今秋のアメリカ大統領選挙に向けた序盤戦がたけなわです。共和党はどうやらトランプ前大統領が独走態勢を固めたようなので、11月の本選は、4年前と同じくバイデン現大統領(民主党)とトランプ前大統領の一騎打ちとなる公算が大きいと予想されます。
どちらが勝っても米国史上最高齢の大統領の出現となりますが、本選までまだ9か月近くあり、直前まで何が起こるか分からないのが米国大統領選の常です。
トランプは候補資格があるか?
特にトランプ氏の場合、前回大統領在任末期の連邦議会襲撃事件(21年1月6日)への関与問題が燻っており、この時限爆弾がいつ爆発するかしないか。コロラド州などでは州最高裁が、米国憲法に照らして彼は同州での立候補資格はないとしています。
これに対しトランプ陣営は、大統領在任中の行為については訴追免除が慣例であるとして、連邦最高裁に控訴して徹底的に争う姿勢を示しています。現時点(2月半ば)では先行き不透明ですが、この裁判の結果いかんによってトランプ氏は立候補できなくなる可能性もあります。まさに前代未聞の異常な政治状況で、民主主義の最先進国を自負する米国の鼎の軽重が問われているといえましょう。
トランプ氏は、この連邦議会襲撃事件のほかにも、いくつかの民事訴訟を抱えています。その一つは、セクハラ(性的暴行)や名誉棄損で、複数の女性から訴えられています。
例えば、1990年代にニューヨークのデパートの試着室で性被害(レイプ)を受けたとして、雑誌コラムニストがトランプ氏を訴えていた民事訴訟では、つい最近、同市マンハッタンの連邦地裁で8330万ドル(約123億4000万円)の損害賠償を支払うよう、陪審団が評決を下しました。
勿論トランプ氏はこの判決に不服で、法廷内で「これはやらせだ」、「魔女狩りだ」など口走ったため、裁判長から退廷を命じられそうになったとか。トランプ氏は、このほか、ポルノ女優からも訴えられ、有罪判決を受け、多額の損害賠償金の支払いを命じられたことも。
米大統領の女性スキャンダル
大統領を務めた人物がこのような女性問題で次々に訴えられるなど、普通ではちょっと考えられないことですが、米国ではそれほど珍しいことではありません。周知のように、1990年代に大統領を務めたビル・クリントン氏は、在任中にホワイトハウスの執務室で、若いインターン、モニカ・ルインスキー(当時22歳)と数回にわたってわいせつ行為を行ったとして、危うく上院で弾劾されそうになりました。
ただ、このときも、クリントンのわいせつ行為が問題になったというよりも、彼がわいせつ行為を行ったことを公に否定し、偽証したことが問題視されました。つまり、不倫行為自体ではなく、偽証罪という法律違反を犯したことが問題とされたわけです。
そもそも、この件は基本的にクリントン夫妻のプライベートな事項で、第三者がとやかく言うべきものではないという考え方によるものです。トランプ氏の場合も、いくら派手な女性関係や破廉恥行為があったとしても、法に触れない限り問題にならないということで、法律問題と倫理問題は峻別すべきだということでもあります。
トランプ氏自身もその辺のところは十分認識しており、腕利きの弁護士を総動員して、法廷闘争を展開している模様です。
日本の場合・宇野宗佑事件
こうした米国の政治状況に比べて、日本の状況はどうでしょうか。日本の政界でも女性問題で躓く人は昔から少なくありません。ここで真っ先に思い出されるのは、宇野宗佑元首相(1998年没)のケースです。
若い方は宇野元首相のことをあまりよく知らないでしょうから、簡単に説明しますと、彼は滋賀県出身のベテラン政治家(自民党)。若いころ一兵卒として、終戦直前の満州や朝鮮北部に送られ、終戦と同時にソ連軍の捕虜となりシベリア抑留を体験。2年後に帰国、滋賀県議会議員を経て衆議院議員に。その後防衛庁長官、科学技術庁長官、外務大臣を歴任した後、1989年に、リクルート事件で退任した竹下登首相の後継として“棚ぼた”式に首相に就任。
実は私は、同氏が科学技術庁長官兼原子力委員長時代に、外務省の初代原子力課長として、日米原子力交渉(1977年代半ば)に取り組みましたが、その時の日本側交渉団のトップが宇野氏でした。この交渉は戦後の日米外交史上最もタフな交渉の一つとされているように、大変難しい交渉でしたが、日本側は宇野首席代表を中心に、「国難来たる!」とばかり一致団結して頑張り、ついに米国から譲歩を引き出すことに成功しました。
そうしたこともあって、私は宇野氏の政治家としての能力や人柄を高く評価しており、その後外務大臣としての活躍ぶりから、内閣総理大臣としても立派な業績を上げられるものとひそかに期待していました。
「指三本」で自ら墓穴を掘る
ところが、彼は、突発した女性スキャンダルに足をすくわれ、就任後僅か69日、日本政治史上4番目の短命内閣に終わりました。この辺のいきさつは、あまり品の良いものではないので、ここで詳述しませんが、興味のある方はネットで検索していただくとして、掻い摘んで言えば次の通りです。
宇野氏が首相に就任した3日後、「サンデー毎日」が、東京・神楽坂の芸妓が宇野氏を告発したという記事を掲載。それによると、彼女は宇野氏との「情事」の代償として毎月300万円もらうつもりが30万円しかくれなかったので約束違反だというわけです。つまり宇野氏は彼女に指3本を示し、これでどうだと言ったのを彼女は勝手に一桁多く誤解していたようなのです。
一流の老舗料亭に上がるようなベテラン芸妓は決して顧客情報を口外しないとされていますが、あいにく彼女はアルバイト芸妓で、週刊誌にペラペラしゃべってしまったというのが真相のようです。
このスキャンダルのせいだけではありませんが、直後の参議院選挙で自民党は惨敗、参議院では結党以来初めての過半数割れ。その責任をとって宇野内閣は退陣という甚だ不名誉な結果となりました(後任首相は愛知県出身の海部俊樹氏)。宇野さんも外務大臣でとどまっていればよかったものを、なまじ総理大臣に上り詰めたばかりにひどい目に逢い、晩節を汚したと言えるでしょう。
政治家のスキャンダルは決して珍しいことではなく、現在でも「文春砲」などの標的となって失脚する政治家が後を絶ちません。それはそれで自業自得、身から出た錆だ、政治家たるものは常に身辺を清潔にしておかねばならぬ、ということでしょう。確かにその通りではありますが、正直なところ、私はちょっと違った見方をしています。
もう一人の大物・田中角栄の場合
例えば、田中角栄元首相を例にとって考えてみましょう。周知のように、彼は高等小学校卒だけの学歴でしたが、「コンピューター付きブルドーザー」と言われたほどの行動力を持った稀有な政治家で、『日本列島改造論』で知られました。私も現役時代に、国会内で何度かご本人に会ったことがありますが、「今太閤」と評されたその強烈な人間的魅力はいまだに鮮明に記憶しています。
その彼もロッキード事件に引っかかって任期途中で失脚しましたが、私は今でも実に惜しい人を失ったものだと思っています。そして、その彼を容赦なく誹謗し葬り去ったマスコミや評論家(とくに「田中金脈」を最初に大きく報道した故立花隆氏)の姿勢には違和感を感じざるを得ません。
当時のマスコミは単に興味本位と思われるほど執拗に元首相のあら捜しをし、寄ってたかって非難攻撃しましたが、それは彼の一面を見ていただけで、彼が日本の発展にどれだけ重要な貢献をしたか、そして、これからまだまだ大きな貢献をなしうる人物であることを認識していたか。ただ前後見境もなく集中攻撃をして、あたら傑出した人材を潰してしまったのではないか。
私は今でも、彼がもう2、3年長く総理大臣をやっていたら、日本は大きく変わったのではないかと思っています。あのような百年に一人出るか出ないかというほどの桁外れの政治家は、国家にとってかけがえのない存在だったと思っており、それゆえに、あのような大政治家は、色々毀誉褒貶はあったにしても、国民としてできるだけサポートして行くべきではなかったかと思っています。
誤解を恐れずにあえて言えば、そのような意味において田中氏と宇野氏のケースには1つの共通点があるのではないかというのが私個人の見立てです。
ネルソン提督「英雄は色を好む」?
この私の考え方を裏付けるような一つのエピソード(言い伝え)が民主主義の発祥地で、老練な外交手腕で知られるイギリスにありますので、次にご紹介しておきます。
「我々は道徳堅固でトラファルガーの海戦に負けるネルソンを持つよりは、ハミルトン夫人と姦通をしても、トラファルガーの海戦に勝つ将軍を持つ方が幸福である」
(誰がいつ言ったかは不詳)
トラファルガーの海戦とは、1805年、スペインのトラファルガー岬(ジブラルタル海峡のそば)でイギリス海軍とナポレオン率いるフランス・スペイン連合軍が激突した海戦で、英国艦隊の司令長官がネルソン提督。
ちなみに、この海戦でネルソンが旗艦のマストに掲げたZ旗(英国は各員がその義務を尽くすことを期待する)の故事に倣って、百年後の日露戦争では日本海海戦で東郷平八郎がZ旗(皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ)を掲げ、ロシアのバルチック艦隊を全滅させたことはご存じの通り。
また、ハミルトン夫人とは、当時の駐仏イギリス大使の妻で、ネルソンと不倫関係にあったとされ、二人のラブロマンスは、その後「美女ありき」というハリウッド映画(1941年公開、主演はビビアン・リーとローレンス・オリビエ)で描かれ有名になりました。
危機に強い政治指導者を
こうした話は百年も二百年も昔のことで、女性の社会的な地位が飛躍的に向上し、男女の不倫・セクハラ問題の社会的な受け止め方や価値観も大きく変化した現在とは同日に語ることはできませんが、にもかかわらず、政治家の品格、器量と国際政治・外交関係における指導力、突破力を考える上で、一考に値するのではないかと愚考する次第です。
これは、戦争などの国家的危機に限らず、大災害などの緊急事態における国の対応の在り方を平時から考えておくことが極めて重要であるということでもあります。
前回の本欄で、政治家の「劣化」という問題を取り上げたのも、そういう私の積年の問題意識に起因するものであることを最後に付け加えておきます。
(2024年2月26日付東愛知新聞 令和つれづれ草より転載)