DEI施策とナチス政策の共通点を指摘する挑戦的議論を行った英学術論文を紹介したい。
※(編集部注) DEI(ディー・イー・アイ)は、「Diversity(多様性)」「Equity(エ公平性)」「Inclusion(包括性)」の頭文字からなる略称。
2023年にケンブリッジ大学出版局「European Review」誌に掲載されたネゲヴ・ベン=グリオン大学のウーテ・ダイヒマン(Ute Deichmann)教授による「Science, Race, and Scientific Truth, Past and Present」と題する論文によれば、「数的に過剰に存在するユダヤ人科学者を排除し、非ユダヤ人学生に公正さを回復する」という根拠で行われたナチスの政策に、現代で行われているDEI施策との類似点(similarities)があるという。
Science, Race, and Scientific Truth, Past and Present
ダイヒマン教授は、DEIに基づく施策が学問分野で伝統的に尊重されてきた「普遍性(universalism)」「客観性(objectivity)」「真実志向(truth orientation)」という基本的規範を脅かし、さらには過去の全体主義国家による人種・個人属性(personal attributes)への差別政策を想起させる危険性を有していると指摘する。
教授は、その一例としてナチス・ドイツ時代の政策を挙げる。ナチスは「ユダヤ人学者が学界で数的に過度に存在し、非ユダヤ人学生に不公平が生じている」という名目のもと、ユダヤ人研究者の追放と人種原理による選別を行い、ドイツの学問は大きな損失を被るとともに学術的権威が失墜した。
こうした「人種」や「出自」という属性そのものが学術的評価やポジション決定に用いられた歴史的事例は、米国を中心とした現代のDEI施策と類似性を有していると論文は示唆している。
もちろん教授は、今日のDEI施策がナチスと完全に同一であるとは述べていない。類似性を指摘するに留まる。現在のDEI推進において、科学者や学生が強制収容所に送られたり、身体的な危害を加えられたりすることはない。
しかし、教授は構造的なメカニズム、すなわち「個人属性(personal attributes)」を評価基準とし、意に沿わない発言や立場を有する研究者を糾弾し、学術誌や大学側がその圧力に屈する現象が、歴史上の全体主義的な動きと共通点を有している点に注目する。
実際、近年の米国の大学では「白人男性が過度に存在する」ことを問題視し、人種や性別に基づく採用・昇進、研究資金配分が行われてきた注1)。これが真の多様性確保につながるのか、それとも特定属性の者を不当に排除し、結果として学術水準を低下させるのかは、この論文が提示する極めて重大な論点といえる。
論文はまた、旧ソ連でのルイセンコ主義(Lysenkoism)を振り返り、政治や社会運動が研究の方向性や評価基準に深く入り込むと、科学的真理がいかに歪められ、研究者コミュニティが壊滅的打撃を受けるかを強調している。
化学者トマーシュ・フドルリツキー(Tomáš Hudlický)氏の事例はこの主張を裏付ける。彼はDEI原則への疑義を示した論文を発表した(査読を通過している)ものの猛反発に遭い、学術誌が論文を撤回、大学当局までが糾弾に加わるという衝撃的な出来事が起こった。
こうした一連の動きは、研究者が自由な探求や批判的思考を萎縮させる温床になりかねないと教授は主張する。なお、フドルリツキー氏の論文で非難された表記は以下のようなものである。
New ideologies have appeared and influenced hiring practices, promotion, funding, and recognition of certain groups. Each candidate should have an equal opportunity to secure a position, regardless of personal identification/categorization. The rise and emphasis on hiring practices that suggest or even mandate equality in terms of absolute numbers of people in specific subgroups is counter-productive if it results in discrimination against the most meritorious candidates.
(仮訳)新しいイデオロギーが出現し、採用、昇進、資金提供、および特定のグループの評価に影響を与えている。すべての候補者は、個人のアイデンティティや分類にかかわらず、平等にポジションを得る機会を持つべきである。特定のサブグループにおける絶対的な人数の平等を提案または義務付ける採用慣行の増加と強調は、最も能力のある候補者に対する差別を招く場合には、逆効果となる。
※ 当記事における論文の日本語訳は仮訳である。正確なニュアンスは原文を確認するよう推奨したい。また翻訳にあたって一部ChatGPTを用いた。その旨、開示する。
フドルリツキー氏の論文を引用した教授の論文が議論で示したのは、個人の努力や能力ではなく、属性による線引きが評価基準となり、批判的議論を許容しないことが、学問や職場における公平性の本質を危うくするという点である。DEI施策の正当性や目標自体を否定するのではなく、その実施方法が本当に目指すべき多様性や包括性を実現しているか、慎重に検討する必要がある。
ここからは著者の感想となるが、教授の指摘は、決して欧米だけの問題ではなく、日本にも示唆を与えるものではないだろうか。
日本の大学・企業でも、女性限定枠など、属性としての性別を重視した採用・昇進が議論されている。論文の指摘を日本にあてはめるのであれば、こうした属性を前面に出した施策は、本来の学問の筋道である能力主義や公平な競争を歪め、かえって当初目指したはずのDEIの実現から逸脱する恐れがある。
過去の過ちを振り返れば、属性による線引きがもたらす危険性は明白であり、研究・教育の自由と質を守るためには、この点を慎重に再考する必要があると言えるだろう。例えば、枠を利用するクオータではなく、よりインクルーシブな要素を総合評価の一要素として用いる方式や、啓発による実現など、穏当な選択肢があるのではないだろうか。
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注1)2024年以降、このような取り組みは米国においても違法化の傾向が強まっている。
ウーテ・ダイヒマン(Ute Deichmann)教授
イスラエル、ネゲヴ・ベン=グリオン大学教授。生命科学史が専門。ユダヤ人科学者の強制移住に関する主要な研究を行ってきた。彼女の代表的著書に「Biologists under Hitler(ヒトラー下の生物学者)」がある。