祭司ザカリヤは洗礼ヨハネとイエスの父親

イエスの誕生日として世界のキリスト信者たちがお祝いするクリスマスが到来した。実際、イエスがその日に誕生したのかは別問題として、救い主イエスの生誕には多くの不明なことがある。母親マリアは聖霊によって子イエスを身籠ったと聖書では記述されているが、当然のことだが、神の子とはいえ生命の誕生には父親と母親がいなければならない。その父親が祭司長ザカリヤだった。ザカリヤには妻エリサベツの間に息子洗礼ヨハネがいた。すなわち、ザカリヤはイエスと洗礼ヨハネの父親だったのだ。不思議なことに、メシアとその先駆者洗礼ヨハネの父親ザカリヤについて、新約聖書はほとんど何も言及していない。多分、聖書の書き手はザカリヤについては知っていたが、言及できない事情があったと推測せざるを得ない。

バチカンのサン・ピエトロ広場のクリスマスツリー(バチカンニュースから)

ザカリヤは新約聖書では洗礼者(バプテスマのヨハネ)の父として知られている。彼はユダヤ教の祭司であり、アビヤの組に属していた(ルカ1:5)。洗礼ヨハネの誕生に関しては、ひとつのエピソードが新約聖書「ルカによる福音書」の中に記述されている。ザカリヤとエリサベツの間にはまだ子供がなかった。既に高齢のエリサベツからもはや子供は期待できないと考えていた。

ザカリヤは妻エリサベツとともに、義なる人物だった。エリサベツは「アロンの家系」(ルカ1:5)に属し、敬虔で正しい女性だった。ザカリヤが神殿で香を焚いている最中、天使ガブリエルが現れ、エリサベツが息子を産むと告げた(ルカ1:11-13)。その子は「ヨハネ」と名付けられ、神の特別な計画の中で大きな役割を果たすというのだ(ルカ1:14-17)。ザカリヤはこれを信じられず、疑念を抱いたため、天使によって口がきけなくなる。その後、ヨハネが誕生し、命名の際に「ヨハネ」と書いたことで口が再び開かれ、神を賛美したというのだ(ルカ1:57-64)。

聖書の書き手は、洗礼ヨハネの誕生時の奇跡を記述することで、洗礼ヨハネが来るべき救い主の前にたってメシアの証人としての使命があったことを予示したわけだ。エリサベツが洗礼ヨハネを身籠っていた時、ザカリヤ家にマリアが訪問してくる。「ルカによる福音書」によれば、エリサベツは聖母マリアの「親戚」と記されている(ルカ1:36)。そのため、ザカリヤ家はマリアと血縁的なつながりがあると考えられている。ただし、具体的にどの程度の親戚関係かは明示されていない。伝統的な解釈では、エリサベツとマリアは「遠縁の親戚」と見なされる。ユダヤの家系では、親族の範囲は広く捉えられることがあるため、詳細な血縁関係は分からない。

エリサベツの妊娠中、ザカリヤとマリアの間でイエスを宿したのだ。聖書の書き手はその後、「マリアは3カ月間、エリサベツのもとにいた後、戻っていった」と書いているだけだ。ザカリヤについてもその後、一切の言及がない。そして聖書の書き手は「マリアは聖霊によって子を宿した」と述べ、救い主イエスが処女マリアによって誕生したというナラティブを生み出していったわけだ。

英国の著作家マーク・ギブス氏は著書「聖家族の秘密」(Secrets of the Holy Family)の中で、「イエスの父親は誰か」を解明している。ギブス氏は「キリスト教会でいわれてきた聖母マリアの処女懐胎は後日、イエスの神性を強調するために作成されたもので、実際は祭司長ザカリヤとマリアとの間に生まれた子供であった」と主張。新約聖書「ルカによる福音書」を中心にイエスがどこで、どのようにして生まれたかを冷静な筆運びで記述している。

イエスの誕生の経緯は当時、多くのユダヤ人たちが知っていたという。そのため、イエスは苦労し、一部の経典によれば、父親ザカリヤは殺される羽目に追い込まれたという。著者は「ザカリヤ家庭の失敗がイエスに十字架の道を強いる結果となった」という。換言すれば、イエスは十字架で処刑されるためにきたのではなく、この地上に神の世界を構築するためにきたこと、イエスの十字架は神の予定ではなかったこと、等が明らかになってくる(「イエスの父親はザカリヤだった」2011年2月13日参考)。

現代人ならば、イエスが聖霊によって誕生したという話より、ザカリヤとの間の子供だったというナラティブのほうがより理解できるだろうが、イエスが誕生した時代、イエスがザカリヤとマリアの間の子供だったということが分かれば、マリアばかりか、祭司長ザカリヤもユダヤ社会から迫害を受けることは必至だ。聖書の書き手はそれゆえに、「マリアは聖霊によってイエスを宿した」というナラティブを考え出したわけだ。

誤解を避けるために説明するが、イエスがマリアとザカリヤとの間の子供だったということは、イエスのメシアとしての使命や価値を引き下げるものではない。「マタイによる福音書」にイエスの家系図が記述されているが、その中に妾の女性の名前が登場しているのだ。聖書学者たちはその事実をどのように受け止めているのだろうか。

イエスの誕生を祝う日にこのような話は好ましくはないが、イエスの33歳の生涯には多くの謎があるのだ。なぜ洗礼ヨハネは最初はイエスを神の子として証をしながら、最後には「『きたるべきかた』はあなたなのですか、それとも・・」(「マタイ11:3」と問わざるを得なくなったのか。イエスと洗礼ヨハネの父親ザカリヤは「その後」、どのような生き方をしたのだろうか。イエスを人類の救済者といいながら、私たちはイエスのことをほとんど何も知らないのではないか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年12月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。