裏金作りの真相とは?
自民党の各派閥内で裏金作りをやってきたのではないか?との疑惑が世間を賑わせている。
立憲民主党の枝野幸男元代表は、予算委員会の質疑の中で、パーティー券のキックバックは自分たち野党もやっているし、行為自体は違法ではないが、収支報告書への不記載は問題だ、と指摘した。
これは枝野氏の言う通りで、パーティー券の売買も、収益のキックバックを政治団体が受け取ることも違法性は全くない。今回問題視されているのは、そのキックバック分を収支報告書に記載せず、裏金にしていたのではないか?との疑惑だ。
当たり前だが、慣例として行われてきたことを、政治家本人が知る由もなく、また収支報告書に不記載であってもそれが慣例化されていて、問題視されると認識していなかったことは、よくある話であって、過去5年間に遡り修正申告すれば、何ら問題はない。
率直に言って、今のマスコミと野党議員とその支持者の騒ぎ方には、違和感しかない。
国会議員の多くがキックバックを受けているのが現実で、そうやって政治活動費を賄っている。国会議員の歳費が高すぎると批判する人もいるが、日本で政治活動をするためには見えない出費は欠かせない。事実、歳費だけでは政治活動を十分に行えないからこそ、キックバックのようなものが慣例として残っているのだ。
つまり、キックバックを批判するのは、国会議員が自らの首を絞めているのと同じことなのだ。だから、野党議員も、尤もらしいことを質疑で言いながらも、実は心の中はヒヤヒヤしている。
また、国会での質疑の様子を見て、いつか見た風景だと感じたのは私だけではないだろう。
モリカケの時も、執拗に安倍政権を追及していたが、あの時話題になったように、追及される側に事実を証明しろと無理難題を押し付けていた野党勢が、今度は自分たちの首が絞まるような追求などする筈がない。
今回の騒動は、何人かの議員が役職を解かれる可能性はあるが、来年の通常国会に政治資金規正法の一部改正が出され、野党も渋々応じる形で幕引きをするのではないか?私は、そう予想している。
野党議員にしても、自分たちが万が一政権を握った時、その法的制約を受けるのは自分たちであり、国会議員が自分たちに都合が悪くなる法律改正などするわけない。本当に政治資金規正法が問題なら、旧民主党時代に改正されていなければおかしい。そうしなかったのは、結局、野党議員であっても脛に傷を持っているからだ。
むしろ、私は別の問題があると考えている。
野党とマスコミ
今回のキックバック疑惑に関して、あたかも野党議員が清廉潔白であるかのように、政治と金の問題を追及しているから野党議員は信用できると言ってる支持者の方が、問題が多い。
今の野党議員の多くは、自民党のリベラルな議員よりも左に偏っている。
自分たちでも、自分たちが言ってることが正しいなどとは信じていないのだが、自民党を保守と言ってしまった以上、自分たちの存在意義はその真逆の立ち位置にいるしかない。これが今の野党を野党たらしめているところだ。
以前、拙稿でも触れたが、これから日本に必要なのは、右でも左でもない中道をゆく政党だ。時に右に寄り、時に左に寄り、応変自在に立ち回れば良いのである。むしろその中身、つまり政策が重要であり、今の立憲民主党や日本共産党のように国民の目線を無視して、イデオロギーで政策を立てるような政党は、百害あって一利なしなのだ。
ただ、自分の生活環境が改善しないことを政府の責任にしたい人たちや、人権や反戦、反核、差別といったイデオロギーを掲げることが政治の役割であると勘違いしている人たちが、それらのアイコンとしての政治家を求めているだけで、国会や街頭演説で人権だの差別だの反核だの反戦だのと叫ぶ政治家こそが、政治家だと思い込んでいるだけだ。
はっきり言って、反核や反戦など考えている政治家はほとんどいない。
本当に反核や反戦を訴えるなら、どうして核保有国を批判しないのか?
環境問題もそうで、日本で再生可能エネルギーを普及させろと叫ぶ人ほど、現代文明の恩恵を無視して、荒唐無稽な夢物語に現を抜かしている。日本のような先進国で再生可能エネルギーだけで電気を賄うことは不可能だと知っているのに、ファッションとして環境問題を訴えている。つまり、環境問題に取り組んでいる自分をかっこいいと思っているのだ。
昭和30年代以後、日本は経済の高度成長と引き換えに、環境破壊を繰り返してきた。その反省の下、法律が整備され、今の時代、廃液を垂れ流したり産業廃棄物をその辺に捨てたりなどすると、厳しい方の裁きを受けることになる。つまり、日本は世界でも稀な、経済成長と環境保全を両立させてきた稀有な国なのだが、その事実を無視して、あたかも日本が環境破壊の最前線にいるかのような暴論を吐く。
本当に地球環境が大切だと言うなら、環境対策を無視して工業廃水を垂れ流す中国のような国を批判すればいいと思うのだが、何故か、それはやらない。
例えば、東シナ海や南シナ海で深刻な海洋プラスチックゴミを調べると、そのほとんどが中国のゴミであると分かっているのに、何故か批判しない。CO2排出量も中国が世界一の排出量なのに、何故か中国を批判しない。
環境問題や人権問題を言う人々に、常について回るのが、このような中国批判をしない姿勢だ。これは不思議でしようがない。人権問題で言うなら、中国ほど近隣諸国も含め人権弾圧している国もない。チベットもウイグルもモンゴルもネパールも本当は中国ではないのに、執拗にこれらの国に対して脅しをかけ漢民族を移住させチャイナタウンを作り中国への同化政策を進めようとしている。
ウイグル人女性は世界でも屈指の美人なのだが、漢民族と同化してしまったら、美しいウイグル人はいなくなってしまうだろう。
話を元に戻せば、日本国内で人権問題や差別や反戦、反核を訴える人に共通しているのが、イデオロギー化した理想主義だ。ゴールを先に決めて、そこに向かうのである。つまり共産主義と同じだ。共産主義の本質は、すべての財産を国有化することにある。すべての財産とは、個人の内面も含まれている。それらを国家が統制することで平等な社会、労働者が幸福を享受できるというまやかしだが、その考え方と日本国内で理想主義を掲げる人々は、その道程において共通している。
理想を追い求めるから、なんだか自分は良いことを掲げ、良いことに向かっていると勘違いしてしまう。そして、良いことに向かっているのだから、少々のことには目をつぶれと考えているのだ。
そして、共産主義と共通しているのがまさにこの一点で、良いことをしていると言う勘違いが正義感を生み、その歪んだ正義感が、他者への批判となっている。
しかもその間違った正義感に立脚し、自分たちは功利主義だと勘違いしてるから、余計にややこしい。良かれと思ってやってるから始末に負えないのだ。そして、両論で物事を見ようとしない。偏っている。
こういう人に限って、災害の時に動物を助ける動画を見て涙したり、ユニセフの災害地や戦地の募金を行ったりしている。つまり、人間的に悪い人ではない。
では、どうして思考が偏るのだろう?
一つは正義感。一つは誤った知識。一つは学校教育。一つはマスコミの偏向報道。
そして、こういう人に限って、政権は悪だと考えている。権力の座にいる人間が、真っ当で金に綺麗な筈がないと信じ込んでいる。日本の議会制民主主義において、特権階級など存在しないのだが、あたかも日本の政権与党の政治家はこの日本を牛耳り、甘い汁を啜っていると考えるようだ。
それなら、貧困ビジネスをやっている山本太郎の方が、よほど悪人だと思うし、民主主義というものが存在しない日本共産党や参政党のような政党の方が遥かに悪だと思うが、政権批判をしたい人は、そういうところは見えていないようだ。
この間違ったものの見方が、時の政権が行うことを是々非々で見ることが出来ない政治家や有権者やマスコミを作り出す。日本では個人の権利が重視され思想信条と言論の自由が存在する。だから、余計にエコーチェンバー現象が起きて、宗教の原理主義のような状態になるのだ。
前回の拙稿で触れたように、これは何も野党に限ったことではない。政権与党は、上手くいって当たり前で、安倍政権のように強固な支持基盤を持ちえた政権の方が珍しい。そこには安倍晋三という稀代の政治家の資質もあったろうが、やはり時代背景や、諸外国の動きが影響してしまう。
その意味で、岸田政権は数多くのことに結果を出してはいるが、岸田総理の人となりと広報が下手な為に、政権の取り組みや狙いが上手く有権者に伝わっていない。これは菅政権も同様だ。そして自民党内ではこの上手くいかない所を逆手にとる党内政局の側面がある。
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以後、
・内閣改造と解散総選挙
続きはnoteにて(倉沢良弦の「ニュースの裏側」)。