骨太の立論が新聞に
朝日新聞憲法季評で安藤馨「裏金という情動的 ラベルの偏頗的適用は民主政にとって有害」
解散権の制約は必要か 有権者の判断支える「健全な報道」が解決策 – 衆議院議員総選挙(衆院選):朝日新聞デジタル 2024年11月14日 6時00分
今年5月の本欄で述べた通り、不記載は決して形式的問題ではなく、選挙という民主政の根幹を歪める問題であり、不記載議員の失職を無過失の場合にすら正当化し得る。しかし、今回の選挙において、不記載を公金横領や贈収賄の類と誤解しているとおぼしき怒れる有権者が見られたのはひとえに「裏金」という語の独り歩きの産物であろう。野党議員の不記載には「裏金」という情動的ラベルを貼らず、与党議員のみを「裏金議員」と呼ぶようなやり方は、事実認識に基づかない評価をもたらそうとするものであり、民主政にとって有害ですらある。
果たして敗北したのはひとり与党のみだったのか、民主政は無傷だったのか。
朝日新聞11月14日付けの紙面とウェブ版の「憲法季評」のコーナーで、一橋大学の安藤馨教授(あんどう・かおる 法哲学)が、10月に行われた衆議院議員選挙に関して「裏金という情動的ラベルを野党議員の不記載には貼らず与党議員だけに貼るのは民主政にとって有害」といった旨の指摘を行いました。
前段の総理大臣の衆議院解散権の憲法上の根拠に関する指摘も骨太の立論が為されているのですが、後段の報道・言論空間の民主政における影響についての言及もまた、重要なものだと思うのです。
野党議員の不記載は無視し、自民党議員は不記載ですらない者も「裏金」ラベル
10月27日に投開票があった衆議院議員選挙に関して、メディア各社が開票速報番組において自民党の候補者にのみ「裏金」といったラベルを名前に貼っていた問題についてはこちらでまとめてあります。
野党議員の不記載は無視し、自民党議員は党からの処分対象となった者は、不記載ですらない者も「裏金」ラベルが貼られていました。
このような偏頗的な扱いは報道機関の中立公正性という別個の問題として取り上げられるべきものですが、安藤教授はさらに民主政の問題であると論じていることになります。
しかし、「自民党の裏金議員」という印象を植え付けられてしまった者にとっては、そのイメージは簡単には拭えず、突発的に行われる各種選挙はあり得るのであり(兵庫県知事選挙など)、そして来年は参院選も待っているわけです。その際に、今回植え付けられたイメージというのは、個人によっては大きく影響するでしょう。
選挙を一回限りのお祭りと考えていると「大したことない」になるんでしょうが、人間社会は切れ目のない連続なのであり、そこに生きる人間の認識に与える影響を語っているわけです。
大手のテレビ局がこぞって放送したということの拡散力の凄まじさ、それによる影響力は重大なものであり、たとえば対立候補の野党議員が街頭演説で当該選挙区の有権者に対してのみ伝えるものとは、また別の影響の話として論じるに値する話でしょう。
(今般の選挙では、自民党や候補者に関して「裏金」のイメージを与える発言をする(自民党候補者から見た)対立候補者が多々見られた)
編集部より:この記事は、Nathan(ねーさん)氏のブログ「事実を整える」 2024年11月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「事実を整える」をご覧ください。