東日本に台風7号が接近したことで急遽滞在することになった北九州。宿をとったのは黒崎駅前でした。せっかく黒崎に来たのでここから延びているローカル線に乗ってみることにします。
それが筑豊電気鉄道。黒崎駅前駅から直方市の筑豊直方駅までを結びます。自分も駅なのに「駅前駅」と名乗るのがなんとも謙虚です。
すぐ近くにはJR筑豊本線もありますが、あちらは炭鉱から掘り出された石炭を輸送するために造られた路線ですが、筑豊電鉄は開業当初から民間旅客の輸送に徹しています。西鉄の100%子会社であり、2000年に廃止された西鉄北九州線が一部区間乗り入れをしていました(正確には筑豊電鉄が西鉄北九州線に乗り入れる形。西鉄の廃止の際に正式に譲渡を受けました)。
あの映画のロケ地だった!萩原駅
急遽決まった訪問ということもあって、あまり前情報がないまま電車に飛び乗りました。数駅先の萩原駅でおりました。筑豊電鉄は路面電車型の車両を使用しているためホームが低いです。車両も短いことから駅もかなりコンパクトで一層ローカル感を感じさせてくれます。
萩原駅周辺では2009年に綾瀬はるかさんが主演した「おっぱいバレー」のロケ地となりました。映画での時代設定が1970年代であったことから昭和レトロ感のある町としてここがロケ地に選ばれました。
ちなみに隣の中間市出身の女優の大野いとさんはおっぱいバレーのロケを見に来ていてスカウトされました。デビュー後にグラビア撮影のためここを訪れています。詳しいですがわたしは「おっぱいバレー」は見ていません。
先ほどから違和感を感じていたんですが、ここの踏切、結構車通りのある場所なんですが警報機も遮断器もない4種踏切です。
見通しのいい場所なので必要がないのかもしれませんがこれだけの大きな道路と交差する場所に4種とは驚きです。他の場所ではきちんと警報機や遮断器がある踏切がありました。なぜここにはないのか不思議です。
長崎街道の宿場として栄えた木屋瀬
次に下車したのは木屋瀬(こやのせ)駅。この近くには木屋瀬宿という古い宿場町の跡があります。木屋瀬宿は小倉から長崎に通じていた長崎街道の宿場町として発展していました。
現代では博多経由で長崎に向かうのがメインルートになっていますが、当時は距離的に近い飯塚など筑豊地方を経由する道が主要なルートとなっていました。
少し歩けばこのような趣深い街並みが残っています。道路が舗装されたものでなければ本当に江戸時代にタイムスリップしたかのようです。訪問するまで北九州にこんな宿場町があるなんて知りませんでした。
終点・直方で鉄橋を渡る筑豊電鉄を望む
木屋瀬駅から再び筑豊電鉄に乗車、終点の筑豊直方駅に到着しました。車両右側に出口がないため、いったん運転士が後方に移って料金の授受を行う形をとっています。
ここからJR直方駅までは徒歩10分ほどの距離。少し時間があるので折り返し電車が遠賀川を渡る姿を見に行きます。川は駅のすぐ裏手にあります。これまでずっと川の東側を走ってきましたが、最後の最後で川を渡り終着駅に入る形です。
私が乗ってきた列車が折り返し、黒崎駅前方面に向かって走ってゆきます。
長い鉄橋を1両のレールバスのような車両が走っていく姿が旅情を誘います。
ちなみに前掲の映画おっぱいバレーでは、電車に乗る美香子先生を少年たちが見送るシーンがここで撮影されています。詳しいですがおっぱいバレーは見ていません。
電車を見送り、JR直方駅まで歩いてきました。かつては炭鉱の町として栄えた直方市の中心駅であり、炭鉱路線でいまは平成筑豊鉄道となっている伊田線の分岐駅でもあります。現在は福北ゆたか線の中心駅として北九州や福岡に通勤、通学する乗客を乗せるアーバンネットワークの中に組み込まれています。
駅前には直方市出身の力士、元大関「魁皇」の銅像もあります。魁皇は町のヒーローであり、博多から直方を結ぶ通勤特急の名称にもなりました。当時現役だった力士の名前を電車の名称にするのは異例のことでした。
かつて、ここまで運ばれてきた石炭を各目的地別に積み分ける作業が行われていた直方駅はその名残もあって広い敷地を有しています。4つの線路で様々な系統の電車が並び、筑豊地方での鉄道ターミナルの役割は健在でした。
急に決まったローカル線旅でしたが、映画ロケ地あり宿場町ありと楽しい訪問になりました。
北九州に来られた際はローカル色豊かな筑豊電鉄に乗って筑豊地方の旅を楽しむのもいいと思います。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2024年9月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。