一日の生活費はいくらにまで抑えらえるか?:品格がない日経新聞の記事

少し前の日経オンラインにあまりにも品格がない記事が大きく掲載されていました。ばかばかしい記事ですが、ちょっと反応してみようと思います。記事のタイトルは「若い記者夫婦が年金生活してみた 1日4500円、節約苦悩」。

若い記者夫婦が年金生活してみた 1日4500円、節約苦悩 賃上げ景気の実力 番外編 - 日本経済新聞
「年金の額だけで10日間生活して、年金で暮らすお年寄りの気持ちを実感してほしい」――。20代と30代の記者夫婦は6月13日、デスクから突然指令を受けた。生活費は夫婦2人、10日で現金およそ4万5千円。減りゆく現金に苦悩する日々が始まった。インフレ局面で企業は初任給の引き上げに動き、若者や働き手への恩恵は大きいとされる。...

1日4500円、10日で45000円の軍資金でこの若夫婦は生活できるかを実証実験したというものです。一日4500円という数字は夫婦の厚生年金が23万円と仮定し、光熱費や医療費、通信費を差し引いた金額とのこと。そもそもそこがやけに少ないなと思います。前提が違うのではないかと思います。

ArLawKa AungTun/iStock

結論から言うとこの記者夫婦はFailでした。奥さんのメガネが壊れて約13000円を出費したのが痛かったとなっています。ただ私が興味を持った問題はそこではありません。支出の内訳をみると通常の生活必需品以外にクリーニング代、ランチ代、コンビニ支出、交際費、娯楽費がざっと25000円あるのです。私の目から見ると歳をとると使わないであろう費用が計上されている点とこの夫婦が明らかに浪費型に見えるのです。

例えばクリーニング代は歳をとるとあまりかからないでしょう。ちなみに私、そもそもクリーニング屋にご縁があったことが人生であまりないのです。バンクーバーでクリーニング店に洋服を出している人は少ないのです。私の事業の一つ、商業不動産部門でかつてテナントにクリーニング屋が入っていたのですが、あまりに暇で10年ぐらいやって閉店しました。お店の方が「一日の売り上げは15000円ぐらい。儲けがあるのはドレスのクリーニングだけど最近はほとんどないんだよねぇ」と。日本はなんでもクリーニング屋ですが、こちらは多くの方が自分で工夫しているように見受けられます。

年齢を重ねると交際費も当然減るし、以前から言うように当地の飲食店は高くておいしくないのです。では人付き合いはどうするのか、といえば多くの方が公園を散歩しながら話をするです。つまりウォーキングなどをしながら友人づきあいするのです。私の住まいのすぐ横にスタンレーパークがありますが、この外周9キロを多くの方がしゃべりながら歩いています。公園にはベンチが無数にありますがこの時期のベンチはほぼ全部埋まっています。歩きたくない人はベンチに座り、コーヒーを飲みながら皆さん、よくしゃべっています。芝に座っているグループも数多く見られます。

コンビニ出費とは多くが便利を買う消費だと思います。歳をとると生活は便利さよりも価格にシフトしますからコンビニ出費は一般には激減しやすくなります。コンビニ育ち世代は無意識にコンビニ行く癖がついてしまっただけです。ちなみに私はコンビニに行く癖がゼロなので日本に行ってもコンビニに入ることはよほどでない限り行かないし、そこで欲しいものもまずないのです。

「散財」という言葉を思い出してください。財=お金を散らかすという意味ですが、「散」には「とりとめがない。でたらめである」という意味もあるのです。ここから類推すると、もしも出費制限をしたいなら出費する店を極限に絞ればよいのです。これで散財は止まります。

よく主婦が10円でも安いものを求めて自転車で駆けずり回る、というのがありますが、あれは実は結果として「散財」になります。なぜなら10円安い大根を買ったついでに「これも安かったから買っちゃった」が必ず出てくるのです。それは後でどうせ使うからという理由付けをするのが常套手段ですが、私から言わせれば「そこに行かなければ買っていなかっただろう」なのです。よくご自宅に歯磨き粉が5本とか、ティッシュの箱が20箱とか在庫を持っている方がいますが、それはトヨタ風在庫を持たない経営発想からすればアウトであります。

私は日本の年金生活者より生活費は少ないかもしれません。理由は買い物に行く店が3-4か所しかないからです。お前はストイックだな、と思われるでしょう。そうじゃなくて他にやりたいことがたくさんあるから買い物は義務感以外の何物でもないわけです。確かに日本のスーパーに行くと楽しいですよね、欲しいものが充実しています。ですが、こちらのスーパーなんて10年たっても同じ陳列棚に同じものが鎮座しています。そもそも消費を喚起するという発想がないのでしょう。

さて、冒頭の日経の記事の話ですが、なぜ、私は品格がないと申し上げたかと言えば金銭感覚は10人十色だからです。かつて老後2000万円の話が出た時も私は同様の話をしたと思うのですが、2000万円で生活できる人もいるし、いない人もいる、それをひとくくりに合格ラインのような発想をすることが全く無意味であるのです。

私が自分の金銭感覚を長々と説明したのは私のような低消費型もいれば買わないと気が済まない高消費型の人もいます。どちらが正しいという話ではなくあくまでも育まれた消費感性なのです。そしてその多くは親の時代から引き継いでいます。親が浪費癖なら子もそうなりやすいのです。だいぶ前に亡くなった私の叔母はカナダから四国まで訪れた私に180円のコーヒー一杯すらもったいないからといってごちそうしてくれませんでした。私が出すといったら「いらん!」と拒絶されました。

金銭感覚の話をする意味はあまりないということです。

ではお前は浪費家がそのまま使い続けたらどうなると思っているのか、と言えば70-80%使った時に気がつきどうにか改善できればまだ合格。気がつかなけければみじめな最期を迎えるとしか言いようがないのです。わかりやすい例えならばギャンブルをするのに種銭がなくなったら止めるか、借金してでもやるか、その違いのようなものです。人の人生は自業自得としか言いようがないです。

私は新入社員の時、社内の飲み会の際、何かのきっかけで「一回の料理で使うキャベツは2-3枚までと決めている」という話をした時、土木部長に爆受けしたらしくその後、その部長から時々その話を持ち出されては大そうかわいがられました。あくまでも経済観念は身に持ってついたものだということです。人の経済観念の話を聞いてもほとんど意味がないのであります。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年8月12日の記事より転載させていただきました。

会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。