日本経済は「失われた30年」と言われています。
デフレ・円高を不況の原因だとし、「金融政策でインフレ目標を達成すれば経済が復活する」として政府も中央銀行(日銀)も「デフレ脱却」をスローガンに金融政策を続けてきました。
現在、日本国民はインフレと円安に苦しんでいます。
政府と中央銀行が「経済をよくできる」というのは幻想です。
彼らが何かすればするほど、自由市場は介入によって歪められてきました。更には、政府権力が大きくなり税金は高くなってきました。
「政府や中央銀行が正しい経済政策をきちんと行えば、経済はよくなる」という思い込みは、いい加減捨てなければなりません。
現実に政府や中央銀行は、経済に大きな影響を与え続けていることは事実ですが、これを所与のものだと当然視し、中央銀行の必要性について思考停止すべきではありません。
そもそも中央銀行が作られた理由は「戦争のために、インフレという隠れた税金を作り出すことが目的」でした。
政府はあからさまな増税をせずに資金を得るために、銀行の「詐欺行為」を支持したのです。
このような詐欺による貨幣量の増大は、短期間の高度成長の後、けっきょくはインフレが猛威を振るい、経済が崩壊しました。
歴史の好況・不況のサイクルはこれを繰り返し、政府と中央銀行の政策によって、一般の国民は振り回され、経済的な苦しみにさらされ続けています。
先日、中央銀行と政府権力と戦争の関係の歴史について、アメリカの自由主義系のシンクタンク「ミーゼス研究所」の記事を紹介しました。
「ミーゼス研究所」は、オーストリア学派経済学を再興した巨匠ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの名を冠し、無政府資本主義を提唱したマレー・ロスバードが設立した、自由主義ど真ん中のシンクタンクです。
そんなミーゼス研究所だからこそ、中央銀行の存在自体を批判するような、一般的な日本人からすると極端にみえる論説を掲載するのだと思われるかもしれません。
しかし、自由主義・自由経済を主張し、中央銀行によるインフレ・政府権力の増大に反対するのは、極端なリバタリアンだけではありません。
アメリカでは、「保守派」の人々が、小さな政府の支持者なのです。
今回は、アメリカの保守系シンクタンクであり米国共和党に大きな影響力をもつ「ヘリテージ財団」の記事を紹介しようと思います。
「ヘリテージ財団」のHPに2023年10月2日記載のEJ Antoni氏とPeter St Onge氏の論文「Time To End the Fed and Its Mismanagement of Our Economy(FRBとその経済失政を終わらせる時)」です。
※FRB(連邦準備制度理事会)は、米国の中央銀行制度である連邦準備制度(FRS)の最高意思決定機関のこと。 7人の理事(うち議長1人、副議長1人)から構成されており、英語表記「Federal Reserve Board」の略で「FRB」と呼ばれます。
※太字は筆者です。
【要点】
- FRBが存在する限り、経済はインフレと不況の間で揺れ動いてきた
- 政治家たちは、政府と不良な銀行を同時に救済するために、完全な政府運営の機関、連邦準備制度理事会(FRB)を設立した
- 創設以来、FRBはドルの価値の98%を奪ってきた。FRBはその利益を使って好況と不況のサイクルを繰り返してきた
Time To End the Fed and Its Mismanagement of Our Economy
Time To End the Fed and Its Mismanagement of Our Economy
(FRBとその経済失政を終わらせる時)
過去30年間だけでも、FRB(中央銀行)の低金利は1990年代のドットコムバブル、住宅バブル、2008年の世界金融危機を引き起こしました。
過去110年間の大きな景気後退には、すべて連邦準備制度理事会(FRB)の痕跡が残っています。実際、FRBが存在した期間を通じて、FRBはインフレと不況によって経済を揺り動かしてきました。
しかしアメリカ人は、驚くべきことにそれを容認してきたのです。
しかし、それが永遠に続くと思うべきではありません。
FRBの前にも3つの中央銀行がありましたが、いずれも歴史の塵の中に葬り去られました。
中央銀行に内在する問題は、FRBもまた廃止する理由になります。
中央銀行の歴史は1694年に遡ります。
イングランド銀行が設立されたのは、政府に安価な資金を供給するため、とりわけイギリスの数多くの対外戦争のために、インフレという隠れた税金を作り出すことが目的でした。その対価として、中央銀行員には利子から生じる多額の給料が支払われました。
政府の寵愛を受けた銀行と同様、イングランド銀行は実際には持っていないお金を貸し出すことで、金庫にある銀をはるかに上回る額を貸し出しました。イギリス政府は、国王と議会が金を欲していたために、こうした詐欺行為を支持しました。
詐欺行為はさらに進みました。
イングランド銀行は、新たに保有する国債を民間融資の裏付けに使うことを許されました。つまり、銀の裏付けのない貨幣をさらに作り、民間の銀行に貸し付けたのです。この貨幣もまた、何もないところから作り出されたにもかかわらず、利子がつきました。
このようなマネーの爆発が、英国経済に組織的な大火災を引き起こしました。
つまり、短期間の高度成長の後、インフレが猛威を振るい経済が崩壊したのです。
好景気と不景気のサイクルが生まれました。今でいう “景気循環 “です。
イングランド銀行が作り出したすべての貨幣と交換する銀貨が足りなくなったとき、英国政府は18世紀の救済措置に相当することを行い、正貨の償還を停止しました。イングランド銀行が約束した銀貨での返済を停止することを認めたのです。
中央銀行は、合衆国憲法が制定される以前に新大陸(アメリカ大陸)に輸入されていました。私たちの最初の中央銀行である北米銀行は、イングランド銀行を模倣し、連合規約の下でハイパーインフレを引き起こしました。
その時点で、建国の父たちは条文も銀行も廃止しました。
中央銀行には代わりが必要だと考えた連邦議会は、1791年に合衆国第一銀行を設立し、各州のさまざまな通貨と負債を統合して政府への短期融資を行わせました。
第一銀行は、前身の北米銀行が引き起こしたようなハイパーインフレを避けるため、国債の購入を禁じられていました。しかし、政府がさらなる歳入を必要としたため、議会は銀行株の売却を決定し、銀行の認可は更新されませんでした。
こうして中央銀行はなくなり、アメリカ経済は1812年戦争まで好景気に沸いたのです。
1812年戦争の戦争資金を調達するために、政府は地方銀行から多額の借金をし、地方銀行は政府のために無からお金を作り出しました。つまり、銀行の金庫にある金や銀よりも、はるかに多くの紙幣が流通したのです。人々が紙幣と交換しようとしても、銀行には十分な金や銀がなく、多くの銀行が破綻しました。
銀行を救済するため、議会は1816年に別の中央銀行、合衆国第二銀行を設立しました。
第二銀行は、地方銀行による過剰な融資を抑制しました。とはいっても、それは最初にそれを奨励した後のことでしかありませんでした。その結果、負債に煽られた好況が続き、1819年には国内初の恐慌を引き起こしました。
議会の多くは、中央銀行が引き起こす激しい痙攣のような経済状況に寛容でした。なぜなら、中央銀行はあからさまな増税をすることなく、自分たちが使うための資金を提供してくれたからです。
しかし国民は騙されず、容認しませんでした。国民は、この中央銀行という野獣と戦うためにアンドリュー・ジャクソンを選出し、1836年に銀行の認可が更新されないようにしました。
その結果、アメリカは数十年にわたる経済成長を遂げることになりました。
1907年、大手銀行の不始末が銀行危機を引き起こし、J.P.モルガン社による壮大な救済活動が必要となったことで、黄金時代は終わりを告げました。これに対し、J.P.モルガンは、このような危機に対応するための民間の「銀行家のための銀行」を政府が認可することを望みました。
議会の進歩派は、ネルソン・アルドリッチ上院議員が言ったように、「銀行の危機に対処するために、常にジョン・ピアポント・モルガン(※アメリカのモルガン財閥の創始者)がそばにいるとは限らない」という理由で、これを拒否しました。
こうして1913年にモルガンが亡くなった直後、政治家たちは政府と不良銀行を救済するための完全な政府系機関、連邦準備制度理事会(FRB)を設立しました。
その瞬間から、好況と不況のサイクルはステロイド中毒に陥るようになりました。
不吉なことに、FRBは第一次世界大戦の戦費を賄うためのインフレブームとともに始まり、それは1920年の不況によって幕を閉じました。FRBは1920年代後半、イギリスを浮揚させるために再びインフレブームを起こし、世界恐慌を引き起こしたのです。過去100年間、FRBは5年から10年ごとにバブルを生み出し、そして弾けさせ、そのたびにアメリカ経済の大部分を崩壊させてきました。
過去30年間だけでも、FRBの低金利は1990年代のドットコムバブル、住宅バブル、2008年の世界金融危機を引き起こしました。今日、FRBがコロナ危機のロックダウンに対する市民への賄賂とも呼ぶべき通貨の増刷を行った結果、1970年代のスタグフレーションと2008年のような銀行破綻を合わせたような複合的なリスクをもたらす全てのバブル、つまり全面的なインフレが起きています。
創設以来、FRBは1ドルの価値の98%を盗んできました。FRBはその利益を使って好況と不況のサイクルを繰り返し、連邦政府、特別利益団体、裕福な借り手に何兆ドルも移転してきたのです。
ジャクソン大統領は中央銀行がこのような泥棒行為をすることを許しませんでした。そして、私たちも許す必要などないのです。
編集部より:この記事は自由主義研究所のnote 2024年4月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は自由主義研究所のnoteをご覧ください。