夜のスーパーで考えた高齢者とデジタル社会

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夜9時頃、準都心にあるスーパー。高級品はないが、肉、野菜、調味料、酒と、コンビニに比べて圧倒的な品揃えだ。ほとんどの家庭料理はここで揃えられる。時間帯が中途半端なためか、一人暮らしと思われる高齢者の姿が目立つ。

しかし、レジの列の進みは遅い。客の多くが買い物かごに少ししか商品を入れていないのに、なぜだろう。よく見ると、多くの高齢者が財布の奥から1円玉を取り出し、現金で支払っているのだった。

私の番になり、財布を車に置いてきたことに気づいたので「スイカで払います」と伝えたが、通じない。新米の外国人スタッフ(中国系に見えた)は、スイカや携帯のスイカ、パスモ、カード、QR決済など、多様なキャッシュレス手段をまだ十分に把握していないようだった。

さらに、「レジ袋もお願いします」と最初に頼んだはずだが、それが伝わらなかったのか、袋なしでの会計となった。「レジ袋ください」と再度お願いすると、会計は最初からやり直しに。結局、携帯スイカで支払いを済ませたが、私自身もかなりの時間を費やしてしまった。

一方で、虎ノ門あたりのスーパーではセルフレジが主流。客はてきぱきとバーコードを読み取り、キャッシュレスで決済を済ませる。ユニクロのような店ではICタグのおかげで、どれだけ多くの商品を買ってもレジは1分もかからない。

だが、氷河期世代が高齢者となり、年金に頼れず生活保護を受けるようになると、クレジットカードを持つことすら難しくなるだろう。法的には可能だとしても、カードには審査があり、カード会社がそうした層に積極的に営業する理由は乏しい。引き落としが滞る人が続出すれば、コスト倒れになる可能性が高い。

私はマイナンバーカードやマイナ保険証を絶対的に支持しているが、夜のスーパーの光景を見ると「デジタル難民」の問題が将来深刻化するのではないかと思うようになった。

今や携帯電話がなければ生活が成り立たない時代だ。しかし、デジタル難民になりそうな人々に携帯電話を安易に配れば、それを売り払う人が続出するだろう。

携帯電話、QRコード、タッチ式クレジットカード、マイナンバーカード――世の中はますますデジタル化が進む。だが、仕組み全体の構造を理解できなければ、何が何だか分からなくなる。携帯電話がどこにいても通じる理由や、テレビがなぜ映るのかを説明できる人は少ない。それに、高齢者がこの流れについていくのは至難の業だ。

夜のスーパーで1円玉を1枚、2枚と数える高齢者たちを見ながら、(私も立派な高齢者だが)なぜ彼らが現役世代から金をむしり取ろうとし、それを当然と思うのか、多少なりとも共感する気持ちが芽生えた。


 

(編集部より)この記事は、馬場正博@realwavebabaのポストを、許可をいただいた上で転載いたしました。