「年末調整(※)を廃止し、全納税者に確定申告を行わせる」
※年末調整:企業(雇用者)が、給料から天引きした「概算税額(=源泉徴収額)」と、「確定した税額」との差額を計算し、超過分を返金したり、不足分を徴収したりする精算作業のこと。
河野太郎デジタル大臣の公約が話題になっている。
“国民総確定申告制”、とでもいうべきこの案に、税務職員は「相当量の事務が加わる」と懸念を示し、納税者は「税務署がパンクする」と不安を抱いているという。
年末調整廃止?議論呼ぶ自民総裁選、河野氏が公約に「仕事増える」税の現場困惑
では、「相当量」とはどれほどの人数なのか?
「最大で5,000万人」
である。国税庁が毎年発行する“国税庁レポート”に以下の記載がある。
「年末調整を行うことにより、5,000万人を超える給与所得者のうち多くが確定申告の手続を要することなく課税関係を完結できる」
国税庁も、この5,000万人が税務署に押し寄せるようなプランを、現役閣僚が提案するとは夢にも思わなかったことだろう。
一方、企業はこれを歓迎するはずだ。これまで、この5,000万人分の申告作業を担ってきたのは企業である。大企業を想像してはいけない。日本の企業の84%は、従業員数20人以下――製造業以外なら5人以下――の「小規模事業者」だ※1)。この小規模事業者たちが、少ない人手を割き、会計ソフトの費用や税理士への報酬を負担し、国の徴税に「協力」してきた。しかも、1947年の年末調整導入以降77年の長きにわたって、だ。
本来、これらの作業を担うのは企業ではない。法(国税通則法16条)は
「納付すべき税額が『納税者のする申告』により確定することを原則」
と規定している。つまり、従業員自身が申告し、国が精算する「確定申告」が原則、企業が行っている年末調整はイレギュラーなのだ※2)。原則に戻すという点においては、河野氏の主張も理解されるのではないだろうか。
納税者の意識
加えて、年末調整には、「国民の税に対する関心を失わせている」という指摘がある。
弁護士や大学教授で構成される「民間税制調査会」の発言は、年末調整に批判的なものが散見される。調査会メンバーの青木丈氏は
「給与所得者が源泉徴収と年末調整で所得税制のことを自覚しないまま負担していることが最大の問題」
「申告納税制度をこのように形骸化させたのは,1947年に申告納税の導入に抵抗していた大蔵省(当時)が導入した年末調整制度」
と手厳しい。同会メンバーの三木義一氏は
「年末調整は、税への関心を失わせる一種の愚民化政策」
「年末調整は税への関心を失わせる愚民化政策」民間税調の青山学院大学長、税制を斬る
とまで言い切る。
筆者としては、愚民化というより「鈍民化」といったほうがしっくりくるように思う。
会社を辞め独立した人ならわかるはず。勤めてた頃は「鈍感」だった。給与明細で見るのは「差引支給額」だけ。引かれる額は気にしない。税や社会保険に対する感覚は極めて鈍い。
独立すると急変する。感じるのは「疑問」と「怒り」だ。
数ヶ月働き、ようやく得た報酬から、「顧客」に源泉徴収される10.21%の所得税。(所得税ではないが)自ら納付しなければならない住民税、国民健康保険そして年金。
これらを、確定申告でまとめてみると、納めた額は(それなりに)大金だ。これだけの額を多くの国民から集めているのに、税金も社会保険もまだまだ足りないって……おかしくないか? 何に使ってる? 無駄遣いしているのでは? これまで感じなかった疑問や怒りがわいてくる。税や社会保険に対する感覚が「鋭敏」になってくる。
先の民間税制調査会の「税制改革提言のポイント(年末調整制度の廃止)」は以下のように締めくくられている。
「自らの申告による税負担の確定手続を繰り返すことにより、税制に対する関心と納税者としての自覚は現状よりもはるかに高まることは間違いない。現在の日本社会に欠けている、主権者としての納税者の自覚を生み出すことが日本社会再生の鍵ともなる」
「民間税制調査会による税制改革提言のポイント」民間税制調査会メンバー 税理士青木 丈
来場する630万人をどこまで減らせるか
次に「税務署がパンクする」という懸念について考えてみたい。
冒頭で、税務署に訪れる人数は「5,000万人」と述べた。もちろん、この給与所得者全員が税務署を訪れるわけではない。実際はどれくらいになるのか。国税庁の「申告相談会場の設営及び会場運営に係る経費調査(令和4年度)」が参考になる。
この調査によると、確定申告者数2,295万人のうち、来場したのは289万人。来場率「12.6%」と計算している。この率を「給与所得者=5,000万人」に掛けると、来場するのは、およそ「630万人」。5,000万人に比べ少ないとはいえ、現状の3倍以上は看過できない人数だ。よって、630万人のうち、何人を電子申告(=e-Tax)にシフトさせられるかが要諦となる。
では、e-Taxの状況を見てみよう。
e-Taxの状況
国税庁レポート2024によると、2023年のe-Tax(以下 確定申告書等作成コーナー含む)利用者数は691万人(※)。4年前の186万人から、およそ3.7倍に増加した。会場申告から、e-Taxへのシフトは急速に進んでいる。
※ 自宅から納税者自身が申告した人数
とはいえ、確定申告が「わからない」「面倒」と思う給与所得者も少なくない。
まず、「わからない」について。主観ではあるが、一般的な給与所得者であれば、e-Taxを利用した確定申告が「難しい」と思うケースは少ないと思う。年々改良され、使い勝手も向上している。むしろ、紙よりはるかにわかりやすいはずだ。
次に「面倒」について。これも主観だが、少し面倒だと思うのは初年度だけ。翌年以降は、前年データを引き継ぐので入力項目は減り、楽になる。
e-Taxを利用していない理由のトップは「ICカードリーダライタの取得に費用や手間がかかるから」(e-Taxを利用していない理由|内閣府 税制調査会)だという。
これは、主にマイナンバーカードにかかわることだが、いまのところ、マイナンバー「カード」が無くても、最寄りの税務署でIDとパスワードを事前登録すれば、問題無くe-Taxを使うことができる(マイ「ナンバー」は必要。2024年9月現在)。
使い勝手を向上させるとともに、インセンティブを導入すれば、よりe-Taxへのシフトは進むのではないだろうか。
時間をかけて移行を
「年末調整廃止」提案は今に始まったことではない。開始3年後(1950年)には、シャウプ使節団※3)により、
「できるだけ早く税務署にその主体を戻すことが望ましい」
と勧告されている。にもかかわらず、70年以上続いてきた年末調整。改革が一朝一夕に進むことはあるまい。河野氏も「時間軸でいうとしばらくかかる」と認めているという。むしろ「時間をかけて」国民総確定申告制に移行していただきたい。
為政者にとって損でしかない公約
今回の公約は、政治家が「得」をしない提案を行ったことに意義がある。
国民総確定申告制で、税に対する意識が高まると、政府批判も高まる。国の作業負担も増える。為政者にとっては「損」でしかないのだ。(動機はともあれ)誰も踏み込めなかった領域に、現役閣僚が一石を投じたことは喜ばしい。誰が総裁になるにせよ、どの政党が政権をとるにせよ、政府全体でこの議論が深まることを期待する。
【脚注】
※1)中小企業白書・小規模企業白書 2024年版 中小企業99.7% うち84.5%が小規模事業者
※2)国税通則法 納税者の権利憲章(第3次案)|全国商工団体連合会
※3)戦後GHQの要請によって組織されたアメリカの財政学者カール・S・シャウプを団長とする日本税制使節団。
「世界で最もすぐれた税制を日本に構築する」という理想に燃え、極めて短期間で膨大な報告書をまとめ上げた。GHQに提出した報告書は、そのまま日本政府に対する勧告という形式をとって税制に反映されたため、通称「シャウプ勧告」と呼ばれている。(歴史から見る我が国の『税』 ― 日本税理士会連合会より)
【参考】
・源泉徴収制度のあり方について-令和元年度諮問に対する答申-|日本税理士会連合会 税制審議会
・確定申告期における申告相談会場の設営及び会場運営に係る経費|財務省 国税庁
・国税庁レポート2024
・「年末調整は税への関心を失わせる愚民化政策」民間税調の青山学院大学長、税制を斬る – 税理士ドットコム
・『源泉徴収と年末調整-納税者の意識を変えられるか』斎藤貴男著/ 中央公論社