アイザック・ニュートンの「2060年終末予言説」

激動の2024年もあと2週間あまりを残すだけとなった。2025年の新年がどのような年となるかについて様々な予言や予測がメディアでも囁かれる時を迎えている。このコラム欄でも新年を前に予言者と言われる人物の発言を紹介してきた。最近は盲目のブルガリアの予言者ババ・ヴァンガの話を数回、紹介した(「ババ・ヴァンガ『2019年の予言」2018年12月30日)、「予言者が語る『2022年』はどうか」2021年12月24日参考)。

アイザック・ニュートン 1689年の肖像画、ゴドフリー・ネラー画、Wikipediaより

今回は「万有引力の法則」を発見した英国の自然哲学者、物理学者のアイザック・ニュートン(1642年~1727年)の通称「終末の予言2060年」を紹介したい。ニュートンは通常、科学者と思われているが、彼は聖書に強い関心があった。膨大な時間を聖書の解釈に費やし、特に預言書(「ダニエル書」や「ヨハネの黙示録」)を研究している。

ニュートンは神を宇宙の設計者と見なし、自然法則は神が創造した秩序の一部であると考えていた。つまり、科学的探求は神の偉大さを理解する手段でもあった。彼は旧約聖書では「ダニエル書」、新約聖書では「ヨハネの黙示録」を研究し、西暦「2060年」を新しい時代の出発の年と予言しているのだ。通称、ニュートンの「2060年終末予言説」だ。

以下、ニュートンはどのようにして西暦2060年を終末の年と考えたのかを説明したい。古い話なので人工知能(AI)の助けを受けながら、その概要を説明する。

ニュートンはダニエル書を解析し、特定の出来事から1260年後に「新しい時代」が始まると解釈した。そして「特定の出来事」として、西暦800年の神聖ローマ帝国の成立の年にその起点を置いている。その年から1260年を足して2060年とした。ただし、ニュートンは2060年が必ずしも「終末」(世界の滅亡)を意味するのではなく、人類の新しい時代の始まりやキリストの再臨を指す可能性があると考えていた。

それでは先ず、ニュートンが計算した数字「1260」はどのようにしてはじき出されたかだ。「1260」という数字は黙示文学では重要な意味を持つ象徴的な数字と考えられ、聖書の中では「預言的な期間」として登場する数値だ。

ダニエル書7章25節には「聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる」と述べられている。ダニエル書12章7節にも出てくる。「ひと時」=1年、「ふた時」=2年、「半時」=0.5年とすれば、1+2+0.5=3.5年。一年を360日とすると、3.5×360=1260日となる、といった計算だ。ちなみに、預言における「1日」は実際の「1年」と解釈する「日年法」を採用している。

「ヨハネの黙示録」11章3節、12章6節では、「1260日」という具体的な数字が用いられている。例えば、12章6節では「女性が荒野に逃れた期間」を1260日としている。また、11章3節では「二人の証人」が預言をする期間として1260日が記されている。これらの箇所から、「1260」という数字は聖書の黙示文学において「象徴的な迫害や試練の期間」を表すものとして理解されてきた。

次に、ニュートンがいう「特定の歴史的出来事」だ。ニュートンは「神聖ローマ帝国の成立」(西暦800年)やローマ教皇の世俗的権力の台頭を、その起点と見なしている。もし西暦800年を起点とするならば、800+1260=2060年という数字が出てくる。先述したように、ニュートンは「2060年」を「世界の終末」ではなく、「新しい時代」が始まり、宗教的腐敗が終焉し、キリスト教が純粋な形に戻ると考えていた。

ちなみに、ニュートンの時代、多くの神学者や預言研究者は「1260年」という期間をローマ・カトリック教会や教皇制度の象徴と結び付けていた。この期間を「教会の堕落」または「異端的支配」の時代とみなし、その終焉を人類の宗教的刷新の時期と予測していた。ニュートンもこの考えに影響を受けつつ、独自の解釈を加えて2060年をはじき出したわけだ。

ChatGPTは「ニュートンの予言」について、「科学と信仰を融合させようとしたニュートンの姿勢は、彼の時代を超えて、科学的な探究と精神的な問いが共存できる可能性を示している」と評価している。

ニュートンの「2060年終末説」までにはあと35年あるから、ババ・ヴァンガの予言のような緊迫感はないが、聖書の黙示文学から神の計画を推し量ろうとしたニュートンの真剣度には驚きを覚える。イエスは2000年前、「イチジクの木からこの譬(たとえ)を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる」(「マタイによる福音書」第24章)と語り、時の訪れを知れと諭した。

ニュートンはリンゴが樹から落ちるのを観て「万有引力の法則」を発見したが、21世紀に生きる私たちは何を観て「神の時」を知ることができるだろうか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年12月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。