新型コロナウイルス感染症に対する日本社会の対応は、良くも悪くも「安心社会」の本質を浮き彫りにした。感染者数も死者数も先進国の中で最低水準だったにもかかわらず、日本政府の対応は過剰で、慎重を通り越して神経質な域に達していた。緊急事態宣言の解除が遅れ、専門家会議が政策を実質的に主導し、政治家はその後ろで曖昧に笑うばかりだ。
これで国家が存在すると言えるのかと疑問を抱かざるを得ないが、『平和の遺伝子:日本を衰退させる「空気」の正体』(白水社)は最新の進化心理学や歴史学などの知見を取り入れ、その由来を辿っていく。それは山本七平の『「空気」の研究』や丸山眞男の「古層」論に連なり、それらの議論をさらに進めたものとなる。
日本社会が迷走する背景には、「平和の遺伝子」に由来する「心理的安心感至上主義」がある。ここでいう「平和の遺伝子」は厳密な生物学的なDNAではなく、日本人の思考の枠組みである。しかし、これはおぼろげな比喩ではなく「文化的遺伝子」と言えるものである。「文化的遺伝子」とは、人々が意識的に作り出し、社会に蓄積され、学習を通じて次世代に受け継がれていくもので、この概念は、最近の生物学の研究でも一部解明され始めている仕組みに基づくものだ。
この「平和の遺伝子」によって、われわれは科学的なリスク評価ではなく、目に見えない恐怖を徹底的に排除しようと執着してしまうのかもしれない。福島第一原発事故での「放射脳」、新型コロナでの「コロナ脳」といった現象は、すべて「恐怖を理性で相対化できない」集団心理の典型例だ。心理的な安心を求めるあまり、社会全体がリスクをゼロにしようと暴走する。しかし、それで得られる安心感は虚構に過ぎず、経済や社会の活力を削ぐ結果となる。
一方で、「平和の遺伝子」による「安心社会」は、歴史的に日本の安定を支えてきたとも言える。縄文時代から育まれた「平和の遺伝子」に由来する社会構造は、外敵が少ない島国で長期的な安定をもたらしてきた。しかし、その特性が現代のグローバル社会では足かせになっている点は明白だ。日本人は特定の集団内でしか信頼を築けず、未知の相手とはなかなか協力できない。これでは、国際競争の場で「信頼社会」を前提に動く他国に差がついていくばかりだ。
皮肉なのは、こうした特性が「リスクを回避するためのリスク」を生む点だ。日本社会では「全員一致」が重んじられるが、それが大きな意思決定を著しく遅らせる。結局、何かを決める頃には状況が変わり、結果として問題が先送りされる。その典型例が新型コロナウイルスの緊急事態宣言だ。解除をためらううちに他国では経済活動が再開され、日本は経済的にさらに後れを取った。まさに「安心を求めて崖から飛び降りる」ような滑稽さであった。
原子力発電所の停止や新型コロナウイルスへの対応は、日本社会の限界を浮き彫りにすると同時に、その特性が進化の産物であることも示した。「平和の遺伝子」は、かつての日本の歴史では有効だったが、今やグローバル化の波に対応するための障害となりつつある。この状況を乗り越えるには、「古い脳」を乗り越え、新しいリスクとの共存を模索する国家像が求められているが、まずは日本人を規定する「平和の遺伝子」を自己認識するところから始めなくてはならないのだろう。
われわれは正確な自画像を描き日本を再構築することが可能なのか。本書を紐解けばおのずとその答えが見えてくるはずだ。
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はじめに
序章 新型コロナで露呈した「国家の不在」
I 暗黙知という文化遺伝子
第一章 文化はラマルク的に進化する
第二章 「自己家畜化」が文化を生んだ
II 国家に抗する社会
第三章 縄文時代の最古層
第四章 天皇というデモクラシー
III 「国」と「家」の二重支配
第五章 公家から武家へ
IV 近代国家との遭遇
第七章 明治国家という奇蹟
第八章 平和の遺伝子への回帰
第九章 大収斂から再分岐へ
終章 定住社会の終わり