10月19日、初のG7国防相会合が開かれた。1970年代にオイルショック後の世界経済情勢を協議するために開催された会議を発端とするG7は、伝統的には経済問題を主眼とする議題を話し合ってきた。
他方、近年は、広範な問題を扱うようになってきており、首脳会議で安全保障問題を話し合うことは常態化していた。外相及び経済関係の閣僚の会議は、毎年行われている。その意味では、国防相会合の開催は、驚きには値しないかもしれない。
折しもロシアでBRICS首脳会議が開催される直前のタイミングだ。BRICSは、「脱ドル化」の共通関心を前面に出しながら、昨年に倍増させた加盟国の数を、さらにいっそう増加させてくると見られている。購買力平価GDPでは、BRICS諸国は、G7よりも大きくなっている。BRICSの存在感は高まる一方だ。G7としてはさらに強く対抗する姿勢を見せることが必要なのかもしれない。
だが、日本(とEU)を除くG7メンバーが、NATO加盟国だ。EU加盟国とNATO加盟国もほとんど一致している。日本がNATO会議に招かれる機会が増えてきており、連携の度合いは高まっている。安全保障面での政策協調は、NATOが中心になるのが当然だ。G7で安全保障問題を話し合っても、NATOで話し合われている路線と異なることを決めていくことは想像できない。
もちろん、様々なチャンネルを持ち、繰り返し懇談する機会を持って、悪いことはないだろう。確かに実態としては、拡大しすぎたNATOの中には、異なる意見を持つ諸国が目立ちがちだ。ウクライナ加盟をめぐって、ハンガリーがすでに反対を表明していることなどが、その象徴的な事例だ。その点、G7は結束度の高い国際協調体制を見せることはできるだろう。
中央アジア諸国が加入しているOSCE(欧州安全保障協力機構)が機能不全に陥っている現在、G7諸国にとっては、たとえ日本だけでも、アジアの国と政策協調をする機会は、貴重だ。他にない、と言うほど、米欧諸国の外交チャンネルの裾野は狭まっている、という残念な状況の裏返しでもある。
今回のG7国防省会合の機会に発出された「共同宣言」文を読んでみたが、実際に目新しいところはなかった。
Joint Declaration of the G7 Ministers of Defence
議長国イタリアが開催を提案した、と報じられており、その関心対象であるレバノン駐留のUNIFILの安全確保の重要性を訴える内容は入っている。これは最近の事件に対応している、という意味で、多国間協議を通じて公式文書に入ってきたのは、あるいは初めてかもしれない。ただイタリア、スペイン、フランスなどの欧州諸国のみならず、その他のUNIFILに要員を提供している40カ国が共同で発した声明などは、すでに発出されている。
しかも「共同宣言」では、ハマスやイランが、イスラエルへの攻撃を理由に名指しで非難されているのに対して、イスラエルを名指しした非難はない。むしろG7諸国は、イスラエルの安全保障に関与している、といったことが謳われている。UNIFIL要員の安全確保に加えて、一般的な市民の保護に関して、国際人道法の遵守が謳われている。しかしイスラエルの行動を問題視している具体的な記述は、そこには登場しない。
このG7防衛相会合共同宣言では、冒頭から国連憲章の原則を遵守することの重要性が強調され、「自由で開かれたルールにもとづく国際秩序」への挑戦を許さない、といったことが書かれている。つまり国際法に挑戦している勢力として名指しでイラン、ハマス、ヒズボラ、フーシー派、などが、非難の対象とされている。しかしイスラエルの名は非難対象ではない。ただイスラエルの安全が保障されなければならない、と語られるだけである。
ガザ危機をめぐっては、国際刑事裁判所(ICC)検察官が、イスラエルのネタニヤフ首相とガラント国防相の逮捕状請求を行ったことを発表している(ハマス指導者にも逮捕状請求がなされたが、対象者は全員イスラエルによって殺害されている)。
それだけではない。国際司法裁判所(ICJ)は、イスラエルの行為に対するジェノサイド条約の適用可能性をふまえて軍事行動停止の仮保全措置命令を出している。またパレスチナ占領地の違法な存在をめぐって、即時の撤退を要請する勧告的意見を発出している。国連憲章にのっとった国際法によって裏付けられている最高権威が、イスラエルの行動を問題視し、軍事行動の停止のみならず占領地からの撤退を求めているのである。
ところがイスラエルは、これらを全て真っ向から否定して無視する態度を公に表明している。そして国連憲章を中心とした国際法の遵守を謳うG7は、イスラエルの敵だけを非難し、イスラエルは非難せず、ただ防御対象であることだけを強調している。
こうしたあからさまな国際法の権威を形骸化させる「二重基準」の態度によって、「自由で開かれたルールにもとづく国際秩序」なるものは有名無実化してしまっている。全く説得力がない。
恐らくは今後、さらなる外部からの挑戦者に直面していくだけではない。NATOやEU加盟国内の懐疑派諸国の無関心や、それぞれの国の中の懐疑派の突き上げにもあっていくだろう。前途多難である。
果たして、このようなG7諸国の自家撞着的な世界観にそった共同声明をあらためて発してみせることに、何か意味はあるのだろうか。にわかにはつかみきれない気がする。米欧諸国は今、世界経済におけるシェアを減退させ続け、人種差別的な二重基準を批判され続けながら、準同盟国であるイスラエルなどに武器を提供し続けている。ここでなお米欧諸国中心主義的な世界観を強調してみせることに、果たして外交的な意味がどれくらいあるのか、つかめない気がする。
日本では、NATOと接近するのは良いこと、G7諸国と仲良くするのは良いこと、いずれにせよアメリカと歩調を合わせるのは良いこと、と無批判で仮定する風潮が根強く存在する。その方向性で、欧州や中東に対する政策的態度を決めている様子がある。
国際情勢を上手く統御できていないアメリカを初めとする他のG7諸国も、たとえ国力を急速に衰えさせ続けている日本であっても、積極的な安全保障政策の領域への参入は歓迎する雰囲気だ。もっともそれは、米欧諸国が切り盛りしている既存の政策プラットフォームに日本が入ってくる、という前提の話であり、日本が独自に「アジア版NATO」の創設を提唱する、といったことは、受け入れられない。
直近では、こうした情勢の中で、日本の石破首相の外交政策のあり方が問われてくる。中期的には、米欧諸国主導の安全保障協議・実施体制に一方的に吸収されていく政策的態度の妥当性が問われる。最も根源的に、長期的には、米欧諸国主導の政策フォーラムが、その存在価値を維持していけるのかどうかが、問われていくだろう。
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