒的に大きくて本質的なものだと思います。

勿論今後「ソフトウェア」の重要性は上がって行くとは思うものの、それでも残るこの「ハード」部分の違いの重要性を考えると、

「iPhoneシェア25%→Macシェア15%→テスラシェア15%より下のどこか」

…みたいな感じで、「アメリカ型のベスト・アンド・ブライテストを押し売りする」商売の天井というのはあるんじゃないかという個人的な感じがありました。

とはいえ、今の世界一の自動車メーカーであるトヨタの世界シェアが13%なので、「それぐらい」になっても驚かないかもしれない、という感じではあります。

テスラ自身は最終的な台数目標を2千万台とかにしているらしく、これはかなり無理があるようで、上記の”iPhoneぐらいのシェア”を目指すのだ、という話であればギリギリ荒唐無稽とも言えない数字かもしれません。(というか、ざっくりiPhoneぐらい取るぞ、という計算から弾いた”そのままの数字”という感じがします)

ただ、「今」はぶっちゃけ「信者さんのみ」を相手にしているビジネスだから見過ごされていることが、今の倍、三倍、四倍…と売っていくにあたってどこかで大問題になる可能性はかなり高くて、10年ぐらい前のトヨタみたいな品質問題で大きな危機を何度か乗り越えることになるのはほぼ不可避というようにも思います。

そういう「危機」を乗り切る時に、トヨタの場合「世界中に張り巡らされたディーラー網」的な人間関係が「アブラ」側の論理でガッチリあったことが大きな助けになりましたけど、基本的に「水」側の論理でしか動いていないテスラが、そういう「危機」を乗り越えるのはあまり簡単なことではないようにも思います。

ともあれ、その「最大限売りまくってiPhoneのシェアぐらい」まで行くミラクルを実現できたとしても、単にそれだけで終わると、今のトヨタの4倍にもなる時価総額はあまり正当化されない感じではあるんですよね。

そこは、むしろ「単なる自動車メーカー」とはいえない部分で、利益をかき集める事の期待感が、あの時価総額だということなのかなという感じがする。

以下の記事で、イーロン・マスクが凄いのは、「技術の選定力」もさることながら、ものすごいオリジナルな「ビジネスモデル構築力」なんだ、っていう話をしました。

社会はイーロン・マスク的天才をどう受け止めるべきか?日本が参考にすべきイノベーションとは?|倉本圭造
トップ画像は今記事で紹介するアシュリー・バンズ著の『イーロン・マスク 未来を作る男』より ・ 2022年を通じて、それまでに比べてかなり大きな存在感を良くも悪くも世界に知らしめたのがイーロン・マスクだと思います。 5年前ぐらいに想像されていたのとは全然違うスピードで世界的に電気自動車が普及しはじめているのも彼なし...

彼が最初に起業したペイパルっていうシステムを私は結構長いこと使ってるんですが、「同業他社」と比べて決済手数料がめっちゃ安いんですよね。

「その安さ」を生み出している理由について、上記記事では詳細に書いてあります。

問題は、その「ペイパルの強みの源泉」って、多分テスラ車の技術的先進性に熱中してるようなタイプの人が聞いても「ふーん」で終わるような何気ない部分なんですよね。

でもイーロン・マスクは「そこ」の事を全く関係ないテーマのインタビューでもメチャクチャ熱弁して語るタイプの人で、「その感じ」は、僕が普段接する「中小企業のやり手経営者の感じ」に近い部分で、そこが妙に恐ろしい感じではあります。

「小銭をかき集める執念」みたいなのが、夢を語ってれば赤字でも許される「ベンチャー」文化出身の経営者とは全く違う。(同時に赤字を許容させる文化も最大限に利用してますが)

「必死に製造行程を工夫して1%の利益を絞り出す」伝統メーカーをよそに、車体OSのデファクトを取るとか充電設備の運営だとか環境対策クレジットの販売だとかで、簡単に5%とかの利ざやを抜いていくような、そういう部分こそが、テスラの「もう一つの警戒しなくちゃいけないポイント」だなと思います。

その点も、日本メーカーはかなり意識して、「テスラに取られない防衛」と、「自分たちなりの攻撃」を真剣に考えるべきポイントになるでしょう。

8. 電気自動車の未来について

さて。

ここまで、「電気自動車」の話ばかりしてきましたが、この話になったらいつも「EVはどれぐらいのスピードで世界を制覇するか」みたいな神学論争になるんですよね。

これはもう本当にはわからん、としか言いようがないです。

ただ、例えばTwitter(X)とかが炎上したりする時の事を考えると、キレイに同心円状に、「出会う人間のタイプ」が変わっていくのを感じるじゃないですか。

「数百いいね」ぐらいになるまでは「自分と近いタイプの仲間」にしか出会わないけど、「千いいね」を超えて、「一万いいね」ぐらいになると、有象無象の「今まで出会ったこともなかったタイプの人」に出会って色々と考えもしなかった攻撃をしかけてくる。

これが「十万いいね」になると、もうある意味でメチャクチャな言いがかりみたいな話も含めて想像を絶する色んな反応が殺到するようになる。

「商売」でもだいたい同じことは起きるんで、EV全体の市場シェアが10%とか20%とかの間では、ある意味で「信者」しか相手にしてないので、色んな不具合も不満も見過ごされてるし、「アンチEV」派が何か言ってきても「結束して対抗してやろう」ぐらいの仲間感がある。

一方で、これが、30%を超え始めたりすると、「電気自動車対内燃機関」みたいな論争とかまっっっったく興味ない人がお客さんになっていくわけで、そういう人は、顧客体験として「良い」と思えばそのまま残るし、微妙だと思ったら即離れていってしまう。

「今の調子で一気にEVに置き換わる」と言っている人は、そういう側面を無視しているのではないかと思います。

ただ、自分は電気自動車は「反EV派」が言うほどには不便だとも思って無くて、現時点でも「家で充電できる」人は案外フィットする可能性はかなりあるはずです。

さっきも貼ったBYDに乗った感想としての長文ツイートにも書きましたが、だいたい以下のような感じではあると思う。

上記ツイートより引用)

私は自分の持ってるクルマはマニュアルシフトのエンジン車という絶滅危惧種人間なんですが、電気自動車の加速感とかは嫌いじゃないです。これは結構「走りとかどうでもいい」って言ってる現代人も実は大半は同意する感覚じゃないかと個人的には思っています。

「走りの味」って言うとマニアックな趣味人の話みたいに聞こえるけど、例えば(高速でなくても40キロで走ってる町中で)自分の走行車線の前が詰まってきた時に右車線チラ見したら空いてて、ちょっと加速して追い越したいな…みたいな時に、ちょこっとアクセル踏んだら「キュンッ!」って加速して右斜め前の空いてる空間に飛び込めるのとか、エンジン車でやろうとするとちょっとした運転テクがいると思うけど、電気自動車ならだれでもできる。

『バスケットボールの凄い選手がディフェンダーをかわすスーパープレイ』、みたいな感じ?

スラムダンクなら「ズバッと来たぁ!」って観客が叫ぶw

「この快感」は、単純に、「走りとか興味ないですぅ」って人も結構単純に好きになれる感じではあると思う。

他にも、電気自動車はアイドリングしないで停止状態で中で色々やってても迷惑かけないので、テスラを「シアタールーム」として使ってるみたいな話はよく聞きますし、個人的にも「おでかけ中にクルマの中で長居しちゃう」経験とかは色々しました。

ガソリン車だと、高速のサービスエリアで外歩いて休憩して、クルマに戻ったらすぐ出発って感じになるけど、電気自動車ならなんか停止状態のクルマの中でダラダラしちゃう感じ(笑)

そういう意味で、想像以上に「あるタイプの消費者」には熱烈に支持されるポテンシャルはあって、日本国内でもどこかのタイミングで大ブームになって2割3割のシェアになる可能性は十分あると同時に、「逆の考えの消費者」には嫌われ続ける…みたいな、ある意味当たり前の未来を感じるところがあるんですよね。

個人的な予想としては、一部の先進主義者が言うように2035年に全部EVになるっていうのは、例え国家的にEVを推し進めまくってる中国でもちょっと難しいのでは?と感じると同時に、2050年に全世界的にEVがほぼ主流になる未来には違和感がない…という感じでいます。

2050年頃になれば「発電部分」からして全世界的にかなりエコ化は進むと思うので、その頃になったら「EVがエコ」があながち嘘ではなくなるからですね。

一方で直近での自分個人を考えると、マニュアルのガソリン車が気に入ってるという絶滅危惧種的問題もさることながら、とりあえずEV買うには引っ越しからはじめないと(笑)という感じで、やっぱり自宅で充電できないのにEVっていうのはほぼ無理筋だと思いますし、世界中の都市部で、これは案外最後まで重大な問題として残るのではないかと感じています。

そりゃ金持ち地区にはマンション内にもバンバン整備されるでしょうが、そういう「自宅で充電できる設備」が、それぞれの国で経済的に比較的余裕がない層まで行き渡るのか?っていうのがポイントで。

「今まではクルマ持てていた層」がめっちゃ限定されてしまうみたいな現象が起きた時にそれを政治的に許容できるのか?みたいな話もまた出てくるように思います。(特にそういうので文句言いがちな米国でいつかのタイミングでめっちゃ大問題になりそう)

9. 「水の世界」と「アブラの世界」の相互コミュニケーションが今後の日本の鍵

そういう未来に向かって、日本車がどう対抗していけばいいのか?っていう話なんですが。

とにかく「水の世界」と「アブラの世界」の間のコミュニケーションが絶望的に悪い状況をなんとかしないとどうしようもないな、と思います。

テスラファンの人が、「テスラのここがスゲー!」って言ってる”情報”自体は、スムーズに取り入れられる事が必要ではあるんですよ。BYDとかヒュンダイのアイオニックでも同じで、それを買ってる人が「それを買った理由」自体には虚心坦懐に向き合わないとダメ。

…なんだけど、現状のテスラファンはかなり「信者」レベルの人も多くて、日本メーカーが「長期的戦略としてやっていること」まで全部全力で否定してテスラみたいにやらないのはダメ、数年後には日本メーカーは滅ぶ…みたいな話ばかりしていると、「取り入れる」にも取り入れようがなくなるみたいなところはあるんですよね。

電気自動車戦略に関しては、

・現状日本メーカーが出遅れがち(明白)
・たとえ全部EVにならないとしても規制対応などの理由で「ちゃんと戦えるラインナップ」を最速で用意しないとマジでヤバい

…みたいな事は、ある程度自動車業界を知っている人間にとっては、ほぼ「当然」の前提みたいになりつつあるので、

・果たして2035年に全部EVになるのかどうか

…みたいな、誰も知り得ない神学論争みたいなものは、とりあえず棚上げにして、「意見が共有できる部分だけで共有する土台」を作っていくことがまず大事だと思います。

「急激に全部EVにはならない」可能性だって十分あって、「二正面作戦」をやる意味はやはり必ずあるわけなので、そこの「戦略」の部分は、EV原理主義者もまあ「現時点ではとりあえず否定しない」という前提で話すのもそれほど無理筋ではないはずで。

勿論あくまで「EV一本足打法以外認めない」という論者もいていいけど、そういう極論家とは別に、「ある程度EVの事を知っている人」と「日本メーカーの事情がわかっている人」が、がっぷりと情報共有しあって進む道を適宜決めていく土台を作っていくことがまず大事なことだと思います。

ここに「感情的なコジレ」が残っていると、情報のやりとりがスムーズにいかなくて日本勢のEVづくりの細部設計が「EV乗りのニーズ」からズレるっていうのもありますが、そもそも今後10年単位で日本は「ハイブリッドやエンジン車で儲けたカネをEVに投資する」をやり続けないといけないわけですけど、いちいちお互い馬鹿にしあってたらそういう部分ですら感情的な火種になってしまいますからね。

そうやって「直近のEV競争」には、勝てなくてもいいから「負けない」状態までなんとか行く必要は絶対的にある。

そこで「まあ敗けてはない」状態にまで行けたら、その先は日本勢の「みんな」へのアブラの世界的な繋がりが切れていない事のアドバンテージが見えてくるでしょう。

ウェブメディアからEV記事を依頼される元になった以下の記事

note ――つくる、つながる、とどける。

で書きましたけど、私は「水素」関連のエコシステムが立ち上がらないと、本当に人類全体レベルでのエコ化とか無理だと思ってるんですよね。

でも、ある意味で「単純な技術効率」みたいなことを考えると水素って「アホっぽく」見えるんですよ。めっちゃ無駄なことをしているように見える。

でも、人類の歴史の中で「通貨」という制度を維持することにメチャクチャ資源もエネルギーも浪費してますけど、あるのとないのとで社会の発展が全然違ったじゃないですか。

上記記事で使った図ですが…

この図の内容については上記記事で詳しく述べたのでぜひそちらを読んでいただきたいですが、「水素エコシステム」はそういう「カネに色はついてない」レベルの全く違う次元の協業を可能にするので、最終的には必要になる技術セットなのだと私は考えています。

こないだネットであるエコ系技術の研究者の人が、「水素は現時点で技術的には有望性はないが”政治的な理由”で推進されがち」って言ってて面白かったんですが、「そういう現状」自体が実は、「テスラ型の頭良い人の内輪に閉じた技術セット」では救いきれない側面を救うためにどうしても出てくる領域ってことなんだと思うんですよね。

水素に投資し続けてきたトヨタが、その「水素関連の技術」をBtoBに提供するビジネスが徐々に動き始めている、という話を聞きましたし、「テスラ型のロケットサイエンティストだけで閉じた未来」が将来的に「本当の人類社会のナマのリアリティ」とぶつかって足りない部分が出てくる時、トヨタ型に「みんな」と切れていないカルチャーから生まれてきたものの優位性が明らかになってくる未来は来るはずだと思っています。

でもそういう「全方位戦略の本当の優位性」「”みんな”への責任が持つ価値」みたいなのは、「とりあえずのEV戦争」にある程度「惨敗しないレベル」まで戦えないと絵に書いた餅になってしまうんですよね。

「正しいことをしたければ偉くなれ」というわけで、その「日本側が主張する本当の正しさ」を世界に堂々と展開するには、「直近のEV競争」で「圧倒」はできなくていいが「惨敗」だけは必死に避けていかなくてはいけない、ということではあります。

その点において「直近のEV競争で負けないための戦いはガチでやらないとマジやばい」のはEV賛成派・反対派問わず合意できるポイントだと思うので、無駄な言い争いをしてないで、そこの部分を曇りなき共有視野の中で冷静に議論できる環境になっていけばいいですね。


長い記事をここまで読んでいただいてありがとうございました。

とりあえず「テスラ」とか「EVの未来」みたいな話はここで終わりです。

ここから先、日本国内での「水とアブラ」の間の論争をもっとスムーズに双方向的に行えるようにしていくために、「クックマート」型の経営のあり方とのコンビネーションが重要になるのだ、という話を、「後編」にまとめます。そちらもぜひお読みいただければと思います。

また、人類社会の分断を超えるような、「日本発の新しい希望の旗印」をどうやって掲げていったら良いのかという話については、以下の本をぜひ手にとってみていただければと思います!

日本人のための議論と対話の教科書

さて、ここ以後の有料部分では、もうちょっと現代の「EV」の乗り心地とガソリン車との違いについて考察したいと思っています。

テスラ車は性能としては抜群に凄いと思ったけど、操作フィーリングとしては日産リーフに、「ガソリン車からの延長」で感じられる良い文化を感じるようなところもあったんですよね。

それは「クルマの重さからくる慣性」みたいなものをいかに取り込むか、みたいな部分で、現代のEVの一部はそういう部分を一切運転者に感じさせないように、「全部意識的にコントロール」する形の設計になっているところが、ちょっと個人的には不満というか、最後まで多くの人に違和感として残る部分ではないかと思うところがあるんですよ。

その後、マニュアルのガソリン車である自分のクルマに乗ってると、「全部コントロール」する感じじゃないフィーリングに凄い安心するんですよね。

一速で始動したあと、その「エネルギー」は「重い車体が動く慣性の力」として、自分とは別個の存在として保存されるわけですよね。

そして、「車体の重さ分の慣性の力」が与えられて進んでいく状態を感じながら、適宜「ちょっと駆動力を足す」→「慣性で動く」→「駆動力を足す」→「慣性で動く」って感じになるんで、「全部コントロール」してる感じじゃないフィーリングが、やっぱり個人的には凄く落ち着くというか、「無理」をしないでいられる安心感みたいなのがあるんですよ。

「クルマという”他人”」の声を聞きながら、「あ、もうちょっと駆動力必要?じゃ足しとくねー」「ありがとうー(byクルマ)」みたいなコミュニケーションが常にある感じというか。(日産リーフにはちょっとこういう要素が残っているようにも思いました)

一方で一部のEVは「こういう関係性」が一切なくて、「自分という神様」の言うとおりに「車体を”使役”し思い通りに動かさせる」という感じで、そのフィーリングが自分はかなり怖いなあ、という気持ちになったんですよね。

そういう意味では、テスラ車に一日中乗ってると、なんかだんだん運転が荒くなってくるっていうか、「悪魔との契約でスーパーパワーを与えられた凡人がだんだんダークサイドに堕ちていく」ような気持ちにもなったというか(笑)

そういう視点から、テスラユーザーの人がやたら他の車種をディスりまくるようになりがちなのも、この「悪魔との契約」的要素があるんじゃないか、みたいな、なんかそういう話をします(笑)。

つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。


編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2023年8月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。