バンド・エイドをご記憶だろうか。救急用品の名前にかけてあるけど、「バンドが助ける」の意味でBand Aid。1984年の12月、エチオピア食糧危機の救済のために、当時の英国ポップス界の人気者が集まり、”Do They Know It’s Christmas ?” というチャリティ・シングルを出した。
アフリカを応援する歌なのに、(彼らをかつて植民地化した)キリスト教の祭礼でいいの? と思うかもしれないけど、エチオピアや、エジプト・スーダンなどアフリカ北東部には、コプト教徒と呼ばれる原始キリスト教を信じる人たちがいる。だからその点は、そんなにまちがっていない。
反響は大きかった。チャリティ・ソングとしてより有名な ”We Are the World” は、翌年に作られたいわば「アメリカ版」。映画の『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年)でも注目された、Queen復活の舞台になったLive Aidは、やはり1985年のライブ版。主導したミュージシャンのボブ・ゲルドフは、後にノーベル平和賞候補にもなっている。
それで、今年は1984年のオリジナルから40周年ということで、やはりチャリティのリミックス盤を出したのだけど、これが炎上してしまった。近年よくある例のごとく、ポリコレな理由である。
曲の歌詞がアフリカを不当に暗く捉え、何も育たない恐怖と不安の世界を描いていると批判する声もある。
ゲルドフは集まった資金で「何十万人もの人々が生きている」とし、飢餓や水不足は現実の問題で植民地的な表現ではないと反論している。
(中 略)
フューズODGは「表向きは危機を救うための募金に見えるが、長期的に見れば、アフリカ人としての集団的アイデンティティーを破壊しているだけで、これを変える必要がある」と述べた。
ロイター(2024.11.20)
強調は引用者
フューズODGとは、ガーナ系英国人の現役の歌手さんらしい。それで、ぼくはこの人の主張には今回、けっこう理があると思っている。
クリスマスを機に(原初的なキリスト教徒も暮らしている)アフリカに思いを致すのはいいんだけど、やっぱり歌詞のうちこうした部分のトーンは、いま振り返っても問題はあるよねぇ。
Where nothing ever grows, no rain or rivers flow,
Do they know it’s Christmas time at all ?(なにも育たず、雨も河も湧かない土地で、
彼らはクリスマスが来たと知っているだろうか?)
この曲は従来も、歌い手を「いまのスター」に差し替えてカバーされて来た過去がある。だったらリミックスじゃなくて、そうした箇所は新しく作詞して歌い直してもよかったんじゃないのかな。オリジナルも併録の上で、経緯についてジャケットに記載したりしておけば、色んな人が問題を考える契機になったと思う。
そう。この「考える」ということが、大切だ。
今回、批判があったにもかかわらず、40周年のリミックスCDがキャンセルされなかったのは、「次善の策」としては100%正しい。問題がある昔の歌詞のままの、歌が出る。一方で、問題だよ、と指摘する意見も報じられる。
複数の声が併存した状態をキープするかぎりで、ぼくたちは「これはどうなんだ? なにが正しいのか?」と考えることができる。片方だけを大音量にして、もう片方を世の中から消してしまったら、ぼくたちは考えられない。
前にも書いたとおり、それは歴史というもの――いまとは「常識」自体がずれていた過去の記録を、残し、覚えておくことの意義でもある。
ぼくがアフリカの出身でないことが大きいのだろうけど、個人的にやっぱり、色んな限界があるにしたってバンド・エイドの曲は好きだ。だから毎年、この季節にはけっこう聴く。
歴史が残した資料だと思って接することで、今日の基準ではすべてを肯定しにくいものの中にも、当時の人が込めた精いっぱいの善意を聴きとることができる。そうした体験ができる人だけが、歴史を生きている。
逆に、歴史を生きているせいで、昔のようには素直に聴けなくなってしまう曲もある。いい歌なんだけど、発表された当時の世界の空気がもう喪われてしまったりしていると、切なくてつらくなってしまうのだ。
マイ・ベストワン・「冷戦終焉ソング」である、英国のバンドDeacon Blueの”All Over the World” (1993年)が、たとえばそれだ。
All over this land, people are waiting,
to enter the world, like a new-born baby…
こう歌われたとき想定されていた土地は、いまや世界で最も「彼らはクリスマスだと知っているのだろうか?」と思われるようになってしまった。ぼくも戦争の前は知らなかったけど、そもそも「いつがクリスマスなのか?」をめぐってまで殴り、殺しあっているから、もう収拾がつかない。
バンド・エイドの歌詞がアフリカの尊厳にとって「暗すぎた」としたら、かつて、ぼくたちがみな「明るすぎた」歌を人類のために口ずさんだ時代があった。それを覚えていることが、ふたたび価値をもつ日が来るかどうかに、歴史の意義というものもまた懸かっている。
追記(12月24日 10:30)
何度か拙稿に言及して下さっている「kous37」さんが、自分とは逆にリアルタイムで曲に接して、欧米中心の「上から目線チャリティ」に批判的だった立場から応答を寄せてくれた。ぜひ、こちらもどうぞ。
(ヘッダー写真は、オリジナルのPVより)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年12月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください