フェミニストは何故、「男児叩き」をするのか --- 兵頭 新児

一般投稿

iZhenya/iStock

六月の頭辺りの数日、Xのトレンドワードとして「男児叩き」が上がる、という珍事が起きました。

おやおや、と思いました。というのもSNSではとにもかくにも「女叩き」が溢れているのだ、というのがメディアの報じる「事実」なのに、何故男性の、しかも子供が……と意外に思ったのです。

近年、SNS上でフェミニストとオタクが熾烈なバトルを繰り広げていることを、ご存じの方も多いかと思います。十年前、三重県志摩市のイメージキャラクター、碧志摩メグが萌えキャラであったがために「女性蔑視」だとバッシングされ、市の公認キャラクターだったのが公認撤回をせざるを得なくなった……といった事件から現在に至るまで、フェミニストとオタク(ないし、性的な表現を好む一般男性)のバトルが頻発することになったのです。

この傾向はこの数年、女性を性的対象とすることが絶対悪であるとするポリコレが(またその一端であるフェミニズムが)全世界的に猛威を振るい始めたこともあり、いよいよ激化していたのですが……ここしばらく、彼女らの攻撃の矛先が「男児」へと向きつつある、というのが冒頭に挙げたトレンドワードの理由なのです。

具体的には「男性禁止の産婦人科に、男児を連れてくるな」、「試着室で着替え中、男児にカーテンを開けられたので鉄拳制裁してやった」、「女湯に男児を入れるな」といった内容。

中には「男児に胸を触られたのでビンタをしたら、その子が聴力を失った」ことをまるで武勇伝のように語る例まであり、さすがにこれは非道いとネット民たちの顰蹙を買うことになりました。

もちろん、これらはいちいち真偽を検証された話ではありませんが、本件についてはモデルでアイドルのあおちゃんぺさんが、積極的に発言しています。

上の女湯の件もそうなのですが、彼女は男児の女子スペースへの連れ込み、女性へのセクハラに断固反対のスタンスを表明しているのです。彼女はちょっと前までは共産党による水着撮影会の禁止に反対し、パレードを行うなど、フェミニストとは思えなかったのですが、本件に至り、フェミ的な主張へとシフトしていったのだと言えます。

これは日本に限った話ではなく、韓国など日本以上のフェミ大国であり、男女の対立は日本以上に激化していて、こうした「男児叩き」の状況も日本を先取りしていると言えます。

韓国のフェミニズムオンラインコミュニティ「WOMAD」では、「中絶認証」というタイトルで臍帯といっしょに体外に取り出された男性の胎児の写真、身体のさまざまな部位を損壊させた胎児の写真が公開されたといいます。彼女らは男児を「寄生虫」と呼び、それを駆除することに腐心しているのです(※閲覧注意)。

別に男児だけがターゲットになっているわけではなく、父親の死体の写真投稿などもなされているのですが、それにしてもここまでの男性への憎悪にはぞっとさせられます。

むろん、これは極端すぎると思われるかも知れませんが、とは言え、フェミニズムにおいて、とにもかくにも男は「絶対悪」とされています。

フェミニズムとはそもそも、結婚や異性愛を女性を抑圧する、男性によって作られた社会的装置として、全否定する思想です。本件では男児が女性に性的興味を持つことがおぞましいこととされていますが、それも「フェミニズムにとっては正論」なのです。

つまり「男児叩き」そのものは、フェミニズムという思想を演繹していけばある意味、必然であり、韓国の状況はさすがに極端とは言え、これは日本の未来を指し示しているとも言えるのです。

さて、しかしそれでは一体、彼女らはどうしてこんなことになってしまったのでしょう。

彼女ら自身の口から語られる言葉をそのまま受け取れば、「この日本が考えられないほどの男尊女卑、女性蔑視で満ちているからであり、それらに対する絶望が、このような言動を取らせているのだ」となりましょうが、しかし今の日本がそこまでの女性差別社会だというのは、普通の人からすれば奇異に聞こえるでしょう。

法律上の平等は概ね達成されていますし、妻を横暴に虐げる夫というのもいるにはいるでしょうが、むしろその逆の方が比率としては多いのでは……とも思えます。

しかしだからこそ今、いわゆる「ツイフェミ」が猛威を振るい、いや、その「ツイフェミ」に目を奪われている人も多いけれども、ポリコレに代表されるように「ツイフェミ」たちの親玉である「本来のフェミ」も息を吹き返した……ぼくにはそんなふうに思われます。

「女性差別の消滅が、フェミニストの動きを活性化させた」。

妙な話です。しかし、例えば昨年、日本のフェミニストの代表格と言える上野千鶴子氏が結婚していたことが判明し、批判されました。彼女も盛んに結婚を否定する主張を続けていたのだから、それも当たり前のことなのです。

しかしその事件自体が、フェミの根源に、結婚や恋愛という「酸っぱいブドウ」に対する「ツンデレ」的感情があることを、立証してはいないでしょうか。何しろ普通に労働者として働いている女性より主婦の方が(ついでに男性より女性の方が)幸福だということは、各種調査ではっきりしているのですから(『平成26年度版 男女共同参画白書』など)。

しかし一体全体どういうわけか、リベラルのセンセイたちは「働く女性の幸福度を上げねば!」とかけ声を上げるばかりです。

つまり「女の幸せは結婚」といった、今言えばセクハラで大問題になるでしょうが、一昔前ならば普通に言われていた言葉にやはり一定の普遍性があり、それをフェミが「セクハラ」扱いしてきた(事実、上野氏は辛淑玉氏との共著『ジェンダー・フリーは止まらない!』において「女は嫁に行くのが一番」のような信条を「ユダヤ人はドイツ人より人種的に劣っている」と言うのと同様で、許されないとしています(16~17p))ことは、むしろ女性を不幸にしてきた。

この三十年近くに渡ってフェミは性を厳格化し続けて来ましたが、そうなれば当然、男性は女性にアプローチしにくくなる。それでご満足いただけたのかとなると、彼女らはいよいよ「あれも女性差別、これも女性差別」と荒ぶるのみです。それは言わば、「仮に不快でも、とにかく自分は男性から求められる存在でなくてはならない」との女性のセクシュアリティの本質に根ざした反応です。

この一連の「男児叩き」はその果てに生じたものです。下手をすると二、三歳児による「性加害」を脅威だとする感受性は、それこそ「女の幸せは結婚と言ってはならぬ」といった性にナイーブすぎる反応と、同様なのではないでしょうか。

それともう一つ。この「男児叩き」のさらなる本質は、むしろ「男児(という、理想の恋人)」を持つ母親への嫉妬という側面が強いのではないでしょうか。

フェミは「結婚」と同時に「母性」を激しく憎みますが、これもツンデレ的反応であり、フェミによって「母親」になることのできなかった女性たちが、フェミ的レトリックで男児に憎悪を燃やしている。それが本件の本質であるように、ぼくには思われるのです。

フェミの反社会性はあまり知られておりませんが、より多くを知りたい方は拙著『ぼくたちの女災社会』をご覧ください。電子版で先日、改訂版を出したところなのでよろしくお願いします。

兵頭 新児
本来はオタク系のフリーライター。フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。先日、その増補改訂版を刊行。noteも運営中。twitter
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