9月16日よりNetflixで、あの「火垂るの墓」が配信開始されるや、反響が大きいと日本のマスメディアが取り上げている。
「作品誕生から40年近くを経てもなお、多くの人の胸に響いている背景には、ウクライナやパレスチナ自治区ガザで罪なき人々が犠牲となっている世界情勢もあるようだ」
(9月20日付朝日)
そこに今はレバノンが加わってしまった。
そういえば配信開始のわずか二日後、中国・深センにある日本人学校の男子児童(10歳!)が、刃物で襲われ死亡した。この9月18日は、かの国では満州事変勃発の日すなわち「国恥日」なのだという。
中国政府による愛国教育の一貫として、反日記念日が国ぐるみで毎年行われていること、それがもしかしたら日本人学校の児童殺害のきっかけになっていたのだとしたら…
ジブリがもし、中国・満州を描いたら…
実は「火垂るの墓」には、こんな後日譚がある。
公開の翌年(つまり平成元年)に、同映画の監督が、満州を舞台にした長編アニメ映画を考えていたのだ。
当時の企画書が残っている。タイトルは「国境 BORDER1939」。1939年、すなわち昭和14年より始まる。
日本の海外領土、いわゆる「外地」の一つであった朝鮮半島。その旧首都・京城(ソウル)には、日本が作った京城大学があって、そこの日本人学生が物語の主人公である。
ある日、親友が軍隊学校から脱走し、行方がわからなくなる。友を探すうちに、彼はやがて日本の傀儡国家・満州国の、動乱に巻き込まれていく…
ここに企画のいきさつ、そして原作小説の紹介がある。
原作は、同題の児童文学の三部作。著者は日本の外地だった頃の朝鮮で育ち、敗戦のとき17歳。自分の人格形成期が、そのまま大日本帝国の命運と重なってしまった、いわゆる「戦中派」作家である。
本論考を綴るにあたって、先日、私の地元図書館で全三巻に目を通してみた。そして苦笑してしまった。
かつて小学校の図書室に、ポプラ社の『怪盗ルパン』や『名探偵ホームズ』のシリーズが並んでいたのを懐かしく思い出す向きは多いはずだ。ああいう子ども向け翻案を手掛けていた著述家たちは、戦前昭和に「少年倶楽部」(少年ジャンプの戦前昭和版とでもいうべき月刊雑誌)で、軍事探偵をヒーローにした冒険小説で人気を博していた作家たちだ。
若き日の黒澤明が惚れ込んで、自分の監督第一作として映画化を熱望していたという「敵中横断三百里」(作・山中峯太郎)も、そうした戦前昭和の児童向け、軍人冒険譚のひとつだった。
「火垂るの墓」の監督が、次回作の企画として興味を寄せていたという『国境』(昭和61年~平成元年)の物語もそうだ。異民族の美少女との恋物語を折り込んだり、主人公がアジアの民の真の独立のために苦闘し旅していく様をドラマの主軸にしたりと、戦前昭和の軍人ヒーロー冒険譚を、戦後昭和の日本加害者史観にそってカスタマイズし、むしろ温存させてしまったもの…といわざるをえなかったのである。
「なんだ、戦前昭和の少年講談そのままじゃないか」と。
ロシア帝国と満州
今では中国東北部と総称される土地・満州。そこは、もともとは清王朝の出生の地だった。それがやがて地下資源豊富な土地として内外から着目されだした。
19世紀末、同地の隣接国ロシアが、この地に軍を駐留させ、さらには鉄道建設を推し進めた。清王朝はそれを黙認した。同王朝は日清戦争(1894-1895年)でロシアに借りができたことから、同国と密約を結んでいた。そして満州での露軍駐留や鉄道敷設にくわえ、鉄道建設に必要な土地の管理権を、ロシアに委ねていた。
これは当時の日本にとって、大国ロシアが南下を図っている、そして朝鮮半島を介して日本に迫ってくる脅威と受け止められた。
この頃、ロシアが英領インドまで南下する可能性をイギリスが怖れていたこと、中国進出に出遅れていたアメリカが満州に関心を寄せていたことも重なって、あの日露戦争(1904-1905)を惹起した。
ロシアが勝つであろうと予想されたこの戦争は、逆転劇となった。アメリカ・ホワイトハウスの仲裁で、日本はロシアとの講和会議にこぎつけた。和平成立後、清国とも満洲善後条約を結んだ。
その後(アメリカにとっては失望だったようだが)日ロは協約とその改訂のたびに、満州をめぐって協調路線をたどっていった。
ラストエンペラーの落日とともに
ところで1911年、つまり日露戦争の講和と終結より6年後、中国大陸では各省で(後にいう)辛亥革命が勃発し、やがて新政府が樹立。清王朝はこれに屈することとなった。
この影響で、日本でも政変が続いた。日本史の授業で「大正政変」として習う、あれのことだ。
当初、西園寺内閣は清王朝について、イギリスのような立憲君主制への移行を望んだものの、当のイギリスがこれに同調しなかったため、内閣はこの方針を破棄。陸軍寄りの政治家たちがこれに反発した。清王朝が消滅となったら、満州における鉄道利権を(満洲善後条約によって)日本に保証してくれていたのが、おじゃんになってしまうではないか、と。
こうして西園寺(外交官出身)は弱腰と非難され、変わって桂(陸軍出身)に内閣のバトンがわたった。陸軍人脈による横暴として民衆運動の標的になって失脚したこともあって、学校日本史では悪役として語られがちだが、組閣を見ると外務大臣は親英派、逓信大臣には新ロ派、さらに新党結成にあたって桂は、辛亥革命肯定論者を取り込んでいた。
欧米ロ協調路線を保ちつつ中国の動乱にも対処できる、新体制を探っていたのがうかがえる。もっともこの内閣は短命に終わった。そのうえ中華民国新政府は、日本を含む13か国から承認される(1913年10月)や、議会を解散させて専制化していった。
ヨーロッパが大戦(1914-1918)中、日本が中華民国政府に突き付けた「二十一か条要求」は、日本による中国侵略の第一歩であったと現代中国では教えられているようだが、当時の日本にすれば、中国動乱と中華新政府の専制化によって、満州の日本利権が脅かされていることへの、強い不満表明であったと見たほうが、実情に近いと思われる。
事実、満州について同政府より保証がされると他の要求の大半は撤回された。しかし受難は続いた。大戦の長期化とともにロシア革命が勃発し、ロマノフ王朝は崩壊。取って代わったソヴィエト連邦政府は、日本との満州協約を一方的に破棄。また隣接するモンゴルが中華民国ではなくソ連の勢力下となった。
かつて清ロ二大王朝が協約によって保証してくれていた約束の地が、むしろ混濁していく世界新秩序の、まさに縮図となってしまったのだ。極東の列島国に、これは荷が重すぎた。詳細は後の機会に譲るが、これこそがその後の日本を、東アジアにおける悪の帝国ポジションに引きずり込むこととなった。
AIによる地政学シミュレーション
ここで歴史にIFをひとつ挿し込んでみよう。日露戦争で、ロシアがもし勝っていたら?
かつては清国との秘密協約だった、満州での軍事・鉄道利権をおおっぴらに収めて、同地はしばらく安定状態化する。清王朝下での、日本を手本にしての国政改革がこの世界線では起きなくて、むしろ王朝ロシアの影響で保守体制が存続し、そうなると史実における辛亥革命にあたるものは、第一次大戦「後」になった可能性が出てくる。
ヨーロッパとロシアの力関係はこの世界線でも存続するので、大戦→ロシア革命の因果は、(同世界戦では存続する)清王朝の下で、社会主義と民族主義の両方に火をつけて、同王朝の崩壊と入れ替わりにこの二つの主義が、ロシアならぬソ連に隣接する満州で入り乱れ(なにしろ清朝の祖先の地であった)、史実とは違う風に軍閥争いが内外に広がって、私たちの知る中国現代史とは違うものが、進行していったのではないか…
負の歴史だからこそ「反省」では語れない
そんな思考実験的なアナザー歴史ドラマを、日本のまんがやアニメは挑んでくれないだろうか?
それこそが起きていたかもしれない世界線の上を、日本人が、動乱の中国を、そして東アジアを生きていく物語を、現代日本のポップカルチャーの力で創りだせないだろうか。アニメ「火垂るの墓」の監督も「日本によるアジア侵略」という、後付けの史観に終生縛られていたようだ。
この素朴といえばあまりに素朴な陰謀史観こそが、日本人学校に通う児童のあの悲劇の背景にあるのだとしたら… 共産党中国史が、今なお日本悪役史観によって物語化されてしまっている、その裏にあるものを、他ならぬこの日本の英知で、そろそろあぶり出していく時期ではないか。
奇しくも今、イスラエルとその周辺国とのあいだで、憎悪が憎悪を生み続ける戦闘状態が続いている。長くながく虐げられてきたユダヤ民族の建国史として物語化された諸々が、いやおうなしに問い直されている。
実は以前、世界最長寿アニメ番組「サザエさん」のスタジオ創業者にお目にかかる機会があって、広島の被爆者だとご本人からうかがって身震いしたことがある。「自分たちは平凡な日常がぜいたく品にならない、そういう世界をアニメでいつも目指してきた」と。
イシューブにせよ王道楽土にせよ、「約束の土地」はいつも二つの華夷思想がせめぎ合うところに生ずる。どちらが正義なのかは、結局はその時その時の世界情勢で決まる。
東シナ海で、そして中東で、にらみ合いが続く今を見つめながら、反日教育の餌食とされたと思しいあの日中混血の小学生の悲運にも思いをはせつつ、アニメとまんがで育ったひとりである私は、いろいろ考える。