12月上旬、宮崎県北部の高千穂町を旅しました。高千穂は古事記や日本書紀に登場する3つの神話のうち2つ、高天原神話と日向神話の舞台となっており、日本神話にゆかりの深い場所となっています。
今回訪ねたのはまさにその神話の中でも特に有名な「天岩戸伝説」の舞台となった「天岩戸」と呼ばれる場所。
「あまのいわと」と読み、内容は知らずとも日本人なら一度は耳にしたことがある地名だと思います。
太陽神「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」は、その弟、「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」の暴悪ぶりに怒り、岩戸の奥に隠れてしまいます。そのため国内は闇に包まれてしまい災難が起きるようになってしまいました。神々は何とか天照大神を岩戸から引き出すことができないかと知恵を出し合い、天鈿女命(アメノウズメノミコト)を先頭に舞を踊り楽しそうに場を盛り上げたところ、天照大神が好奇心を持って岩戸を少し開けました。神々はそこを逃さず天照大神を表に引き出し、この世に再び光が戻ることとなりました。
天岩戸伝説の概要
西本宮
天岩戸神社はその「天岩戸」と呼ばれる場所自体をご神体として崇める神社です。岩戸川を挟んで西本宮と東本宮があり、こちらは西本宮の拝殿。天岩戸はこの拝殿の奥、岩戸川の対岸に位置します。ほぼ30分に1度開催されるツアーに参加すると遥拝所に案内され、御本尊である天岩戸を拝むことができます。
拝殿の脇にあるのが神楽殿。ここで踊られる天岩戸神楽は天岩戸神話の一件で天鈿女命が舞った踊りが起源であると伝えられています。現在は33の神楽で構成され、全編で16時間に及ぶ長い神楽となっています。このうち代表的なもの4つは「高千穂神楽」として高千穂神社の境内で20時から毎夜楽しむことができるそうです。
天安河原
西本宮の奥に出てきました。この先徒歩10分くらいのところに神々が集まった洞窟を祀る「天安河原(あまのやすかわら)」と呼ばれる場所があります。バス待ち用のベンチに案内があるんですが壊れてしまっています。壊れ方が「すずめの戸締り」の椅子に似ているなと思いました。
「すずめ」の本名は岩戸鈴芽。「鈴芽」は「アマノウズメノミコト」に由来します。彼女の住む町は港町でしたが高千穂と同じく宮崎県。ここに脚が1つない壊れた椅子があるなんて、何だか不思議な縁を感じます。
天安河原は岩戸川の脇に設けられた側道を歩いた先にあります。渓流の水は透明できりっとした冷たさを感じます。
しばらく歩いていくと岩がくりぬかれたようにぽっかりと空いた大きな穴にたどり着きました。これが天安河原。天照大神が岩戸にお隠れになった際に神々が集まって相談を行ったとされる洞窟です。そんな謂れのある場所ですのでご祭神はここに集まった八百万の神々です。
天安河原の周辺はかなり石が多くなっています。ここに祈願に来た参拝者たちが石を積みだし、賽の河原のような神秘的な光景を生み出しています。
東本宮
天安河原を参拝すると西本宮を出て川を渡り、今度は対岸の東本宮を参拝します。天安河原からだと15分くらい歩くので天岩戸神社を参拝するときは時間に余裕を持っておくことが必要です。こちらのご祭神は天照大神。天岩戸から引き出された天照大神が最初に住んだ場所を祀った神社とされています。
天照大神を岩戸から引き出したアマノウズメが鳥居の前にいます。じっとみていたら動き出したのでびっくりしました。からくり人形のようです。
東本宮は石段を登って上へ上へと向かいます。山上に登ると木立の中に静かに佇む拝殿が現れます。天安河原があり参拝客がひっきりなしに訪れる西本宮とは異なりこちらは人影もまばら。その分静まり返っていてより一層神秘性を増しているような気がしました。
拝殿の裏にご神水がありました。この地からこんこんと湧き出る湧水です。参拝の最後にしっかりと手を洗い、清々しい気持ちで東本宮を後にしました。
日本神話に所縁の深い天岩戸神社。その後天照大神の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は天上界の高天原(たかまがはら)から地上を統治するため高千穂の地に降臨します。そしてその子孫が初代天皇である神武天皇となりました。
今の皇族の起源となった場所、高千穂。日本の始まりの地となったこの場所をぜひ一度訪ね歩いて見てください。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2024年12月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。