人は10代で渇望していたものを一生追い続ける

黒坂岳央です。

SNSでよく見る投稿の一つに、「人は10代で渇望していたものを一生追い続ける」というものがある。この意見に対しておそらく、誰しも強い納得感があるのではないだろうか。

何十年も生きて、価値観は大きく変化しても好みについて言えばほとんど変化しない。10代で追い求め、そして手に入れられなかったものを人は永遠に求め続ける、そんな機能性を持っているのだろう。かなり調べたが、この件については科学的な解を得ることは出来なかった。個人的に考えてみた。

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若い記憶は一生強烈に残る

人間は若い頃の記憶が強く残り、最近の記憶はすぐにぼやけておぼろげになる。特に若い頃にビビッドな感情と結びついた記憶はずっと残り続ける。

筆者は幼少期に酒に酔った父に殴りかかられ、必死で母親がそれを止めるという経験がある。今でもその時の光景をハッキリと覚えている。子供が生まれ、父親の立場になってから急に酒に対して嫌悪感を抱くようになってそこから酒は一切飲まなくなった。おそらくこの時の体験がトラウマのようになっていて、自分は子供に同じことをしたくないと考えての回避行動かもしれない(筆者は全く酒癖は悪くないが)。特に子供がいる場所では、酒を見るだけで嫌な気分になってしまう。

また、これは米国の大学留学に参加した時の話だ。一定数単位を取得しなければ、プログラムの完了を待たず強制帰国となり。そうなることで、フルスカラシップで提供されていた大学からの資金を返還義務が生じるという内容だった。とにかく落第せず、無事に帰国するまで必死に勉強をして苦心惨憺してなんとか無事に落第せず帰国できた。かなり恐怖が強かったようで、今だに「単位を落として絶望する」という夢を年に1度か2度は見る。もう10数年、同じ夢を見続けている。

現在、勉強や仕事に励んでいるのは楽しいからなのだが、同時に「絶対に時代の変化においていかれたくない」という恐怖もあるのかもしれない。それは10代の頃、勉強ができず完全に落ちこぼれて「能力を磨く努力をしなかったことで、取り残される恐怖」を感じていたのだろう。

中高年で少年のままのオヤジ

知り合いの経営者はかなり年配の人が多いのだが、仕事はよくできるし頭も非常に良いのにあまり褒められた趣味でない人が少なくない。

子供、孫がいるのにマッチングアプリでパパ活に勤しんでいる人や、全身ブランドづくめでお金持ち自慢をやめられない人たちだ。本人から話を聞かされるたびに感じることは、「本人はそれを本当に望んでいるのだろうか?」という疑問である。

話を聞くとマッチングアプリで出会った女性と会話しても、ジェネレーションギャップでほとんど話が通じなかったり、こちらの話を真剣に聞いてもらえないという不満を言い始める。また、ブランド自慢をする社長は「周囲は見る目がなくてなかなか理解されない」と心情を吐露する。個人的にはそれがとても不思議で、「ストレスに感じるならさっさと止めればいい。世の中に楽しいことは他にいくらでもあるのに」と思ってしまう。

もしかしたら、本人は10代の頃に渇望して得られなかった欲求をただただ追い続けているだけなのかもしれない。こうした欲求開放の特徴は「きり」がないことだ。マッチングアプリにハマる経営者は奥さんにバレて離婚騒動になっても尚、会い続けているようだし、ブランド自慢も周囲から眉をひそめられていることを知ってもやめられない。頭では理性的に良くないと分かっていても取り憑かれたようにハマってやめられない。筆者はこの症状を「依存症のひとつではないか」という仮説を持つに至った。依存症ならこの行動に辻褄が合う。

自分も昔はつまらない見栄や自慢をしていた時期があったが、30代前半で完全に通り過ぎた今、当時どれだけ稚拙でくだらないことをしていたかをよく理解できるし、もう今後の人生で二度と見栄からの自慢をしない自信がある。これは我慢ではなく卒業だ。彼らと筆者の違いは「10代の頃に渇望していたか?」という点にあるかもしれない。それほどに若い頃の欲求の強さは尾を引くものなのだ。

 

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。