黒坂岳央です。
仕事をしていると時折、驚くような不義理に遭遇することがある。長期的メリットを捨てて、目先の小さな利益の確保を優先して相手を裏切るケースなどだ。正直いって、これはあまり利口な行動とは言えない。自分の利益を最大化するなら信用を優先し、長期的に相手との良好な関係を保つ方が本人にとっても経済的メリットが大きいのは明らかだからだ。
このような不可解な不義理が起きる理由は「頭が悪いから貧乏になるのではなく、貧乏生活が頭を悪くする」で説明がつく。そしてこれは決して筆者の思い込みではない。論拠を取り上げながら考えたい。
貧乏になると賢者も愚者になる
米国ハーバード大学の行動経済学者のSendhil Mullainathan氏は「たとえ賢い人間も貧乏生活でバカに変わる」という趣旨の主張をした。また、米国の科学雑誌「サイエンス」に掲載された論文によると、「知能テストの結果と、収入の多寡には明確な相関関係がある」と結果を明らかにした。
「貧しい生活」は元々の知力を乗り越えてあらゆる人間を愚者へ導く影響力があるのだ。ハーバード大学の研究者はこの現象を「コンピューターが巨大なデータを処理できず、オーバーフローしてしまう現象に近い」と表現した。どういうことか?
簡単な話だ。貧乏生活になると四六時中、支払期日や残高、利子といった経済にまつわる変数が多くなってその対処に追われるため、心穏やかで冷静かつ長期的な思考を奪われてしまう。故に、長期的に取り組む方がメリットのある行動をせず、短期決戦や一発勝負で戦いを挑んでしまうのだ。どれだけ賢い人間でも、目先の支払期日の迫った請求書を大量に抱えていては、まともな思考はできなくなる。
その結果、人によっては犯罪というどう考えても割に合わない愚かな選択肢を取るほどの愚者に落ちる。「犯罪なんて得のない行動をするのはバカだ」と笑うのは簡単だが、犯罪者も経済的に困窮して知力を奪われていなければ、多くは手に染めることはなかっただろう。
貧乏と貧乏生活の違い
ここで注意が必要なのは「貧乏と貧乏生活は似ているようで全く違う」ということだ。人をバカ者に変えるのは貧乏生活であり、貧乏そのものではない。両者は何が違うのか?
貧乏というのは客観的状態のことである。一般論でいえば、平均取得より下回る経済状態を指すだろう。一方で貧乏生活というのは、常にお金の心配をして支払期日が脳内のワーキングメモリを埋め尽くしている状態を指す。
極端な話、質素でお金のかからない生活を送っていて、何ら借金や支払に追われていない人は貧乏だが貧乏生活ではない。こうした人は愚者に落ちない。
一方で、平均取得より上だが、承認欲求に取り憑かれた結果、周囲への見栄にムダなコストを支払い続け、身の丈に合わない生活をして支払が常に火の車という人は貧乏というより貧乏生活になり、愚者に落ちる。つまり、気をつけるべきは貧乏であることを体感するような生活を回避するということだ。
筆者は20歳前後は月の総支給が20万円以下で実家もお金がなく、今考えると相当に貧乏だったが振り返っても「貧乏感」はなかった。収入は多くはないが、実家暮らしで栄養のある食事も取っていたし入ってきただけお金は自由に使えた。
一方で、実家を出て上京した時は「自分が貧乏である感覚」は非常に強かった。賃貸物件への支払いや携帯代、食事代や交通費など、ただ息を吸うだけで次々とお金が飛んでいく感覚があり「ギリギリだけど次の支払いまでに給与が入ってきそうだな」と常にお金の心配をしていた。行動や思考の何もかもが近視眼的であり、今ならわかるが当日の自分は紛れもない愚者であった。
◇
日々、貧乏である実感をしながら生活を送ることは望ましい状態ではない。短期的なメリットばかり追い求め、長期では信用の切り売りをすることになることが多く、少なくとも大成するスタンスではないのは明白だからだ。
理想な意識せずとも自然にムダを省いて節約している状態へと持っていくことだ。お金の心配が消えれば、そこで始めて人生をより良い豊かにするための戦略を考えるようになるだろう。
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