政策提言委員・金沢工業大学客員教授 藤谷 昌敏
世界から注目されていた台湾総統選が2024年1月13日に投票され、新しい総統が決まった。当選したのは、与党・民主進歩党の頼清徳(らいせいとく)氏であり、台湾独立強硬派として知られた人物だ。
頼氏は、「台湾の民主主義の歴史に新たなページを刻んだ。中国との関係は現状を維持するが、中国からの攻撃や脅威から台湾を守る決意だ」と宣言した。頼氏は、民進党が議会で過半数を割ったことにも触れ、「法案や予算を通すのが難しい状況となる。総統選を争った最大野党・国民党の侯友宜(こうゆうぎ)氏、第3政党・台湾民衆党の柯文哲(かぶんてつ)氏と、台湾が直面する問題を解決するため協力する」と語った。選挙前、中国は、頼氏を危険な分離主義者として非難していた。
中国は台湾総統選に向けて、様々な情報戦を仕掛けていた。例えば、台湾のSNSであるTikTokを利用して、若年層を中心に情報操作を行ってきた。また台湾に対して、資金援助を行うことで影響力を拡大しようとしてきた。
それでは、具体的に中国はどのような情報戦を展開したのだろうか。
台湾総統選に向けて中国が様々な情報戦
2023年1月、台湾の元立法委員(国会議員)羅志明(らしめい)と台湾海軍元少将夏復翔(かふくしょう)が、中国による統一工作の便宜を図ったとして、国家安全法違反の容疑で台湾高雄地方検察署(地検)による取り調べを受け、その後、台湾高雄地方法院(地裁)に起訴された。
起訴状によれば、夏氏は退役後の2012年に海軍官校(士官学校)の校友(卒業生)会長になって以降、中国の統一派団体「黄埔軍校同学会」や「中国和平統一促進会」などの関係者らと知り合った。また夏氏と面識があった羅氏は、中国・アモイにある台塩実業の子会社で董事長(会長)職を務めていた関係から、中国空軍出身の父親を持つ中国人と夏氏を引き合わせ、無料の旅行に招待するなどして、中国への取り込みを図ったとされる。
2013年以降、2人は統一派団体の関係者らの指示を受け、台湾の元将官らを中国に呼び、中国側は会食の機会を利用し「平和的な統一」や「一国二制度」、「武力による統一」などの思想をアピールした。元将官の先祖の出身地や中国移住意志の有無などを確認し、取り込む目標を定めていたとされる。
検察の調べでは、2人は13年から18年まで、計48人の元将校らを孫文の生誕記念イベントへの参加や観光などを名目に、延べ13回訪中し、延べ194人を参加させたとしている(フォーカス台湾より)。
2月には、中国がマーケティング会社を通じて蔡英文(さいえいぶん)総統や蘇貞昌(そていしょう)前行政院長(首相)らのフェイスブックに蔡氏や蘇氏に攻撃的な825個のアカウントが見つかり、その中にはマーケティング会社の総経理(社長)のものとみられるアカウントがあったという。これらは世論誘導などの「認知戦」の一環と指摘されている。
同月、台湾のケーブル会社「中華電信」などによると、台湾本島と北西の離島・馬祖島をつなぐ海底ケーブルが2日と8日の夜に断線していることが判明した。「中華電信」は「2日については中国の漁船、8日は中国の貨物船によって切断された可能性がある」とし、台湾メディアは「慎重な対策を取らなければ安全保障上の危機に発展する恐れがある」と指摘した。
3月、米連邦上院の情報委員会の公聴会で、米連邦捜査局(FBI)のレイ長官は、中国発の動画投稿アプリTikTokについて中国が台湾に侵攻した場合、このアプリを通じて自らに有利な世論形成のため数百万人規模の人々に関するデータを活用する可能性があると警告した。
12月、台湾中央通信は、総統選に関して「候補者の国籍が中国の偽情報の標的になっている」と報じた。標的となっていたのは、与党・民進党の副総統候補、蕭美琴(しょうびきん)・前駐米代表であり、蕭氏は米国人の母を持ち、2002年まで米国籍を保有していたが、既に蕭氏は米国籍を放棄していた。しかし、それでもネット上では蕭氏を「二重国籍者」と誹謗中傷する情報が蔓延した。蕭氏は英語も中国語も流ちょうに話すが、「中国語を話せない」という偽情報も広がっており、米国と関係の深い蕭氏のイメージダウンを狙った情報拡散だとみられた。
このほか、民進党関係者は、「民進党系の候補者のフェイスブックページにネガティブな情報を大量に書き込んだり、LINEの大規模チャットグループにフェイクニュースを投稿したりする工作がある。中国やそれに協力する台湾人ネットユーザーによって、攻撃がなされているようだ」と語る。
こうした認知戦(Cognitive Warfare)は「人間の脳などの認知領域に働きかけて、その言動をコントロールする戦い」だ。
習近平三選を支える国家安全部
習近平氏は、自身の三選前、公安部(警察)の強化とともに人民解放軍の近代化に着手し、戦略支援部隊、ロケット軍を創設するなど、大幅な刷新に成功した。当然、警察も軍も子飼いの部下を筆頭につけ、その備えは万全に見えた。だがここに来て、中国人民解放軍、特にロケット軍に汚職が蔓延していることが発覚し、李尚福(りしょうふく)国防相が解任されるなど軍の求心力は著しく低下してしまった。
一方、国家安全部は、「反スパイ法」の改正により権力を強化して、米国、英国、日本などに対するスパイ摘発を繰り返し、習近平氏の忠実な番犬ぶりをアピールしている。
最近では、2023年12月に開かれた経済工作会議に際して、国家安全部は文書を発表し、「経済回復をさらに進めるには、国内の困難を克服するとともに、外部からの挑戦にも対応する必要がある」と国家安全部が経済にも関わっていく方針を示した。具体的には「経済の質の高い発展に向けて、安全保障の安定した環境創出、経済・科学技術の自立自強へのサービス、現代化された産業システム建設の保障、高いレベルの対外開放に対する護衛、経済宣伝と世論誘導強化への協力」が挙げられている。
今、中国は不動産業界の破綻を契機とした国内経済の悪化や軍の腐敗による混乱のため、中国が台湾に強力な軍事的圧力をかけられる状態ではない。習近平が最も頼りにしているのは、国家安全部であり、今回、総統選と同時に行われた立法院で民進党が過半数割れをしてねじれ現象が起きて、政策全体への不安定感が強まったことや、中国の経済に依存する層が根強いことなどを利用し、台湾に対する情報戦がさらに強まることが予想される。
今後は、2027年に予定される習近平氏の4選をタイムリミットと見て、中国が台湾に対する軍事侵攻を決意するのかどうかが大きな焦点となる。
■
藤谷 昌敏
1954(昭和29)年、北海道生まれ。学習院大学法学部法学科、北陸先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科修士課程卒、知識科学修士、MOT。法務省公安調査庁入庁(北朝鮮、中国、ロシア、国際テロ、サイバーテロ部門歴任)。同庁金沢公安調査事務所長で退官。現在、JFSS政策提言委員、経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員、合同会社OFFICE TOYA代表、TOYA未来情報研究所代表、金沢工業大学客員教授(危機管理論)。主要著書(共著)に『第3世代のサービスイノベーション』(社会評論社)、論文に「我が国に対するインテリジェンス活動にどう対応するのか」(本誌『季報』Vol.78-83に連載)がある。
編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2024年1月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。