おじさんの世界には鏡がない

黒坂岳央です。

「おじさんの世界には鏡がない」という漫画がSNSでバズっている。

詳しい内容は漫画を見て頂ければと思うが、「他人に太っていると批判をする本人も明らかに太っている」という文脈でなされた発言だ。これには個人的に強く共感し、そう思わされることが少なくない。

これには多くの人が抱えている心の問題を浮き彫りにしただろう。そして鏡を持たない人はおじさんに限った話ではない。

francescoch/iStock

批判や意見は自由!だけど

最初にハッキリ言っておくが、自分は批判や意見を出すなと言いたいわけではない。誹謗中傷などルールを超えない範囲で、我が国では言論の自由は憲法で保証されている。だから自分のことは棚に上げて他人に意見を出しても合法ということになっている。

しかし、すなわちそれが社会的に支持を得られるかは別の話だ。必死に活動をしているYouTuberやブロガーに向かって「努力が足りない」みたいに相手のことを何も知らないで上から目線で罵る人がいるが、そもそもその人物の方が圧倒的に努力をしていない場合が少なくない。また、プロ野球選手に「もっと気合い入れろ」という人は自分の人生で選手ほど気合を入れて生きているかはかなり怪しい。

世の中の不文律の一つに「批判はする側ではなく、される側になるべき」というものがある。過去記事「口先だけの評論家より手を動かす実務家になれ」でも書いたが、手を動かさず口ばかり忙しくなってる人を成功者と考える人はいない。

主張したい、批判したいことがあるならまずは自分がその土俵をクリアしてから言うべきだと思うのだ。たとえば「東大なんて簡単」という主張に説得力があるのは、東大合格者かそれ以上の大学を合格した者に限られると考えるのと同じ話である。

だが内容がポジティブであればこの限りではない。すなわち、誰かを応援したりする行為は自分ができなくても何も違和感はない。プロ野球選手を熱心に応援するのは、自分にはできない超人的な能力に対して支持しているからで、それは相手へのリスペクトがあれば自然発生的に湧き上がるものである。自分ができないからこそ、リスペクトするし応援したくなる。「あなたはできないのに応援なんかするな」という人はいないのだ。

結論的には批判は意見は自由だが、ネガティブな内容なら鏡を見て人の振り見て我が振り直せとするほうがよほど建設的だし、ポジティブな内容なら積極的にやるべきだと思うのである。

他人のことよりまず自分

よく聞くセリフに「困ってる人を救いたい」というものがある。人によって困っている対象は特定の人物である場合もあるし、不特定多数の場合もある。これをいう人は少なくないが、自分いつも感じるのは「他人よりまずは自分自身を救済すべきでは?」というものだ。やはりここでも鏡を見る勇気が必要なのだ。

筆者が人生に困った時はいつも他人なんて見る余裕はなかった。いや、今もそうだ。悩みの質は変化してきているが、尽きることはない。毎日悩んでいるし、毎日自分の心を対話している。そんな時に他人を見ようとは考えず、まずは目下自分自身の問題課題を解決することにフォーカスしている(ただし他者の問題課題解決を義とする仕事は別)。件の「人を助ける」という話も困っている自分に向き合わず、他人と救うことでごまかしているようなケースである。

他人は自分とは別の人格であり別の人生がある。結婚相手や子供は運命共同体でも、それ以外は別の道を歩む別個体の生命体と考え、一定の距離を置くべきなのだ。

人生は自分の道を主体的に歩むことで輝きを出す本質がある。他人につまらない説教や批判などに限られた時間リソースを使うべきではなく、まずは自分を輝かせるために使うべきだと思うのだ。そうすることが結果として他人に貢献する力を得るし、なんならその自分の人生に集中して必死に生きるプロセスそのものでも他者貢献になり得るだろう。

 

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。