最近増えている「繊細ヤクザ」の正体

黒坂岳央です。

「繊細ヤクザ」「繊細チンピラ」という言葉が流行っている。「あなたの言動で傷ついた。どうしてくれる」と難癖をつけるクレーマー、というのが言葉の定義となっている事が多い。

筆者は動画や記事を出している立場なので、実際に攻撃を受けてきた立場である。見解を述べたい。

SunnyVMD/iStock

「繊細」は弱みでもあり強みでもある

繊細、というと一般的にマイナスポイントと捉えられてしまうこともある。「小さなことでイチイチ傷つくなよ面倒くさいな」と考える人もいるだろう。しかしながら、歴史上の人物を見れば繊細さは強力な武器にもなるという事実が見える。

たとえば芸術家のゴッホは大変繊細な人物として知られており、人間関係はうまくいかない事が多く、芸術の道を深めていくことになったと分析する声もある。ストレスから自分の耳を切り落としたという話も残っている。

文豪の夏目漱石も敏感な性格として有名で、あまりに繊細であるために被害妄想もひどく、ロンドン留学中に神経症となり驚いた友人が「夏目狂せり」と電報を打ったというエピソードが残っている。

繊細さとは「心の視力」のようなもので、普通の人が流してしまう言葉や出来事が解像度高くなんでも見えてしまい、それ故に機敏に察知する。故に芸術や学術、ビジネスの分野で多くの人が見落とす情報を拾い集め、一つの作品に昇華させる。

筆者自身は大まかで楽観的な部分と、神経質で大変細かく一言一句気にする繊細な部分のミックスでできている。ある分野では鈍感で何も気にしない一方で、特定の分野では大変面倒くさい一面を持っているという自覚がある。そのため、面倒な部分は絶対表に出さないように気をつけている。だがこの神経質、繊細な部分のおかげで潜在的リスクを素早く察知したり、仕事で活路を見出したことは何度もあった。繊細さとは日常生活では弱みになる一方、同時に鉄火場では強みになるのだ。

繊細さを武器に攻撃してはいけない

繊細さを抱える生きづらさはある。筆者自身が特定分野で大変繊細で今でも傷つく経験があるのでそれはよく理解できる。差別的な発言や過激な言葉は慎むべき、というのは確かにそうだと思う。これらは表現の自由というより、コンプライアンスの範疇だろう。

しかし、あまりに周囲に配慮を求めすぎる姿勢はある種の「暴力」である。今回取り上げている繊細ヤクザは周囲にばかり配慮を求め、相手と対話する姿勢はない。「周囲は弱者である自分に無条件で従え」という一方的な強制力を持って有無を言わせず排除しようとする。武力行使で相手を従わせる戦争に共通する暴力性がある。その攻撃的な姿勢から「繊細”ヤクザ”」と名称が付けられているのだろう。繊細さが悪いのではない。繊細を盾に一方的な暴力を振るう姿勢が問題なのだ。

旅行の写真を投稿すると「お金がなくて旅行にいけない私への自慢ですか!?」と攻撃し、試験対策の動画を投稿すると「試験に合格できなかった古傷が痛むのでもう投稿をやめてください」と攻撃する。弱者だからなんでも守られるべき、周囲が一方的に配慮されるべきという論理が通ってしまうなら、世の中からあらゆるビジネスは消えてしまう。

高級レストランは「貧乏人のコンプレックスを刺激するからやめろ」と言われてしまうだろうし、格安店は「こんな店しか利用できない自分が惨めになるからやめろ」と難癖をつけられてしまうだろう。こうなると一周回って繊細ヤクザ側も「ではあなたも弱さを盾に周囲を力づくで従わせている。その暴力は慎むべきでは?」といった道理が通ることになってしまう。不毛な議論である。

筆者も記事や動画を見て傷つくことはある。だからといって投稿主の空間へドカドカ土足で踏み込み「自分は傷ついたぞ!どうしてくれる!!」などというつもりはない。嫌なら自分が見なければいいだけで、実際そうしている。キーワードのミュート設定をすればもう出てこなくなる。その選択肢は常に自分の手の中にある。

 

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。