押し付けられる親切は迷惑である

黒坂岳央です。

まるでケンカを売るような記事タイトルだが、自分はあらゆる善意を否定したいわけではない。善意の多くはよかれと思っての親切であり、相手の気持ちを組んで丁寧にお礼の気持を伝えるべきだ。

しかし、こと善意の押しつけが始まった時、ありがたさは迷惑に変わる。気をつけるべきは、知らず知らずの内にそのような押しつけをしてしまっていないか?ということだ。自分を省みる意味でもこの場を借りて言語化しておきたい。

Mladen Zivkovic/iStock

YouTubeの過剰な効果や演出

YouTube動画は情報収集や専門知識、エンタメとして視聴する人が多いと思う。誰もが一度は経験するのが過剰なBGMやテロップ、効果演出である。

やたらとBGMが大きく、肝心の演者の声が聞き取れないとか、テロップが画面いっぱい忙しく動き回り、画面の色がチカチカ反転したりで落ち着いて視聴できない。こういう経験である。

自分自身が動画を出す立場で、動画の視聴維持率には気をつけているのでわかるつもりだが、これらは動画を出す側としては良かれと思ってやっている事が多い。

「かっこいいBGMを流して気分をあげてもらおう」とか「淡々と話が続くと飽きてしまうから、テロップや画面を動かして飽きさせないように」と考えて演出を入れる。演出を入れるには大変な手間と時間がかかるので、編集する側も喜んでやりたいとは思わない。だからある種、視聴者のための親切といえる。

しかし、視聴者の視点に立つとこれは「親切の押しつけ」になってしまってはいることも少なくない。BGMは演者の声をかき消す音量ではいけないし、テロップや画面も頻繁に動かすと内容に集中できなくなるのだ。

リアルの場での親切の押しつけ

インターネット空間だけでなく、リアルの場でもおせっかいや親切の押しつけに困ってしまうことがある。

初対面の人たちが集まる場に身を置くことがある。それは親戚や学校の保護者の集まりだったり、趣味のイベント交流の場だったりする。こうした場で目立たず、できるだけ静かに過ごしたい感覚の持ち主がいる。筆者自身もそうだ。

だが、「はみ出し者を出さないように」という取り計らいなのか、全員に積極参加を促すことに張り切る人がいる。「こちらの方はこういう仕事で活躍されています。スマホで検索したら色々出てきますよ!」などと紹介されて内心困ったと感じた経験があった。このような紹介を受けて、まるで立派な人であるかのような先入観を周囲に持たれてしまうと自然な会話をしづらくなるからだ。こういった行為は親切心からとはわかっていてもおせっかいに感じてしまう。

相手のニーズが分かるまで何もしない

個人的に心がけているのは、相手が求めることがハッキリ分かるまでは下手に手を出さないということである。そういう意味では自分はまったく親切な人ではないのだが、相手をそっとしておくというのもある種の親切になるのではないかと思っている。

聞いてもないのにあれこれ知識を一方的に教えたがる人が世の中にいるが、この場合も相手から質問されるまでは何もしない方が良いだろう。明らかに情報不足で困っている様子を確認したら、そこで始めて手を差し伸べるというイメージである。相手からの積極的な関わりを喜ぶ人も一定数いるかも知れないが、それ以上の数のおせっかいを鬱陶しく感じる人もいるのだ。ならむやみに手を出さない方が合理的な選択と言える。

現代社会は価値観があまりにも多様なので、自分なりに良かれと思って手を差し伸べる行為が逆に相手にとって迷惑になることも少なくない。線引が難しいところではあるが、押し付けにならないようにしたいものである。

 

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。