ウクライナ戦争で活用されるロシアの認知戦、「反射統制理論」とは何か(藤谷 昌敏)

bennymarty/iStock

政策提言委員・金沢工業大学客員教授 藤谷 昌敏

「反射統制」理論は、ロシアにおいて情報戦略や意思決定に影響を与える手法として重視されている。この理論は、相手を特定の行動に誘導するために情報を伝達する方法を指す。具体的には、敵の意思決定を操作し、望む結果を得るために、情報や心理的な圧力を利用することが特徴だ。

「反射統制」の語は、文字通り、心理学に由来する「反射」とサイバネティクスに由来する「制御」という2つの用語から成り立っている。ロシアでは「反射的コントロール」とも呼ばれている。

この理論は、敵の意思決定に影響を与えるためのさまざまな手法を包括しており、例えば以下のようなものがある。

① 力による圧力
優越した戦力の運用、戦力の誇示(戦力の脅迫)、「心理攻撃」、実際の部隊集結・施設又は武器の誇示、最後通牒、戦力使用による威嚇(制裁)、リスクによる威嚇(非理性的行動や責任能力のない人物への権限移譲に注意を惹く)、戦闘中の偵察、挑発的機動や武器の試用など。

② 敵の初度情勢見積り(情報)の操作技法
戦術的カモフラージュ(実際の軍事施設の展示又は秘匿、偽装した軍事施設の建設、装備、別のものに見える軍事施設の展示、存在しない施設間の連携誇示又は実在する連携の秘匿、脆弱地点における戦力誇示、誤情報の拡散)など。

③ 敵の目標の操作技法
強さの調整によるエスカレーションの上げ下げ、特定の一連行動の意図的誇示など。

④ 意思決定アルゴリズムの操作技法
通常の計画と敵が見なすような系統立った駆け引きの実施、意図的に歪曲したドクトリンの公布、重要人物を含む管制システムへの攻撃など。

⑤ 意思決定時間の選択に影響を与える技法
戦闘行動の予期せぬ開始、状況を予測可能と敵が考え軽率な意思決定を行うように類似の紛争に関する背景情報を流布するなど。

「反射統制」は、ロシアの情報戦略において重要な要素であり、ウクライナ侵攻などの軍事行動にも影響を与えている。この理論を理解し、対応策を検討することは、我が国においても極めて有益である。

ウクライナ戦争における「反射統制」

第1段階

偽情報の流布を用いた情報操作型サイバー攻撃によって、社会の分断や政府機関の信用を失墜させ、社会を攪乱して弱体化させることを目的としていた。有事に兵器によって敵の軍事目標を破壊する以上に平時からの情報戦で相手の社会の団結や意思決定を混乱させ、敵国の戦争遂行能力を弱らせることに主眼を置いている。

ウクライナ戦争では、2014年に親ロシアのヤヌコビッチ政権が崩壊して以降、親欧のウクライナ政府の信用を失墜させる目的で、「ウクライナ政府がネオナチであり、ロシア系住民を弾圧している」という偽の言説がロシア側から流布されていた。

次に開戦直前の3ヵ月にわたって侵攻の真偽を巡る情報戦が行われた。ロシア軍の動きに関して「ウクライナの国境から部隊が撤退した」「ロシアは外交努力を続ける」などウクライナに侵攻しないという情報をロシアは出し続けた。

結果としてウクライナ国内では軍事侵攻はないと考える人が非常に多く、ウクライナ政府にも影響を与え、予備役の招集の遅れなど軍事侵攻に備えた準備の遅れが生じた。

この第1段階の情報戦は軍事侵攻後も続いており、ロシア軍の損害、ロシア軍の非人道的攻撃などの真偽を巡る争いがサイバー空間で行われている。

第2段階

サイバー攻撃は紛争が近づいてくるグレーゾーン以降に現れる。この段階ではサイバー攻撃で電力網や通信網などの重要インフラにマヒを起こし、相手の継戦意思を失わせることが目的となる。

ウクライナ戦争では3波にわたるサイバー攻撃が仕掛けられた。第1波は1月中旬にランサムウェア(身代金要求型)を装って行われた。ウクライナ政府機関のウェブサイトが改ざんされ「最悪の事態を恐れろ」というメッセージが映し出された。

第2波は2月15日、ウクライナの外務省、国防省や軍、国営の商業銀行2行に対して通信を妨害するDDOS攻撃が行われた。そのためモバイルバンキングやATMが使えなくなった。

第3波は軍事侵攻の直前の2月23日、ウクライナ国内の官民のコンピューターを破壊するため、機能破壊型のマルウェア(Hermetic Wiper)が金融、防衛、航空、通信関係施設などに送り込まれた。米軍やセキュリティ企業がウクライナに入って支援していたため、実際に破壊される前にマルウェアを発見して対処したため、被害は局限化された。

各国への「反射統制」

ウクライナ戦争の第1段階の情報戦は、ロシア寄りの国際世論の形成も狙っており、日本でも「NATOの拡大でロシアが追い詰められたからウクライナに侵攻した」という言い訳が有識者や政治家の間に流布し、中にはロシアの言い訳に同調する者が現れた。

2016年の米国大統領選挙では、ロシアは情報操作型サイバー攻撃を行い、米国社会の分断の拡大を図った。特に米国の黒人層をターゲットとして「大統領選挙に投票に行っても政治は変わらない」というメッセージを流し続けた。投票に行かない民主党の支持層の黒人が増え、黒人の投票率が約7%も低下し、共和党のトランプ氏が大統領に当選した。ロシアは米国の民主主義の信用を失墜させることを目的としていた。

またEUでは、2016年の英国のEU離脱を問う国民投票で「EUに加盟していることは英国人にとって損だ」という偽の情報がロシアによって流布された。その結果、国民投票でEU離脱が過半数を占めて離脱した。ロシアは世界各国に影響力を拡大することに成功したのだ。

【参考資料】

  • アンティ・ヴァサラ、鬼塚隆志(監)、壁村正照、木村初夫(訳)「ロシアの情報兵器としての反射統制の理論」五月書房新社、2022年。
  • ダニエル・P・バゲ、鬼塚隆志(監)、木村初夫(訳)「マスキフロスカ」五月書房新社、2021年。
  • 長沼 加寿巳「ロシアにとっての「認知領域の戦い」—「反射制御」理論の誕生とその展開 —」エア・アンド・スペース・パワー研究、第10号、pp,85-101。

藤谷 昌敏
1954(昭和29)年、北海道生まれ。学習院大学法学部法学科、北陸先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科修士課程卒、知識科学修士、MOT。法務省公安調査庁入庁(北朝鮮、中国、ロシア、国際テロ、サイバーテロ部門歴任)。同庁金沢公安調査事務所長で退官。現在、JFSS政策提言委員、経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員、合同会社OFFICE TOYA代表、TOYA未来情報研究所代表、金沢工業大学客員教授(危機管理論)。主要著書(共著)に『第3世代のサービスイノベーション』(社会評論社)、論文に「我が国に対するインテリジェンス活動にどう対応するのか」(本誌『季報』Vol.78-83に連載)がある。


編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2024年7月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。