石破政権の低支持率や安倍時代の終焉を背景に、日本の政治は中庸寄りに移行する兆しを見せています。従来の右派・左派の対立構造が希薄化し、現実的な政策を求める流れが加速。石破氏は課題が多い一方で、長期的な政治的舵取りにおいて一定の役割を果たす可能性が示唆されています。また、日米関係を含む多極化時代への備えが求められる今、政治勢力には柔軟な対応力が求められる時代になっています。
所信表明演説直後から既にすごい地を這う支持率にいきなりなってしまっている石破政権なんですが、このままで来年の参院選は戦えない!からいずれ誰かに変わるだろう…と「政治の事に詳しい」人はかなり共通して言ってるような印象なんですが、なんだかんだこのまま結構長期化するのではないか?と個人的に最近感じているという話をします。
「石破氏個人」の理由で辞めさせられるとしても、また「安倍レジーム」型にある程度右寄りな位置にクローズドに権限を握りしめるような政権を成立させられる状況になるとはとても思えない。
つまり、「石破氏はどうあれ、もっと中庸寄りの路線に日本の政治が集まってくる情勢」なのは間違いないように感じています。
どういうことでしょうか?
1. 安倍時代は遠くになりにけり
「安倍時代」を象徴するような面白い本を最近読みまして、それは僕のこの本を編集してくれたフリー編集者の梶原麻衣子さんが、出身の「ガチ右翼雑誌」時代の体験を書いた内幕本なんですが…
この本を読んでると、「もう安倍時代みたいな事は日本では二度と実現しないだろうな」と思うことがたくさんあったんですよね。状況が違いすぎる。
「右翼雑誌の舞台裏」(梶原麻衣子)
この↑新書のオビのデザインを見たら分かる人はわかると思いますが、「安倍時代」を象徴する雑誌として、「WILL」と「Hanada」っていう右翼雑誌があったんですね。
梶原さんは、親が自衛官で、学校の先生に「あなたのお父さんの仕事は世間で嫌われているので、外では”父は公務員です”と言いなさい」と言われたみたいな事が色々あって反感を募らせて右翼雑誌の世界に飛び込み、「左翼との戦い」に邁進してた人なんですけど(笑)
それが、梶原さんが若いころは「左派エスタブリッシュメントがちゃんとある」状況で「右翼がカウンターとしてゲリラを戦う」状態だったんで良かったけど、そのうち左翼の方も、さらには右翼界のエスタブリッシュメント雑誌すらも廃刊になったりしてグッダグダになってきちゃって、気づいたら右翼雑誌でナンバーワンの存在に”自分たちが”なってしまったのが「これでいいのか?」と思い悩み始めるんですね。
で、色々と「ただ当時の左派論調にカウンターしたいだけ」だったのに、右翼雑誌は右翼雑誌でかなりメチャクチャなことを言ってるように感じ始めて、板挟みになってこのままでは続けられない…と退職し、今はフリーになってかなり中立的でバランスの取れたライターさんになってるんですが。
自分の直感と魂のままに突き進んで一番右まで振り切れて、今度はまた自分なりの良心に導かれて逆に振り切れて独立してるんで、なかなか堂に入った「中道主義とはなんぞや」について身を持って探求し続けている人になっています(笑)
そうやって、「右翼少女(本書の中にあった表現)」が「中年の右派寄り中道派フリーライター兼編集者」になるプロセスの中で、僕の言説に注目してくれて、色々と活動してくれて本を出すところまでこぎつけてくれたという経緯があったわけです。
2. 「あまりに教条的な左派vs安倍」という構造がもうない
梶原さんの本を読んでいて、当時の「論壇」の状況を多面的に色々なエピソードで振り返ってみると、「もう安倍時代は戻ってこないな」と思うのは、当時は今よりもまず左派の方が物凄い教条的な状況があったというのがあります。
「自衛官」=「恥ずかしい職業だな」って言う教師とか、さすがに今いないでしょう?
戦争責任関連にしても、帝国主義時代にまずは先に「欧米列強の圧倒的な暴虐」があった中での日本という特殊な立ち位置が果たした役割をトータルに見ないとフェアじゃないというぐらいの反省は、今のように多極化した時代なら結構普通に見られるけど、とにかく当時は「お前たちは戦犯の子孫だ土下座しろ」みたいな風潮が強くあったしね。
もちろん、「そういう左翼の末裔SNSにいっぱいいるよ」って思うかもしれないけど、当時は朝日新聞とか民放テレビとかの「主流メディアが全力でそういう方向だった」という感じで、今とは状況が全然違うんですよね。
要するに、「安倍というヒーロー」が盛り上がるだけの「魅力的な悪役」がいたってことなんですよね。
俺達の胸先三寸で政権なんか吹き飛ばしてやるって言ってるような大新聞とか民放テレビのお偉いさんとか、いかにも「悪役として十分」って感じじゃないですか。
「朝日新聞叩き」が物凄い人気コンテンツだった…とか言うのも、今となってみれば「そんなパワーある存在だったの?」って逆に首をかしげちゃう部分があるけど、少なくとも「当時の実感」としてはそれぐらいのパワーは実際にあったと見られていたわけですね。
3. 戦前生まれのガチの保守思想家みたいなのももういない
そういう「悪役としての教条的左翼主流派」が盤石にある状態に対して、カウンターをしかけていこうとする右翼グループにも、単に過激なこと言って喝采を浴びるみたいな感じじゃない『古風な保守知識人』みたいな人が当時はまだ結構いたんですよね。
安倍氏を若い頃から知っていて、不遇の時期も変わらず「じいや・ばあや」として支えてきた渡部昇一氏とか金美齢氏とか、そういう戦前生まれのインテリ右翼論客の存在も大きい。
あと有名な論客さんとしては西尾幹二氏という、ほんのここ一ヶ月前の11月1日に亡くなった方がいますが、彼とか西部邁氏とか、「まあ自分は左翼だけど一応読んどくか」みたいな一目置かれ方をしている古参インテリ論客が一応の基調を作っていて…みたいなのが今は百田尚樹さんとかになってるからねw
保守派のインテリの若い世代に有望な人がいないのかというと、例えば中島岳志氏のこの本とかすごい良かったけど、彼はウィルやハナダに出るようなタイプの論客にはならなかったし。
なんかこう、つまりオールドタイプの「左派」っていうのも崩壊寸前だし、それに対する「右派論客」っていうのもなんか、どんどん「右翼雑誌で過激な事を言うライターさん」みたいな人しかいなくなってきてしまっている。
4. 「親米保守・アベノミクス型経済路線」が緩やかに役割を終えていく流れがある
一方で、安倍政権時代というのは、そういう「思想的党派対立」を基調とした上で、それとはまた別に、「経済」「安全保障」の両面における現実的な課題を解くために必要とされていたわけですよね。
アベノミクス的に「とにかくみんなに職を配る」事情とか、あと米中対立時代になっていくに向かって東アジアの軍事的均衡を維持して戦争を避けるための日米同盟強化という「実用上の必要性」で支持されていた面も大きい。
でもこの「経済」「安全保障」の2つの状況が、過去10年とこれから10年20年ではまた大きく変わってくるんですよね。
一個後の記事に書きますけど、「需要不足が深刻で必死に人々に職を与えようと頑張って」いたアベノミクス期と、一方でこれからは人手不足が深刻で、供給サイドの効率化さえやってれば需要は満たしきれないほど自然に存在する経済・・・という「大きな変化」がある。
(書きました↓この記事と対になってる感じなのでぜひそちらもお読みください)
結果として、「国家が経済をコントロールしようとしすぎない」をいかに実現するか、「脱力」して身を任せるみたいななんかそういう事が必要になってくる。
それと同時に、「安倍時代」には、米中覇権国家の対立がガチで深刻にならないために「日米」を強烈に結びつけて、「中国が戦前日本みたいに勘違いしはじめないように」する事が大事だったんですが…
これが超長期的に見ると、「アメリカも普通の国」に徐々になっていくわけで、「多極化・無極化時代」における舵取りの仕方・・・というのを考えていかないといけない。
結果として、「アメリカの言うこと聞いてりゃいい」という話でもどんどんなくなってくるし、アメリカも中国と対決はしたいけど自分たちだけでは無理…となる中で、日本側の立場が徐々に強化されていく流れも当然のように見えてくる。
石破氏は日米地位協定の見直しが持論らしいですけど、それも今すぐではなくても徐々に自然に取り入れ可能になっていく長期トレンドはあるはずだと思います。
この問題があまりにデリケートだったのは、そういう話を少しでもし始めると日米同盟自体が不安定化して東アジアの軍事的均衡が崩れて戦争の懸念が高まるから今までできなかったっていう事情があるわけですよね。
安倍時代に提唱された「自由で開かれたインド太平洋」が国際秩序の基礎として確立した今後であれば、「当然存在する日米同盟」が揺らがなくなればなるほど、地位協定とか基地問題とか言った問題を穏当な形で適切な処理をする可能性は見えてくる。
石破氏の言ってることというのは、「現実の細部」は全然フィットしてないんですよね。
「アジア版NATO」とかアメリカどころかインドとかその他の色んな国から「はあ?」って言われてましたし。
特に東南アジア諸国なんかは米国vs中国の争いの中で「態度を曖昧に」しておきたいみたいなところがある中で、「アジア版NATO」みたいな、それって結局中国含めるってこと?対中同盟って話?みたいなわけがわからない案なんかに乗れるわけがない。
だから「現実」的には今すぐレベルでは全然フィットしない。
しかし、例えばこの笹川平和財団の「アジア版NATO」に関する記事を読むと、↓「超長期的なトレンドとして見て、アメリカの国力が圧倒的でなくなってきて、中国との拮抗状態が深まり、中国の態度が悪いという状況が続けば現実味を帯びてくる可能性がある」と述べられています。
まさにアジアにおいて各国の長期・中期・短期的利益が複雑に錯綜しており、容易に利益の一致が見られない現状こそが、アジア版NATOが現実的と見なされない理由であろう。(中略)
アジアでは当面このような図式はないが、今後、中国の覇権国家としての性質がますます露わになっていく、またアメリカの国力が相対的に衰えてきたことをアメリカ自身が自覚するにつれて、地域の個別国家への侵害行為が積み重なるにつれ、またアメリカの国力が相対的に衰えてきたことをアメリカ自身が自覚し、孤立主義への復帰が懸念されるようになるにつれて、地域全体の問題として、アメリカを引き止め中国を抑止するためにアジア版NATOのような組織を切実に必要とするようになるという状況も十分に予見されるのである。
アメリカと中国との差が圧倒的だった時代は「日米同盟」だけで良かったけど、差が縮まってきたら「自由で開かれたインド太平洋」が必要になってきた…みたいなのを「さらに推し進めた」ところにアジア版NATOのビジョンはあるという感じに(一応は)言える。
結局、アメリカの存在が世界の平和を保ってる現実は(まだ一応は)あった時代には、日米地位協定改正とか基地問題とかの「反米」運動って、それ自体だけをストレートに押し出していくと現実と全然合わないというか、「まじで戦争になるからやめろ」という感じで抑圧せざるを得なくなってきたわけですよね。
一方で、今後2020年代はまだいいとしても30年代40年代になっていくに従って、いざ本当にアメリカが「重要な存在ではあるがあくまで多極的構造の中の一つ」みたいになっていく事になったら、「そのあまりに複雑な状況における平和の維持」という難行に自分の責任で対処する気があるのなら、当然「地位協定」みたいな話も言い出せる情勢に当然なるよね、ということなんですね。
そういう「2020年代全体」ぐらいならまだいいが「その先」まで見据えた「本当の多極化」の時代の準備が、日本政治において始まったのだと考えるといいのだと思います。
その状況の中では、「現実に対する責任感があれば当然に親米、それがなければ反米」という構造ごと崩壊してくる。
で、「反米型の理想論」を言っていた人も、(アジア版NATOもその一つではあると思いますが)、実際に「多種多様なエゴがぶつかりあう国際社会」に放り出されてみたら自分が考えてた書生的理想論など全然ダメだったね、と気づくことになる・・・でもそこからが本当のスタートで!
「反米か親米か」みたいな概念的二項対立ではなくて、徹底してリアリスティックに国際パワーバランスの刻一刻の変化を読み解いて現実的なアクションを考えていける勢力が、僕がいつも言ってる(後述する)「M字から凸字へ」を求める強い民意の中で賛同を得ることができる流れになっていく事になるでしょう。
そういう意味ではなんか、今後10年20年レベルで見た時の「日本の方向性」には案外フィットしているのが石破路線・・・というところがあるのかなと思います。
経済政策の方はなんか全然期待できませんけど、期待できない部分が逆に「余計なことしなさそう」という意味で好感が持てるw
5. イデオロギーでなく現実の解きほぐしを…という反骨精神の時代
結局、「安倍時代」があれだけ盛り上がったのは、その前に「左派のやりたい放題」があって、そこに巨大な恨みが溜まっていたし、米中冷戦時代の新しい安全保障の枠組みが作らないとヤバいという非常に現実的な課題もあって、そこに一気にエネルギーが噴出した現象だったということですね。
でもその「溜まりに溜まった恨みのエネルギー」も「それが必要とされる事情」も両方もうないからね。
強化された日米同盟と「自由で開かれたインド太平洋」はもう「動かしがたい現実」として確立してて、もうこれ以上は過剰に中国(中国政府はともかく普通の中国人も含めて)を敵視するような言論を放置するほうがヤバいみたいな情勢になっているし。
「左翼に対する恨み」自体も、「左翼」自体が青息吐息になってきて、いまやどっちが弱者なんだという感じになってきている。
そのうえ、世の中が圧倒的に「シラフ」な感じになってるっていうか、大きな物語としての「党派性」にコミットして生きている人数はどんどん小さくなっていって、フラグメント化したそれぞれバラバラの興味関心に個々人が向かってる多様性の時代になっている。
だから、石破氏が人気ないから変えるといっても、もう一度「安倍派」的な保守派路線で大きなうねりを起こすというのはかなり難しいだろうなと思います。
さっきちょっとだけ言った話ですが、私が10年ぐらい前から予言してきた図の、この「M字」に分断されていたものが…
以下のように「真ん中に集まってくる」流れは揺るぎなく実現しつつあるんですよね。
今はこの「真ん中の凸」を独自に単独で体現できている政治勢力がどこにもないから、自民・立憲・国民の三すくみ状態みたいになる絶妙の議席配分になってますけど。
これからは、この「ちゃんとこの真ん中の凸の意見を体現できる党」が伸びる情勢が続いていく事になる。
「イデオロギーを排除し、現実の細部を大事にし、具体的な改善策を積んでいけるか」
それがこれからの「戦いの中心」になってきてるってことですね。
なんだかんだ選挙後、みんな103万の壁っていう話を延々するようになって、立憲も目が覚めたように現実的な政策議論をするようになって、そこは大変良い傾向だと思います。
国民民主党の振る舞いについては賛否両論だろうけど、でも「そういう状況」を作った事自体が国民民主党の功績だってことをみんな忘れがちなんじゃないでしょうか。
以下ポストでも言いましたが、「わかっててやってるポピュリスト」の玉木さんがいなくなったら、「何もわかってなくて一切着地を考えずにポピュリズムを刺激するだけする」党がその議席を取っていくんですよ!
で、今は「どーすんねんこれ」状態ですけど、これが今後なんだかんだスムーズに政策決定が行われ、たとえば色々と地方税は…とか高所得者層は…とか条件つけられるにしても「103万円の壁」の撤廃などが実現したりすると、急激に「これが日本政治の新しいモード」という感触は芽生えてくると思います。
立民の方も競争意識を燃やして、今までの「裏金追求一本槍」みたいな感じではなくて、「次はこの改革!」「次はこの改革!」って感じで具体的な案がどんどん出されて、それが自民党のクローズドな密室でなくオープンな議論の中で決まっていく流れが実現していけば・・・・
それをうまく差配できれば石破氏の支持率もまあ上がるかもですし、少なくともそういう「新しい政治のモード」が確立しはじめた後であれば、石破氏を変えるにしても後任も手を上げやすくなるでしょう。
選挙終わってからほんと「わけわからん」状況が続いているので、「わけがわかる」形にさっさと戻したいと思ってる人は結構いると思うんですが、なかなかそれを許してもらえないような状況は続きそうだと私は思います。
でもその「わけわからん」状態を許容できるようになればなるほど、日本はクローズドにどこか一部の人だけが握り込んで何かを動かす社会から、本当の意味で「衆知」を集めて適宜柔軟に変わっていける社会へと転換できるようになるわけですね。
わかりやすい正解に飛びつかずに、とにかく「混乱の先の新しい着地」を目指すしかないという覚悟を決めて進んでいきましょう。
冒頭に貼った朝日新聞の記事を見ても、なんだかんだ「自公過半数割れ」を国民の多数が支持しており、かつかといって立憲中心の政治を支持しているわけでもなく「今のこの状況」自体を結構な比率で支持している国民の意志は明らかにあると思います。
その先の希望は必ずあると思うので、「わけわからん」を許容しながら一歩ずつ手探りで前に進んでいきましょう。
■
長い記事を(普段よりは短めですが)ここまで読んでいただいてありがとうございました。
ここからは、総理になる直前にインタビューされた石破茂氏の聞き書き語りおろし本を読んでて、「色々と困った人ではあるが、使い道はどこかにあるタイプなのかも?」と思ったという話をします。
なんかこの本読んでると、本当に、「色々な能力」をゲームみたいにグラフにして表したら物凄いイビツな形になりそうというか、ある部分は「かなりすごい」けどある部分は「まるっきしダメ」みたいな人なんだなという印象がすごく伝わってきたんですよね(笑)
そのあたりの、「石破茂はここがすごいダメそうだけどここはすごそう」みたいな話と、あと日本の歴史の政治の歴史の中で「田中角栄直系」みたいなことをすごい意識してるのが石破氏なんだな、というような事が今後の舵取りでどう影響してくるのか?みたいな話を以下では書きます。
■
つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。
編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2024年11月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。