子どもに選挙権を付与しないという「年齢差別」 --- 坂野 嘉郎

東京、島根、長崎での補欠選挙が告示されました。成人年齢が引き下げられてから2年が経ち、18、19歳の選挙もすっかり定着した感があります。

一方、17歳以下の未成年者による投票は、引き続き認められません。これはなぜなのでしょう?

「当たり前」と思われるかもしれませんが、少し立ち止まってその理屈を考えてみましょう。

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「判断力が不十分」なのは、子どもだけか

誰でも最初に思いつく理由は、子どもには「政治に関する知識や判断力がないから」というものでしょう。

でも、もしも知識や判断力を理由に年齢で区切るなら、それらが衰えるどこかの年齢で線を引いて選挙権を停止しなければ、筋が通りません。

年をとれば認知機能や判断力が衰えることは、誰でも知っています。90代以上人口の6割以上は認知症の有病者であり、軽度認知症患者の「獲得年齢」が「8歳〜思春期程度」とされています。

現代の社会で「平均的な90代」と「平均的な中学生」のどちらがより優れた判断を下せるかは、大いに議論の余地があるでしょう。

「問答無用に年寄りを切り捨てるなんて、冷酷だ」と思われるでしょうか?

私もそう思いますが、では問答無用に子どもの選挙権を切り捨てることは、なぜ冷酷ではないのでしょう?

世の中には、政治に関心を持つ聡明な未成年者も、たくさんいます。その中には、一度も選挙権を行使できずに若くしてその生涯を終えてしまう人もいるでしょう。残酷ではありませんか?

もし「子どもは社会的な義務を果たしていないから」というのであれば、労働や納税が難しい境遇にある成人の選挙権も停止しなければなりません。教育課程を修了していないことが理由になるなら、学校に行かずに成人した人の権利は停止しなければいけません。

それが非人道的だというなら、子どもに一切選挙権を与えないことも、同じくらい非人道的なのです。

大人のインクルージョンだけが進む選挙

日本で男女普通選挙が実現した20世紀の中頃、選挙権を付与するためには一定の判断能力を備えていることは当然の前提と考えられていました。今でもそう思っている人が多いと思います。

しかしこの考え方は既に見直されています。2013年には、「成年被後見人には選挙権がない」という公職選挙法の規定を違憲とする地裁判決が出ました※1

そしてその2ヶ月後には法改正がなされ、今ではかなり進行した認知症や知的障がいのある方でも、候補者や政党を選択する意思表示さえできれば、投票ができるようになっています※2

政治参加に必要な「判断力」を誰かが上から目線で規定して、その水準に満たないとみなした人々を選挙から排除するのは不適切だ、という考え方が主流になりつつあるのかもしれません。

そうであるならば、大人だけが判断力や社会貢献の度合いに関わらず権利を謳歌し、子どもは未熟だからと排除し続けて良い理由は、一体どこにあるのでしょう?

子どもの権利制限は、子どもを守るためにある

ところで、子どもと大人とで法律上の扱いが異なる場面は、選挙権の他にもいろいろとあります。たとえば飲酒・喫煙や結婚、契約の締結、運転免許などです。未成年者が親権者等の同意を得ずに行なった契約は取り消すことができますし、刑事責任能力にも制限があります。

しかしこれらの制限と選挙権には、決定的な違いがあります。

他の年齢制限は、子ども自身を守ることに主たる目的があります。あるいは自動車事故のように深刻な危害が社会に及ぶ危険を予防する、という目的もあるでしょう。

ところが選挙権を行使することで子ども自身が困るようなことは、何もありません。子どもが投票所にいったら暴走して誰かに危害を加えるなんてことも、ありません。

「法律の保護が必要な半人前の存在に、選挙権はいらない」と考える方もいるかもしれませんが、そんなふうに目的の違う制度を借用して選挙権を制限すべきではないと、上述の判決で明確に否定されました。

要するに、大した理由もなく、昔からの惰性で子どもを排除し続けているだけなのです。これは立派な年齢差別です※3

本当の意味での「一人一票」

「判断力」や「社会的責任」を持ち出して子どもを選挙から排除するなら、同じ理屈を大人にも適用しなければフェアではありません。

そうではなく「能力に関わらず全ての国民に一票を保障しよう」と考えるなら、子どもの選挙権を制限してよい理由はありません。未熟なうちは親がサポートしてもよいですし※4、代理行使まで認めるのであれば、全ての国民が生まれたその日から選挙権を持つべき、ということになります※5

およそ1世紀前、女性には参政権がないのが常識でした。数十年前まで、知的障がい者は投票ができないのも当たり前でした。私たちの社会は現在もまだ、「全国民に一人一票」を実現する歴史の途上にあるのです。

「子どもに選挙権なんか要るわけないだろ」という令和世代の固定観念も、半世紀後の未来にタイムスリップしてみたら、「不適切にもほどがある!」と言われてしまうでしょう。

【注記】

※1 この判決は、「判断力のない成人から選挙権を取り上げること自体が違憲だ」と判示したものではありません。「成年後見人審判で確認されるのは財産管理能力であり、選挙での判断能力とは関係がないので、制度を借用して選挙権を停止するのは違憲だ」と示したうえで、「選挙権の行使に判断力が必要だというなら、そのための制度をちゃんと作りなさい(オーストラリアや、アメリカの一部の州のように)」と国会に促す内容でした。

※2 国会は、違憲判決の2ヶ月後に「成年後見人には選挙権がない」と定めた公職選挙法11条1項1号を単に削除する改正案を、衆参両院の全会一致で可決しました。「代わりに選挙での判断力の線引きをする制度を創ろう」という議論にはならなかったので、「選挙権に判断力は求めない」が立法府の総意だと言ってよいでしょう。

※3 日本国憲法15条3項には「成年者による普通選挙を保障する」と書かれているので、現行の扱いが違憲とは言えません。が、憲法は未成年者の選挙権を禁止しているわけでもないので、憲法を改正せずとも、選挙権を拡大する法改正は可能でしょう。ちなみに男女普通選挙が実現したのも、日本国憲法公布(1946年11月)より前の1945年12月、大日本帝国憲法下での選挙法改正によるものでした。

※4 現在の運用は、認知症患者等も完全に独立した自由意思で投票行動を決めているという建前に基づいています。しかしその前提が実際に満たされているかはかなり疑わしく、老人ホームの入居者を投票に動員するような事件がたびたび起きています。「投票の意思決定に支援が必要な人もいる」という現実を正面から認めて、サポートを行う権限を持つ者を指定するなどの制度設計をする必要があるように思われます。

※5 似たような主張が、「社会保障の世代間格差の解消」という特定の政策目的を実現するための「手段」として掲げられることがありますが、その議論は論理的にも戦術的にも、筋がよくないと思います。世代間格差が存在するか否か、それを是正すべきか否かに関わらず、「一人一票原則を全年代に公平に適用すべき」というのが、正しい議論の立て方でしょう。(「平均余命に応じて投票数を配分する」「世代別選挙区制」などのアイディアも、理屈は分かりますが、過度に技巧的で現実味がありません。)

坂野 嘉郎
投資銀行、医療政策シンクタンクなどを経て、スタートアップ企業にて財務を担当。東京大学法学部卒、ハーバード公衆衛生大学院修了(MPH)。