10月27日の衆議院選挙。
報道によれば、自民党は不記載議員12人を非公認にするという。愚かなり。
【一覧】自民 不記載議員12人を衆院選で非公認 執行部に不服も
「世論(≠輿論)」に阿った、誠に皮相的な対応である。しかしこれは石破総理というよりは統一教会問題対応時から続く「自民党の浅知恵(後述)」であろう。少なくない弊害はあれども民主主義において「数」は極めて重要な力の源泉である。今回の「非公認対応」は数を縮小させる自縄自縛のリスクをともなう。
一方の野党はどうか。
例えば立憲民主党は『日銀の物価安定目標を現在の「2%」から「0%超」に』や『最低賃金を1500円以上に引き上げる』が公約らしい。掲げるのは自由だが正気とは思えない。
他は記述するまでもなく(国民民主党を除く)野党の公約は噴飯ものであり壊滅的な経済音痴を晒しているように見える。
さらに、与党議員の不記載には『裏金』とレッテルをはり悪罵し、自党議員(身内)の不記載は『記載漏れ』として不問にしている野党各党には呆れて言葉もない。注意深く観察すれば報道機関は「不記載」と表現し「報道機関」を装うエンタメメディアだけが「裏金」としてはしゃいでいるのだが、野党各党はどの層の受けを狙ってダブルスタンダードを発揮しているのだろうか。
請い願わくば自民党の指導部には学んでほしい。
福島原発の処理水を「汚染水」と言い換え呪詛をまき散らした諸外国や一部野党が、今ではその愚かさを晒してることを。
または「モリカケ桜」でどれほど懇切丁寧に説明しても「疑惑は深まった」として騒いだことと同様に、本件もまたいくら譲歩してもメディアと野党は「政治不信」を言い募るであろうことを。
そして実を伴わないそれらは時間がたてば忘れられ、言葉の黒魔術によって常に新しい中傷言葉が供給されることを。
表層的には彼ら(野党)は攻めているように見えるが、実態は既存の支持者からの支持を固めているだけで最大多数を占める無党派層の新規開拓は諦めているように見える(ただしこれも筆者の私見に過ぎない)。
与野党ともに、「どちらの錯誤がより少ないか」を競っているようで「やれやれ」である。安全保障環境が日を追うにつれ苛烈さを増していることがなぜこれほどまでに言及されないのだろうか(結局それは国民の感度に基づくからであろう)。
自民党の浅知恵
大臣経験者など、実績に裏打ちされ一定の知名度を持つ候補者にとっては、自民党公認の有無は得票数にこそ多少の影響はあれ選挙の当落には何ら関係はない。いわんや多くの八王子市民から「光認」(永田町見聞録より)されている萩生田光一(敬称略)においてをや、である。
問題は自身のブランド価値を確立できていない「選挙に弱い」候補者たちの議席の行方である。与党が過半数を確保するかどうか現時点では予想の公表を控えるが、いずれにしても選挙後の石破政権による自民党全体へのリーダーシップは期待できないだろう。
なぜなら物理法則と同様に、人間社会においても「作用・反作用の法則」は発動するので、今度は石破政権が「国民(選挙区)の支持を再確認できた当選議員諸氏」から認められないという反作用を受けるからである。
今後想定されるシナリオ
所謂「禊としての非公認」という逆境を跳ね返し当選した議員は、自民党内における存在感を増し「自民党公認」という追認を受けることになるだろう。
一方、「裏金」などというレッテル貼りを利用して私怨を晴らすような政権に対して、有権者は冷めた視点からの(冷徹な)審判を下すであろう。
その時、発足から間もないにもかかわらず石破政権は党内のみならず国政に関してもその指導力を低下させる可能性が高いだろう。
その後にくるのは、保守本流から逆襲である。“悪徳裁判官”によって何度も何度も蒸し返して二重三重の処分を後から上乗せするような執行部に多くの人を動かす求心力が発生するとは考えにくい。できれば国民民主党のように、政局に踊らず愚直に政策を掲げる傾向の強い野党に与党を追い詰めてほしいものだが今はまだその風は吹いていない。従って自民党自身による自己改革に任せるしかないが、それもあまり期待はできないだろう。
蛇足
これは萩生田光一応援歌である。客観的な論考ではない。従って異論が多数存在することも認識しており甘んじて受け入れる。本記事は、「国民への貢献大なる萩生田氏への自民党からの仕打ち」に我慢できず投じた一文にすぎない。
今、心を込めて次の言葉を贈る。
頑張れ萩生田光一!