シリア戦争を善悪二元論で理解するのは危険

シリア情勢が大きく動いている。シャーム解放機構としてしられるHTS(Hayat Tahrir al-Sham)が、わずか10日間ほどの間で北部アレッポを制圧し、続いて首都ダマスカスに向けて南進して交通の要衝であるハマーを掌握し、さらにホムスを攻略しようとしている。ホムスを制圧すると、ダマスカスから地中海に抜ける交通路が封じられることになる。アサド政権は、今までハマーやホムスを反政権勢力に明け渡したことがなかった。政権崩壊の可能性も出てきた大きな情勢変化である。二輪車に相乗りするなど民間車両を活用した機動性を駆使したHTSのスピードにアサド政権側が対応できていない流れだが、ほぼ全く戦闘が発生せず、政府軍が逃走している状況を見ると、政権側の士気が相当に低いことは容易に推察できる。

シリア東部ではクルド人勢力であるシリア民主軍(SDF)が支配地を広げている。アサド政権軍がやはり戦わずして逃亡するため、クルド人保護を掲げて、軍事的に前進している。これまでSDFはイスラム国掃討作戦の名目を理由にして、アサド政権とは棲み分けを行ってきた。しかしアサド政権の弱体化を見て、政府軍の排除に舵を切ったようである。HTSとは、アレッポを制圧した際には衝突を起こすかのようにも報道されていたが、結局はアサド政権軍を追い込むことに共通の利益を見出したようであり、全面衝突を避けている。この動きの背景に、クルド勢力を支援するアメリカ(シリア領の南東部にイスラム国掃討作戦の継続を名目にした軍事基地を持って駐留し続けている)と、アサド政権の弱体化を狙うイスラエルの意向が働いているとも推察されている。

この状況で、HTSの指導者であるジャウラニ氏が米CNNの独占インタビューに答え、他宗教・多民族が共存するシリアを実現するといったビジョンを語ったことが話題となった。

HTSはもともとアル・カイダ系のイスラム原理主義の勢力である。現在は、アル・カイダと関係を断っているという。だが、そもそも現在「アル・カイダ」自体が中心を持たない緩やかなテロ組織ネットワークでしかないものになっている。HTSの現在の組織的内実は不明瞭である。

HTS指導者・ジャウラニ氏(編集部)

HTSはトルコの支援を受けているとされる。HTS戦闘員の相当数がアラビア語以外の言語を話しているとも報道されており、(近隣各地から)トルコを通過してシリアに入ってきた人々であると推察されている。ただ今回のHTSの進撃について、トルコは直接的には関与していないという立場をとっている。トルコはもともと自由シリア軍(FSA)という別のシリア北部を拠点とする勢力の後ろ盾である。FSAとHTSは、アサド政権に敵対する限りは共闘する関係にあるが、一枚岩ではない。トルコは現在、アサド政権に圧力をかけながらも、HTSがクルド系のSDFと棲み分けを行おうとしていることについて、不満を持っているとも伝えられている。

HTSの大攻勢の直接的なきっかけは、レバノンを拠点とするヒズボラがイスラエルとの戦闘で弱体化したことだろう。さらに背後にいるイランとともに、ヒズボラはアサド政権を支える側の勢力であった。イスラエルとヒズボラの間の休戦が成立した直後にHTSの大攻勢が始まったが、機会をうかがっていたと言ってよいように見える。またイスラエルはアサド政権と対立してシリア領にも空爆を繰り返している。実態として、HTSと共闘しているのはイスラエルだと言えるだろう。もちろん、さらなる背景事情としては、ロシアがウクライナとの戦争に精力を注いでいるため、シリアのための余力が不足している、という事情もある。アメリカが、ロシアとイランとアサド政権と対立し、イスラエルとSDFを支援する立場から、HTSの大攻勢を好意的に見ている様子も見てとれる。イスラエルは、シリア領におけるアサド政権に対する空爆を続けながら、注目が低下したガザにおいて、さらなる破壊攻撃を激化させている。

苛烈な抑圧と殺戮を続けてきたアサド政権と比べれば、何が取って代わるにしても、まだマシなものになる、といった見方もSNSでかなり見られる。ロシア・ウクライナ戦争の延長線上で、ロシアのメンツを潰してくれる者は全て善である、と言わんばかりの風潮すら見られる。だが、混乱した現在のシリア情勢を、雑駁な善悪二元論で理解しようとすることには、かなり無理がある。

シリアのアサド大統領インスタグラムより

日本政府は、安易な世論の流れに迎合しすぎず、国際法原則を意識し、人道主義の観点から、シリア情勢を見ていく姿勢を堅持しておくべきだろう。

篠田英朗国際情勢分析チャンネル」(ニコニコチャンネルプラス)で、月2回の頻度で、国際情勢の分析を行っています。