辺野古に伸びる「朝鮮戦争の影」:川名晋史『在日米軍基地』

北朝鮮が韓国に侵攻して朝鮮戦争が始まった1950年6月、日本はまだGHQの統治下にあった。当時は警察予備隊(同年8月に急設)すらなかったので、そのまま放置したら、文字どおり丸腰の状態である。

吉田茂が結んだ旧日米安保条約(1951年9月)が、簡素な駐兵協定に留まったのは、緊急避難的に「米軍に居てもらう」ほか選択肢がなかったからだ。結果として朝鮮戦争が53年7月に休戦になっても(つまり終戦はしていない)、米軍の側には「なるべくフリーハンドを得ながら、日本に駐留したい」とするニーズが残り続けた。

1月に出た川名晋史氏の『在日米軍基地』(中公新書)によると、1954年2月に結ばれた「国連軍地位協定」が、その目的を実現する上で重要だったという。国連軍とはもちろん、朝鮮戦争に際して編成された変則的なそれ(米国を中心とする有志連合軍)のことで、豪州など英連邦の諸国のほか、後に仏・伊・タイ・トルコも署名している。

仔細は同書に譲るが、日本にある米軍基地のいくつかは、同時に「国連軍基地」にも指定されている。そのため、米軍ではなく「国連軍です」と見なされると、日本政府とのいわゆる事前協議をスルーできたりとか、運用の自由度が大幅に上がるポテンシャルがあるらしい。

ポテンシャル、とぼかした書き方を(私が)したのは、条約の文言はしばしば曖昧で、結んだ国どうしでも解釈に幅があることが多く、そして幸いに(いまのところ)朝鮮戦争は再開戦していないので、有事にどのような運用がされるかは、実際に起きるまでわからない部分があるからだ(※)。

(※)逆にいうと国際政治の構造上、有事が起きる「前」からすべてを見通せるようなセンモンカは、原理的にいないのです。本書とは関係ないけど、これ、大事なポイント。

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驚いたのは、2010年に民主党の鳩山由紀夫政権を退陣させ、いまなお続く沖縄の辺野古基地の問題にも、これが関わっているという指摘である。

建設予定の辺野古基地は、1996年にクリントン大統領と橋本龍太郎首相とのあいだで日本への返還が約束された、普天間飛行場を代替する施設で、普天間は国連軍基地である。なので米軍の意向としては、辺野古もまた「使い勝手のいい基地」であってほしい。

拙著『平成史』を書く際に、普天間―辺野古問題はだいぶ調べたので、このときクリントンが妙に鷹揚で、橋本に「普天間の話をしなくていいのか」と促すくらいだったことは知っていた。一般には、95年9月の少女暴行事件を受けて沖縄の反基地運動が高まっていたので、それに配慮しての対応だと解されている。

だが本書によれば、そうではない可能性が高い。ベトナム戦争中の1965~66年にも、米軍内には機能的な大規模航空基地を辺野古沖に作る計画があり(ヘッダー写真)、当時は72年の沖縄返還より前だから、作ろうと思えば作れたわけだ。しかし巨額の財政支出を伴う点がネックになり、ベトナムでの戦況の悪化もあってナシになったらしい。

論評する著者の筆致は、痛烈だ。

マスタープラン1966が潰えたのは、米国の財政赤字のゆえだった。それを踏まえれば、〔橋本政権下の〕日本が基地建設の費用負担に応じたことに、米国は心から満足したはずである。もしそうであれば、米側としては日本側の機嫌を損ねないように(費用負担に気持ちよく応じてもらえるように)、その後、あらゆる手練手管を弄したとしても不思議ではない。
推論の域を出ないが、たとえば、日米対等の「協議」の場を演出しながら、既定路線である「辺野古」に向かって台本どおりに協議を進めようとした可能性だってある。

『在日米軍基地』212-3頁
(強調は引用者)

2009年から鳩山政権が模索した、普天間の国外移設(候補はグアム・テニアンなど)が早々と頓挫した理由も、同基地が、有事の際にフリーハンドの高い国連軍基地でもある点に着目すれば、きれいに解けるという。

なぜなら、国連軍基地のステータスは国外には持っていけないからだ。国連軍基地の根拠は、あくまでも日本と国連軍参加国のあいだにある国連軍地位協定によって見出される。

224頁

陰謀論のようにアメリカの「悪辣さ」を恨んでもらちが開かないし、著者の本意もそこにはない。むしろ同書から読み取るべきは、二大政党間での政権の交替や、敗北も含めた戦争の繰り返しにも関わらず、冷戦下から続く米国の戦略の驚くべき「一貫性」だろう。

一党優位支配の下でずっと平和を享受しながら、そのときの世相や「空気」で方針がブレまくる国としては、正直ちょっと怖くなる。それは大国であるロシアや中国の「異様な頑なさ」に接した際に、小国の側が感じる不気味さと、たぶんそう遠くないものがあるのだろう。

ベトナム戦争の方はまだ、「学生運動の時代」といった形で振り返られる機会がそこそこあるが、そもそも日本人が朝鮮戦争を丸ごと忘れているのも、戦地のすぐ隣に居たのに奇妙な話だ。

しかしながらよく言われるように、戦争の方は私たちを忘れてくれない。1950年に結成された「国連軍」の体制は、当時は文字どおりに主権のなかったこの国を捕らえて、いまもなお離さない。

P.S.
画期的なテーゼを提案する書籍なのに、誤植が多いのはもったいないと思う。138頁の「社会党の曽祢益」は民社党、228頁の「社民党、国民党と連立」は国民新党の誤記だろう。

特に後者を出版社の校閲が見落としたのは、戦後はおろか、平成すら実在感のない過去になったことをうかがわせ、興味深いとともに少し寂しい。


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年7月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。