「安心」と「安全」は真逆である

黒坂岳央です。

我々は安心と安全を同じような意味で聞かされる事が多い。街の防災無線からも「子どもたちの安心安全の見守りをお願いします」と流れてくる。

だが、本来これはまったく別物として考えるべきである。むしろ我々はこの言葉を同じ意味、セットで聞かされ続けたことによってかえって安心安全が脅かされていると感じることも少なくない。同じ意味どころか、時には真逆の意味合いになることもある。具体的な事例を取り上げたい。

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大企業勤務は安心だが安全ではない

筆者は東京で大企業に勤務していた時期があった。そこで働く社員はざっくり2タイプにわかれていたように思う。すなわち、「オレたちは天下の大企業勤務なのだから今後も給与は安泰だ」と慢心する人と「大企業だからこそ、油断すると社内政治ばかりに気を取られてスキルの研鑽が疎かになるから気をつけよう」と兜の緒を締める人である。

「大企業勤務なら安心」これは間違いない。安心は感情の話であり、大企業にいれば確かに不安はない。だが、安全か?と言われるとそうではない。なぜなら昨今、いくら大企業でも一気に傾くことがある。東京電力、東芝、JALなどかつて多くの人の憧れだった企業もどうなるかはわからない。

大企業は手厚い福利厚生や平均以上の給与が安定的に支払われるが、会社そのものは激しいグローバル競争の生き残りをかけた勝負をしておりまったく安定してはいない。否、ビジネス界に真の安定などどこにもないのだ。

災害時の安心が命取りに

災害時において、安心を優先した結果安全が疎かになり悲劇になる場面がある。

韓国の地下鉄放火事件では約200人が亡くなった。煙が充満して炎が上がっているのに、座ったまま逃げようとしなかった。また、同国で起きたセウォル号沈没でも船の傾きに関わらず逃げ遅れが出た。

いずれも周囲の人間の動きに同調して判断を誤ったバイアスのミスである。日本でも同じように周囲の人たちの行動に合わせて逃げ遅れが発生している。災害時においては安心が安全を脅かすことがあるのだ。

ゆでガエルを回避せよ

ゆでガエルという言葉がある。「まだ大丈夫」と我慢して湯に入っている間に温度が上がって死んでしまうという話だ。これはビジネス、生き方にも言えることがある。

現状維持を選択することは大局的な安全を脅かすのに、「今の生活になじみがあるから」という安心を優先してしまう。どこかでコンフォートゾーンから抜けて、リスクを取って挑戦しないといけない局面がある。人によっては異業種への転職、副業、起業、投資などが挙げられるだろう。確かに新しい挑戦には不安がつきものだ。不安は安心をつぶす。だがそのリターンとして、安全を獲得できるのだ。

難しいのは、人間の感情は否定的でも、状況はそうではない場合が多いということである。つまり、時には感情に逆行してリスクテイクをする挑戦が必要だということなのだ。

安心に慢心すると、安全が脅かされる。安心と安全は同じ意味どころか、文脈によっては真逆の意味になってしまうのだ。

 

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。