黒坂岳央です。
「日本は終わった。海外を見習え」メディアを見るたびにいい加減、うんざりするほど繰り返し見てきたフレーズである。
昔はてっきり日本特有の現象かと思ったが、英語圏ではThe End of Americaとか、The End of Europeと書籍、メディア投稿がいくつも出てくる。中国でも終焉論があってそれぞれの国でそれぞれ終わったと言っている(中国語ではハッキリ明言されないが)。
日本の将来性や成長については論じる記事は賛否両論散々出ているし、自分は今後にまったく悲観していない。今回はあくまで「国家の運営はその分野の専門家に任せて、個人はもっと自分の成長を意識を向けるべきでは」という提起をしたいと思っている。極論、仮に日本が衰退しようが個人レベルで大きく力をつければいい。逆にどれだけ国家が強くても個人レベルで脆弱なら、国力は個人力ほど重要な意味を持たない。
大事なのはあくまで自分自身の力である。
バブルに乗る人、乗れない人
日本のバブルの頂点の浮かれっぷりは様々な記録に残っている。興味深いことにバブルで良い思いをした人もいれば、その逆の思いをした人もいるということだ。
筆者の親族は当時、都心部で店舗経営をしていたのだが、文字通りバブルでバカ売れしたそうで「ドラム缶にお金を入れてたけど、すぐにあふれかえるくらい儲かった」みたいなエピソードを話してくれた。また、別の親族は当時野菜づくりの農家をしていて、バブル絶頂期で勧められて全財産で株を一括購入した直後に暴落、「バブルはただただお金を減らしただけだった」といっていた。
歴史上空前のバブル絶頂期でも、乗れてる人、乗れていない人がいる。直近の話で言えばコロナ相場で株価や仮想通貨が盛り上がっている時も乗っている人、いない人にわかれたのだ。この差はどこにあるだろう?結局は個人の力である。
確かに国家の景気の如何で個人レベルの人生が左右される事実は否定できない。自分の場合はリーマンショックで就職難になってしまい、当時本当に大変な思いをした。
タイミングが1年後にズレてくれればあれほどの苦労をせずに済んだと思うし、そういう意味で国家の影響力は確かに大きい。だが、個人レベルでしっかり力をつけることで国の動向に左右される割合はかなりの程度小さなゆらぎに抑えることもまたできると思うのだ。
個人の成長を意識する
メディアで国の悲観論が掲載されるたびにコメント欄などで「日本の政治家が経済をダメにするせいで自分も貧しい思いをしている」などと書かれるのを見ることがある。影響がゼロとは言わないまでも、100%ではないだろう。
経済力をつけるなら市場価値の高いビジネススキルをつけるとか、資産運用を覚えるとか、転職するとか起業するなど様々な選択肢がある。だがそういう人ほど今度は「忙しくて時間がない」「スキルをつけるお金がない」と言い訳をするものである。
だが、過去記事で解説した通りまさしくこうした「やる前から諦めて言い訳ばかりする思考」が今の状態を作っていると思うのだ。現在成功を収めている人だって必ずしも、時間、資金、才能、若さ、状況に恵まれお膳立てされていたわけではないのだ。やる人はやる、やらない人はどれだけ理想的な環境や資源をお膳立てされてもやらない。究極的にはそれだけの話である。結局、その人次第だ。
自分は日本の政治家にダメ出しをするのは良くないといわないが、本職がエコノミストやメディア関係者でないなら、その活動に使うリソースはもったいないと思う。その時間と労力を自分の成長にあてれば自分のGDPは中国に負けないほど大きく成長できるはずである。
稚拙な自慢に受け取られたくないし手前味噌でおこがましいが、自分自身、脱サラしてGDP成長率は中国を上回ることができている。それは社会や国の成長よりまずは自分自身の成長だけにフォーカスしてきたからだと思っている。もちろん、国や社会を変えたいという志を否定するつもりはないし、政治家に立候補して操縦桿を握るならそれは立派なことである。問題は外野の安全地帯からやじを飛ばして、悲観に酔って愚痴不満ばかりして人生の貴重な時間という資源をそこに投資するべきではないと思うのだ。
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仮に自分自身の人生に十分満足して余力を得たなら、そのタイミングで社会や国のためにできることを考えればいい。普通に一生懸命働くだけでもビジネスを通じた付加価値の提供、納税などそれだけで社会貢献になるし、思い切って政治家を目指して国を良くする人物を目指すのもいい。でも、まずは自分自身の成長こそが重要なのだ。
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