2025年という暗い時代に:経済人中心の地方創生という一条の光

新年が始まる前に縁起でもないが、もう随分前から、2025年は日本にとってどん底とも言うべき年になると感じ続けている。特段の強い根拠があっての話ではないが、多くの識者が指摘しているように、私もまた、日本の近現代を「40年―80年周期」で見る歴史観に勝手に共感を覚えている。

すなわち、高杉晋作が功山寺で挙兵をして歴史を一変させてから(1865年:慶応元年)、日露戦争に勝利する1905年までの40年を上り調子の40年とすると、そこから1945年の敗戦までの40年は下り調子の40年ということになる。80年で山を上って下った、ということになる。

さらにそこから、日本が世界の経済大国にのしあがってバブル経済を謳歌する1985年までの40年は上り調子で、そこから40年、つまり来年2025年までは、下り調子の40年になるわけで、その意味で2025年は、どん底とも言うべき年なのではないかと、随分前から感じていた次第である。

実際、2024年の我が国はどん底に向けての歩みが進んだような年でもあった。政局は大きく混乱し、与党が衆院で過半数割れという事態になった。いつ政権が飛んでも不思議はない中で、薄氷を踏むような政権運営が続いている。

我が国の経済力の低下は、徐々に、見方によっては激しく進行し、つい数日前のニュースによれば、一人当たりGDPではついに、比較可能な1980年以降で初めて韓国にも抜かれた。円安に歯止めがかからず、セブン&アイホールディングス(→カナダ企業)や、日産(→台湾企業)など、我が国の名だたる企業が、外国企業の買収対象として狙われる事態となっている。人口減少に歯止めがかからず、2024年の出生数は60万人台に落ち込んでるのではないか、という読みすらある。

世界を見渡せば、民主主義陣営は混乱の極みにあり、フランス、ドイツ、韓国などで与党政権の運営が立ち行かなくなりつつあり、アメリカでは社会の大きな分断の末、トランプ政権が2025年から再度現出することとなった。同政権は、アメリカの我欲をむき出しにする政権とも言え、環境問題、国際和平、外国人の人権、貿易問題その他、世界の安寧などどこ吹く風で、米国の国益を全面に出してくることは間違いない。

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こう見てくると、2025年に明るい未来を描くのはなかなか困難なのは、日本の近現代を「40年―80年周期」で見る私のような者だけの話ではないであろう。誰がどう見ても2025年の日本を取り巻く状況は厳しいものがある。ただし、上記の周期説に従えば、2026年からは、逆に上り調子に転じるということになるわけで、即ち、2025年に底を打つことになるわけだが、実は更に心配なのは、そうならない気配が濃厚に漂っているということである。

かつて世界を席巻した経済大国がユーラシアの東端にあったという歴史的事実だけが残り、日本は、経済的にも人口的にも、反転攻勢に出ることなく、ずるずると沈んで行ってしまいそうな予感すらある。

リスボンやクスコといった古都を訪れると意識するかつての栄華。その町の人たちは、そうした民族の記憶と共に誇りを持って暮らしてはいるが、現在が必ずしも豊かなわけではない。ポルトガル帝国や古くはインカ帝国に想いを馳せての郷愁のような感情、決して戻ることのないその栄耀栄華への想いが、時空を超えてそのうち、わが国日本でも味わえることになるのかもしれない。

このように想像をたくましくして2025年の日本の状況を勝手に眺めてみると、なんだか物悲しくなってしまうが、来年の日本が少しでも明るく前向きになるよう、期待も込めて政権にエールを送るとすると、唯一無二の突破口は、地方創生である。

その理由は大別して2つある。

一つは、明治維新の時も、戦後の高度成長も、日本の躍進を支えたのは各地であり、2025年もそうだが、日本の突破口・フロンティアは常に各地にあると考えるからである。明治維新は辺境にあった薩長両藩からはじまり、戦後日本を支えた製造業の多くは、豊田市のトヨタ自動車にしても、浜松市発祥のホンダにしても、常滑出身の盛田昭夫氏のソニーにしても、各地のリーダー(始動者)たちが世界企業に育て上げた。

二つ目は、少数与党で苦労している石破政権ではあるが、石破さん自身、約10年前の初代の地方創生大臣であって、鳥取を選挙区とするご自身の地域への思い入れも尋常ならざるものがあるからである。たとえ政権が倒れても、地方創生策だけは、どんどんと進めて行くという強い思いと実行力があれば、浮かぶ瀬もあれ、というものであろう。

私もこの1か月で、古巣の経産省で地方創生を担う「経済産業政策局」の藤木局長以下の皆さまに呼ばれてレクチャーさせて頂く機会があったり、内閣官房の新事務局(新しい地方経済・生活環境創生本部事務局)の海老原局長以下の皆さまにも呼んで頂いてレクチャーをさせて頂く機会もあったが、常に強調しているのは、「民間企業主体」の地方創生の重要性ということである。

残念ながら、これまでの地方創生策は、国の予算などを元に、それを、自治体を中心とした各地に配分して行われるのが常であった。改めて書くまでもないが、①国も充分な財源を持っているわけではない、②自治体も疲弊しており、人的にも組織能力的にも各地の厳しい状況を逆転させるだけの体制がない、ということは自明であり、ここに、更に従来型の予算配分中心主義の地方創生策を講じたところであまり意味はない。

今般の地方創生の急所は、「各地で産業を起こして、各地が一種“経済的自立”を果たすような形に持って行く」ということに他ならない。石破総理が尊敬してやまないという田中角栄元総理の施策名を借りるとすると、「令和の日本列島改造」のようなことを、各地の食い扶持づくりと共に行っていくことが肝要となる。そこにおける主役は、各地の産業人・経済人である。

昔からのある言葉に、「企業城下町」というものがある。例えば、10万人~30万人といった単位のところに、それなりの雇用を創出する企業があれば、その地域は、うまく「外貨」を稼ぐことによって、十分に将来にわたってサステナブルな街づくりが出来るであろう。

この企業城下町を各地により大きな規模で現出させていくことこそが、次代に向けて必要な地域活性策である。主人公は、自治体から、民間企業や地域の担い手に移る必要がある。もしくは、官民連携形態に移行していくことが肝要である。

豊田市のトヨタ自動車、鳴門市の大塚製薬、日立市の日立製作所などは、企業城下町の代表的な事例ということになるが、そこまで巨大な企業でなくとも、例えば筆者が割と関わることの多かった新潟県などで見ても、三条市には、スノーピークやコロナ(暖房器具)といった企業の本社があり、長岡は元々ヨネックスの発祥の地で今も主力工場があり、柏崎にはブルボンの本社があり、と、実は各地には名だたる企業が多々ある。そして、誰もが知る“稼ぐ企業”がある町は安定感がある。

日本の企業は、地域と共に根差し、地域と共に成長してきている素晴らしい長寿企業が多いので、良し悪しはあるが、欧米のような短視眼的な経営ではなく、立派な経済人が地域全体の発展を意識して、地域の商工会議所の重鎮となるなどしている。即ち、企業や地域全体を考えたサステナブルな経営をしていることが多い。

私なりに勝手に、地域経営を意識しての深度で分類するならば、①事業や企業を存続させることで、地域の雇用を維持し、地域の発展のためにお祭りに協力するなどのレベル、②本業の事業を超えて、地域のスポーツチームの維持発展に務めたり、地域の公共事業を一部担ったりするレベル(市民が使える文化施設の建設や運営など)、③地域の経済人たちが、①や②のレベルを超えて、更にお金を出し合うなどして、町で起業がおこったり商店街が活性化したりするようなハード・ソフトの様々な仕掛けをしていくレベル、である。

②の典型例は、ホテルや美術館などを次々に作ったり運営したりしている福山の常石造船や今治の今治造船、鳴門市の大塚製薬、最近だと長崎に巨大なスタジアムを建設したジャパネットのようなケースであろう。

③は、私や弊社もお手伝いしている前橋の太陽の会のような動きで、前橋出身で、JINSというメガネメーカーの創業経営者である田中仁氏は、本社移転や旅館の買い取り→改装してのデスティネーション化(アートホテル化)という意味では②は既にかなりのレベルで進めており、加えて、地域の経済人たちに一人50万円ずつお金を出してもらってストリートデザインをより充実化させる動きを作り出そうとするなど、凄いレベルでの地域活性に取り組む経済人である。

今年、1万円札の肖像に登場した渋沢栄一翁は、日本資本主義の父とも言われる方で、私利私欲に満ちての財閥化を希求せず、500社以上の設立に関わりながら、日本的な立派な経営人生を貫いた逸材として、世界的にも注目されてきた人物であるが(例えば、ドラッカーなども、その著書で渋沢の存在を激賞している)、まさに、上記のような経済人・産業人こそが、国や社会のための大いに貢献することを説いたことで有名である。

渋沢は、幕臣時代にフランスに滞在しているが、その際、産業人や経済人こそが従業員や地域の構成員のために大いに貢献するという「社会主義の実現」を目指したサン=シモン主義に傾倒し、後年、日本においてそれを実践したと言われている。

2025年、今こそわが国も、せっかく一万円札に登場した渋沢栄一翁の想いを大切にして、経済人・産業人を中心とした各地の活性化ということに舵を切るべきではないか。単に自治体等に交付金を配るのではなく、そうした主体との連携連合を政府中心に実現させ、上記の③のレベルなどに至る各地の地域活性を実現していくことが肝心である。

繰り返しになるが、今や、我が国の財政には余裕がなく、経済人を頼りに、官民連携を各地で大いに進めるという地方創生が鍵になる。そうした大胆な地方活性化策こそ、唯一、一般論としては厳しい日本の2025年に一抹の希望と光を与えてくれるものであると信じて疑わない。

石破政権の奮起に期待しつつ、筆をおくことにする。皆様の2025年が少しでも明るいもものになりますように。