献本いただいたのに御礼が遅れて申し訳ありません。今年4月刊の舟津昌平『Z世代化する社会 お客様になっていく若者たち』が、拙論に言及して下さっています。温かいお手紙も添えてご恵投くださり、ありがとうございました。
著者の舟津さんとは面識がないのですが、京都大学で組織やマネジメントの研究をされた後、現在は東京大学大学院経済学研究科講師とのこと。ジャンルや専門が違う方にも、自分のメッセージが伝わるのは本当に嬉しいです。
具体的な言及箇所を引くと、こんな感じです。
上司の表情で不安になり心を病む人のために、ストレスの根源である上司の表情を監視し、管理する。そういうビジネスを立ち上げたベンチャー企業の社長のインタビュー記事だった。
ちょっと眩暈がする。上司に起因した職場トラブルがあることはたしかだ。でも、上司が諸悪の根源であるわけもない。まるでインフルエンサー(アンチ)がアンチ(インフルエンサー)には何をしてもいいと思っているような攻撃性。上司が凶悪犯罪者であるかのような扱いではなかろうか。上司の表情まで管理する社会がマトモなのか。
歴史学者・與那覇潤は、こうした様相を「社会のデオドラント化」と表現する。巧い表現だ。クサいから除菌する。汚物は消毒だ! 滅菌せよ! というわけだ。
でも、現実的に菌が消えることなどない。得られるのは刹那的な「消えた感」だけだ。
『Z世代化する社会』282頁
強調箇所は、原文と異なります
まだちゃんと読めてないのですが(すみません)、本書の正副タイトルが示唆する、必ずしも若者には限らない日本人みんなの「お客様化」が、デオドラント化の背景にあるという趣旨での言及かなと感じています。より正確にいうと、馴染みという概念がないお店でのお客様化ですよね。
初めて寄ったファミレスで、案内されたテーブルが汚れていたら、「なんだこの店。ちゃんとやれよ」とイラッと来る。ひょっとしたらネットに低い評価を書きこんだり、本部に電凸してクレーム入れちゃうかもしれない。
でも行きつけにしている個人のお店だったら、テーブルに前の客の食器が残ったままでも、「のんびり待つんで、ゆっくりでいいっすよ」になるでしょ? 顔馴染みの主人が悪い人じゃなくて、けっこう忙しいことを知っているからです。
馴染みとか関係なく、俺がほしいのは「最低価格で最高サービス! うおおおおお」を追求するのは、かつての近代経済学が想定した合理的経済人ですが、いまや現実の消費者がそうした抽象化されたモデルに近づき、むしろ経済学部で教える先生のほうが「おいおい。世の中ヤバくないか?」と感じ出している。そんな逆説を感じました。
この「社会のデオドラント化」という表現を最初に使ったのは、『週刊現代』2023年6月3・10日号での宮台真司さんとの対談でした。全文ではないですが、その箇所も含めて一部がネット記事で読めます。
対談は、若者が起こす刹那的な犯罪をめぐるものでしたが、2024年の1月には京都アニメーション放火殺人事件(19年7月)の判決を控えて、『朝日新聞』の取材でも同じ言葉を使いました。こちらは近日、雨宮処凛さんが護憲メディアの「マガジン9」で丁寧に紹介して下さっています。
宮台さんと雨宮さんはもうだいぶ立場が違いそうだし(笑)、私は双方ともたぶん違うし、また舟津さんとは専門が違う。そうした異なる人どうしでも共有できる言葉を作ってゆくのが、正しい意味でのダイバーシティだと改めて痛感します。
……ん、あれっ?
……異なるどころか私と同じ専門なのに、『朝日新聞』で社会のデオドラント化についての記事を読んで、ぜんぜん違うことをネットで叫ぶ人がいる学問分野も、あったような?
「豚の嘶き」で有名なこの人、歴史学者なのですよね。不思議なのは、歴史ってもう昔ほど相手にされず、むしろ社会を効率化する上での邪魔者として除菌スプレーをかけられる側なのに、なぜか歴史学者って自分をスプレーする側だと思い込む癖があるんです。
私のことを「無敵の人」呼ばわりして中傷するのもそうですが、それが彼にとって例外的な態度でないことは、「この学者はクリーン! この学者は除菌!」と同業者への噴霧しぐさを重ねる異様な長文にも表れています。
歴史学なる学問のどこに、学ぶ人をおかしくさせる要素があるのかは、コロナ禍の最中にも『歴史なき時代に』(21年6月)で探究しましたが、今後も歴史学者ではないみなさまの知恵を借りつつ、そこに潜む現代社会の闇を解剖してゆきたく思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年5月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。