「貧困による子供の体験格差」は本当に問題か?

黒坂岳央です。

昨今、「体験格差」という言葉を非常によく見るようになった。簡単にいうと、親の所得格差が子供の体験格差につながり、それが子供の将来の発展性に影響するという話である。

「お金がなくて塾に通えない、私立の進学校へ入学できない」といった教育格差は確かに大きなインパクトがあることはわかる。国内外問わず、一流校と親の所得水準には明確な相関性があることで知られている。

しかし、一般的に体験格差の例としてあげられる海外旅行やディズニーランドといったアクティビティ、ピアノやヴァイオリンなどの学校外の文化的体験が子供の人生にそれほど大きな影響を与えてしまうのか?についてはしっくり来ない。世の中に出ている論文も本研究における歴史が浅く、サンプル数も十分であるとは感じないものが多かった。

個人的経験を踏まえて意見を述べたい。

Hakase_/iStock

収入が少ないと体験格差が起きる

2023年7月、公益社団法人チャンス・フォー・チルドレンの発表した、「子どもの体験格差実態調査」によると、年収300万円未満のいわゆる「低所得家庭」において、子どもの「体験」が平均的に少ないという。また、それだけでなく、低所得家庭の3人に1人は過去1年間で体験の機会が一つもないということである。

この点について言えば、自分自身が有効なサンプルの一つと言えるだろう。4人兄弟のシングルマザー育ち、自営業に失敗して離婚後に母はアルバイトで生計を立てて子供たちを支えたので経済的にかなり苦しい実感があった。親子での宿泊を伴う家族旅行などほとんど記憶にないし、他のクラスメイトがする夏休みの思い出体験は皆無だった。外食機会も少なかったが、その時も「できるだけ値段の安いメニューを選ぼう」と子供ながら親の財布を心配していた記憶がある。

体験格差は収入が少ないことで起きる、まずこの点を抑える必要がある。

体験格差は本当に問題か?

体験がないことで何が問題なのだろうか?

筆者は家族旅行や音楽鑑賞といった経験がなかった。その代わりに持て余した時間で家でゲームばかりしていた。思春期はゲームの進化とともに過ごしたことで、テクノロジーの進展を肌身で感じることができコンピューター性能進化やグラフィック、BGMに強い関心を持ち、図書館や書店の立ち読みでコンピュータやゲーム雑誌を読み漁った。それが現在のITへの興味、そして仕事へとつながっていった感覚がある。

また、本が好きで読書をしていたことでずっと活字に触れてきた。それが現在、本や論文を読み、文章を書く仕事へとつながっていったという感覚も強く感じる。

つまり、筆者は外部から提供されて触れた文化で覚醒したのではなく、自ら興味を持った対象を好奇心に惹かれて自分で深堀りしていったということだ。好奇心は外部から機会を与えられ、育てられるものではなく、自分で積極的に開拓する性質を持つ。

筆者は大人になって余裕を得てから、子供時代に振られらなかった数多くの文化を取り戻すようにたくさん触れた。音楽、美術、料理、旅行、プログラミングなど、かなりの時間とお金を投資した。その結果、わかったことは体験というのはやたらめったらお金をかけてあれこれ数多く触れれば良いというものではなく、元々持っている強い好奇心と出会わなければ、体験してもほとんど影響はないという仮説である。

それを裏付ける体験として筆者は思春期の頃、学校の音楽の授業や芸術鑑賞の課外授業は寝てばかりだが、大人になってどれだけ音楽や芸術に触れてもやはり心が動かなかった。元々、食べることが大好きで子供の頃からフライパンを使って勝手に卵焼きを焼いたりしていたが、大人になって調理器具を買い揃えてからは本格的に料理を研究し、腕を磨いて今は毎日三食作るようになった。

もちろん、自分は何に興味があるのか?を知る起点に体験が必要なものの、今どき、あらゆる文化に触れる手段や入口は用意されているし、触れることに巨額の資本など要らない時代だ。どこの学校でも最低限の文化体験は用意されており、それで十分に感じる。現代はクラシック音楽に触れるにはコンサートへいかなくても、無料で世界最高の音楽に触れられる。そこで好奇心が震える体験をしたならば、そうした人物は自ら音楽の道へ進む決定を本人がするはずだ。

好奇心は外から提供できないし、その逆に誰も止めることができない。

体験格差より愛情格差

個人的には体験格差より、親の愛情格差の方が圧倒的に強い影響を与えると考える。

体験格差は大人になってから取り戻してもよく、元来子供が持っている強い好奇心は自ら開拓する強さに任せればいいと考えることはすでに述べた。その一方で愛情格差はまさに人生への決定的な影響があると思っている。

筆者は経済的には恵まれなかったが、祖父母と母親からの愛情はしっかり受けて育った。他の子に比べてお金がないことは肌感覚でよくわかっていたがそれを卑屈に思うことはなかった。また、他の人が長期休みに留学や家族で海外旅行へいったという話を聞いたら、「お金がない自分はしっかり勉強をして、学校からの資金援助でいってやる!」という負けん気が生まれ、実際にその通り実行できたことが後に強い自己肯定感につながっている。

そして仮に文化的な体験が十分充足していても、そこに家族の愛がなければ何の意味ももたらさない。たとえば両親がケンカをして無言のまま観光地を周るような時間が流れるなら、文化体験どころではなく、むしろそんな体験はトラウマでしかないだろう。

文化的体験が意味を持つのは、その前提に安心して体験に集中し、そこから学びや好奇心に触れられる精神的安寧、つまり愛情がしっかりかけられていることが絶対的に必要になる。子供に必要なのはまずはしっかりした親の愛情という土台であり、筆者は体験格差より愛情格差の重要性を強く主張したい。

よく「愛情にもお金がいる」という話があるが、薄給と愛情は成立できる。もちろん、所得が少なければともにすごす時間は限定的になり、親の精神的安定にも影響はするものの、それでも子供は親からの愛情を正確に感じ取る天才であり、さらに愛情は量より質が重要だ。文化体験の前にまずは愛情だと思うのだ。

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。