結局「どっちもどっち」の日本人

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ロシアによるウクライナへの侵略から二年近くが過ぎた。この間、多くのことが語られてきた。私も昨年、拙著『ウクライナの教訓』を上梓した。副題は「反戦平和主義が日本を滅ぼす」。反戦平和主義には「パシフィズム」とルビが振られている。拙著「まえがき」でこう書いた。

最大の問題は、命と平和の大切さだけが語られる日本の現状だ。昭和、平成、令和と、戦後日本を、そうしたパシフィズム(反戦平和主義、反軍平和主義、護憲平和主義、絶対平和主義)が覆っている。

このとおり日本語に訳しづらいが、『リーダーズ英和辞典』(研究社)は「反戦論」「平和主義」といった訳語に加えて、「無抵抗主義」とも訳す。今から思えば、この訳語のほうが的確だったかもしれない。

実際、フジテレビ「日曜報道」では、〝ご意見番〞の弁護士コメンテーターが恥知らずな無抵抗主義を強弁し続けた。侵攻当日のNHK「ニュース7」に至っては、軍事侵攻が進行中にもかかわらず、出演した大学名誉教授が、ロシアの認識や主張を代弁し続けた。侵攻直後には、「日曜討論」でも、スタジオ出演した神奈川大学教授が「降伏しないウクライナも悪い」云々と〝どっちもどっち論〞を主張した。

日本のテレビ番組では、侵攻から二年近くを経てなお、こうした妄言が飛び交う。

ベストセラーとなった小泉悠著『ウクライナ戦争』(ちくま新書)は「おわりに」こう書いた。

この戦争は「どっちもどっち」と片づけられるものではない。(中略)

ただ戦闘が停止されればそれで「解決」になるという態度は否定されねばならない。これはウクライナという国家が置かれた立場をめぐる道義的な議論にとどまらず、我が国が戦争に巻き込まれた場合(あるいは我が国周辺で戦争が発生した場合)にそのまま跳ね返ってきかねない問題だからである。それゆえに、日本としてはこの戦争を我が事として捉え、大国の侵略が成功したという事例を残さないように努力すべきではないか。

上記丸括弧内の「我が国周辺で戦争が発生した場合」には、もちろん台湾有事が含まれる。そこで、以下のように言い換えることもできよう(拙著最新刊『台湾有事の衝撃 そのとき、日本の「戦後」が終わる』秀和システム参照)。

台湾有事は「どっちもどっち」と片づけられるものではない。ただ戦闘が停止されればそれで「解決」になるという態度は否定されねばならない。これは台湾が置かれた立場をめぐる道義的な議論にとどまらず、日本の安全保障にそのまま跳ね返ってきかねない問題だからである。それゆえに、日本としては我が事として捉え、大国の侵略が成功したという事例を残さないように努力すべきではないか……。

さらに小泉悠専任講師は今年1月に配信されたハフポスト日本版のインタビューでも、こう答えている。

もし仮に日本が他国から攻撃を受けた場合でも「もう抵抗やめなさいよ、相手の軍門に下れば戦闘が止まるんだから」「世界経済にも迷惑かけるからやめなさい」みたいなことを他国から言われても、おかしくないと思うんですね。でも私はそうは言われたくありません。その意味で、今この場で、我々がウクライナを支えておくということに意味があると思っています。そういう意味で、この戦争は他人ごとではないという思いを強く持っているんです。

まさに、そのとおり。僭越ながら私も同じ思いで、拙著を書いた。

たしかに、「もう抵抗やめなさいよ、相手の軍門に下れば戦闘が止まるんだから」「世界経済にも迷惑かけるからやめなさい」みたいなことを他国から言われても、おかしくないが、残念ながらそれ以前に、そうした〝無抵抗主義〞(パシフィズム)は日本国内からも上がるのではないだだろうか。

さらに蛇足を重ねるなら、先のインタビューも、こう言い換えられよう。

もし、日本が他国から攻撃を受けた場合に、「もう抵抗やめなさいよ、相手の軍門に下れば戦闘が止まるんだから」、「世界経済にも迷惑かけるからやめなさい」みたいなことを他国から言われても、おかしくありません。でも私は、そうは言われたくない。その意味で、我々が台湾を支えておくことには意味がある。けっして他人ごとではないという思いを強く持っています。

……小泉悠専任講師がこう語る未来が訪れないことを強く望む。

鶴岡路人著『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)も借りよう。

国際政治の長い歴史に照らしても、これほどまでに白黒、善悪が明確であるのは珍しいといえるのが今回の戦争である。(中略)

今回の戦争におけるウクライナ人によるロシアへの抵抗は、人間が命をかけてでも守りたいものは何かという、戦後の日本人がほとんど問われることのなかった問題を投げかけている。

そのとおり。けっして「どっちもどっち」ではない。「どっちもどっち」とうそぶく連中は、「人間が命をかけてでも守りたいものは何かという」根源的な問いから逃げているだけの卑怯で卑屈な恥知らずである。

ならば、現在の中東情勢を巡る議論は、どうだろうか。

つい最近まで、ロシアの侵略を力強く非難してきた論者らまでが、平然と、ハマスもイスラエルも「どっちもどっち」とうそぶく。ロシアの「侵略」は咎めても、ハマスの「テロ」は咎めない。そもそもハマスをテロ組織と認めず、NHK以下主要メディアは「イスラム組織ハマス」と報じる。残念ながら、彼らが「ウクライナの教訓」を学んだ形跡は見られない。

(次回に続く)