シリアで一時期静まっていた内戦がここにきて再熱してきた。現地からの情勢によると、既に死者500人以上になるという。その中核を担う反体制派勢力は過激派イスラム組織「ハヤート・タハリール・アル=シャーム(HTS)」だ。
反体制派は先月27日攻勢を開始し、シリアの第2都市、北部の要衝アレッポを制圧し、5日には首都ダマスカスと北部を結ぶ交通の要衝で、シリア第4の都市であるハマも掌握したという。アサド政権は政府軍を派遣しているが、反体制派の進攻を阻止できないでいる。内戦でシリア政府軍を支援してきたロシアがアサド大統領の要請を受けて、反体制派勢力に空爆を開始したという情報が流れているが、ウクライナ戦争で兵力を大きく割かれているロシア軍がシリアの反体制派勢力への攻撃にどれだけ介入できるかは不確かな状況だ。
ところで、バチカンニュースで5日、興味深い解説記事が掲載されていた。フランスの中東専門家ピエール=ジャン・ルイザール氏はバチカンラジオとのインタビューに答え、「シリア、イラク、レバノンの3国は現在、類似した危機に直面している。これを『政治的宗派主義の危機』と総括することができる。この宗派主義はこれら3国の建国時に遡るもので、多数派に対抗する形で少数派に依拠して成立した。シリアではこの宗派主義が政治に反映されるのが遅かったが、レバノンやイラクでは先行していた。私たちは今日、フランスとイギリスの委任統治下でレバノンとイラクに設立された国家機関が崩壊していく様子を目撃している。アラブの春がこれら3国の多数派、つまりイラクのシーア派、シリアのスンニ派、そしてレバノンのシーア派を再燃させた。だから、シリアで進行しているのは単なる内戦の一時的な再燃ではなく、地域全体で数十年にわたって維持されてきた政治モデルの崩壊だ」というのだ。
ちなみに、「政治的宗派主義」とは、宗教や宗派(宗教内の分派)に基づいて政治的権力が配分されるシステムで、特定の宗教や宗派が政治的な意思決定や権力構造において特別な役割を持つ。その結果、一部の宗派が政治的・経済的に優遇される一方で、他の宗派は疎外されることが多いため、宗派間で緊張や対立が生まれやすい。宗教が国家の統治や政策決定に直接的な影響を与える場合、特定の宗派が国のアイデンティティとして強調されることが多い。
レバノンは政治的宗派主義の典型例で、大統領はマロン派キリスト教徒、首相はスンニ派イスラム教徒、国会議長はシーア派イスラム教徒から選ばれるという形で、宗派に基づいた権力分配が制度化されてきた。また、イラクでは、シーア派、スンニ派、クルド人の間で政治的な権力が配分されており、それが宗派間の対立の要因となっている。シリアでは、アサド政権はアラウィ派という少数派に支えられており、多数派であるスンニ派の不満が内戦の大きな原因となっている、といった具合だ。
「政治的宗派主義」は国民を宗教や宗派で分けることを前提としており、共同体間の対立を激化させるリスクがある。特定の少数派が優遇されると、多数派が不満を抱き、それが政治的不安定を招く。また、宗派が国家の主軸になると、国民全体の統合や共通のアイデンティティを築くのが難しくなる。政治的宗派主義は、宗教や宗派のアイデンティティが政治権力の分配に直接的に影響する仕組みだ。中東の多くの国では、歴史的な経緯や植民地時代の政策の影響でこのようなシステムが存在しており、現在の紛争や対立の大きな要因の一つとなっている。
ルイザール氏によれば、シリアの現状について、「数十年にわたり権力から排除され抑圧されてきたスンニ派アラブの多数派の力のデモンストレーションだ。アサド政権の崩壊だけでなく、『政治的宗派主義の崩壊』につながる可能性がある」と見ている。
同氏によると、シリアは3つの大きなゾーンに分割される。まず、アサド政権が支配するゾーンだが、これはいつ崩壊してもおかしくない。次に、ティグリス川とユーフラテス川の間の地域で、ここはアラブ部族が文化的に支配しており、いわゆる『イスラム国』に忠誠を誓っている。3つ目は、ダマスカスとアレッポの間のエリアで、ここではアル=カーイダのかつての分派が、イスラム国とは異なり、シリアの国境の正当性を認めているが、時にはジハード主義のイスラム運動、時には単なる政治運動としての顔を見せるという。なお、シリアで起きていることは、1920年まで「大シリア」の一部だった隣国レバノンにも波及し、各共同体間の闘争が起こり得るわけだ。
参考までに、中東の「政治的宗派主義」は欧米のキリスト教社会の「政教分離」の反対だ。「政教分離」は、宗教と政治を分離する原則を指す。この原則の下で、宗教が国家の統治や政策決定に影響を及ぼさないようにし、国家が特定の宗教を支援または優遇することを禁止する。「政教分離」が宗教の影響を排除して政治を中立化しようとするのに対し、「政治的宗派主義」は宗教や宗派を政治の中心に据える。
問題は、「政治的宗派主義の終焉」は、多くの場合、一つの宗派や勢力が他を圧倒し、勝利者が政治の全権を掌握する状況に繋がりやすい。そして、敗北した宗派や勢力は社会的、政治的に周縁化されるか、最悪の場合、完全に排除される可能性が出てくる。サダム・フセイン政権(スンニ派主導)の崩壊後、シーア派が主導権を握った。これにより、スンニ派の政治的排除や社会的不満が高まり、紛争が激化した。アサド政権(アラウィ派主体)が反政府勢力(主にスンニ派)を弾圧した結果、過激派グループ(ISISなど)が台頭し、さらに宗派間の緊張が悪化した。すなわち、「政治的宗派主義」が終わったとしても、それが即、平和や安定を意味するわけではないわけだ。
神学者ヤン・アスマン教授は、「「唯一の神への信仰(Monotheismus)には潜在的な暴力性が内包されている。絶対的な唯一の神を信じる者は他の唯一神教を信じる者を容認できない。そこで暴力で打ち負かそうとする」と説明し、実例として「イスラム教過激派テロ」を挙げる。国際テロ組織アルカイダの行動にも唯一神教のイスラム教のもつ潜在的暴力性が反映しているというのだ。同教授は「イスラム教に見られる暴力性はその教えの非政治化が遅れているからだ。他の唯一神教のユダヤ教やキリスト教は久しく非政治化(政治と宗教の分離)を実施してきた。イスラム教の暴力性を排除するためには抜本的な非政治化コンセプトが急務だ」と主張している(「『妬む神』を拝する一神教の問題点」2014年8月12日参考)。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年12月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。