「みなさんがいつ被害者になってもおかしくないし、加害者になるかもしれない。ですから、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんで共に話し合い、求めていただきたいと思うのです」。
昨年12月10日、ノルウェーの首都オスロで行われたノーベル平和賞の授賞式で、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の代表委員田中熙巳氏は受賞演説でこう述べた。1945年に広島と長崎に原爆を投下された日本にとって、被団協の平和賞受賞は格別に大きな意味を持つ。
冷戦下の核実験の犠牲者
核兵器が戦争で使われたのは日本だけだが、その後、核兵器を持つ複数の国が多くの核実験を繰り返し、グローバルな規模の「被爆者」を生み出すことになった。
昨年、英公共放送BBCとチャンネル4が英国の核実験によって健康上及び心理的打撃を受けた元英兵士らのドキュメント番組をそれぞれ放送した。
先発のチャンネル4は「英国の原爆スキャンダル」というタイトルで9月に放送された。1950年代から60年代にかけて英国の核実験実施のために動員された兵士たちは十分な防護対策も取られないままに爆風にさらされ、今でも健康被害に苦しむ。これを元兵士やその家族の証言で綴った。
番組によると元兵士らのがん発生率はほかの英国民の5倍で、子供たちが障がいがあって生まれる場合も少なくないという。「自分たちはモルモットにされたのだ」と元兵士が言う。
番組は政府から元兵士への謝罪がなく、健康への悪影響も認めていないと伝えた。まさに「スキャンダル(醜聞)」である。
チャンネル4の番組紹介画面(ウェブサイトより)
BBCの方は「英国の核爆弾のスキャンダル私たちの物語」と題され、11月7日に放送された。第2次大戦後、米ソは冷戦構造の中で核兵器競争にまい進する。これに負けじと参加していくのが英国である。オーストラリアや太平洋の島々が核実験の場所として選ばれた。
英国の最初の核実験は1952年10月3日、オーストラリア北西部モンテベロ諸島で「ハリケーン作戦」として実施。米ソに続く世界3番目の核兵器保有国になった。核実験は最後となる1991年までに45回行われた。動員された兵士らは計約2万2000人。
元兵士やその家族らを支援する慈善組織「英国核実験退役軍人協会(BNTVA)」によると、生存者は約2000人である。
BBCの番組は元兵士やその家族、地元民らに取材し、当時の状況を語らせた。爆破の衝撃や健康被害に苦しんでいるという証言はチャンネル4の番組内で元兵士らが話したことと合致する。軍用機に乗ったある兵士は、爆破で発生するきのこ雲を通りぬけて飛ぶように命令された。なんの警告も与えられず、放射能被害を防止する装備もないままだった。別の兵士は、爆心地から14キロしか離れていない場所に待機し、爆発時には防護服を身につけず、目を手で覆うだけだったという。まもなくして爆心地に入って作業をするように言われたが、この時も防護服はなかった。
番組によると、元兵士たちやその子孫の多くが様々な種類のがんを発症し、心臓病、白血病に苦しむ。子供が死産で生まれたり、障がいがあったりした。
隠ぺいの疑念?
番組は、元兵士らへの健康被害について政府が何十年にもわたって隠ぺい工作をしていたのではないかと問いかける。
調査報道ジャーナリストのスージー・ボニフェイス氏は核弾頭の設計、製造および支援に責任を負う「核兵器機関(AWE)」に対し、情報開示請求を出し、政府が数千人の兵士、市民などに行った健康診断についての極秘資料を入手した。これは現在では非公開になっている。文書の中には国防省の官僚が実際に行われた血液検査の実施を否定したことも記されていた。
2023年9月、核実験帰還兵のグループが国防省が保管する医療記録へのアクセスを求める訴訟を起こしている。
BBCは国防省が血液や尿検査の大量の医療文書を保有している可能性があるものの、退役軍人らが開示を求めたところ、「紛失しているか不完全」と言われた、と報じた。政府は退役軍人に対して「記録が隠されているということはない。国防省に請求できる」としている。
BBCのドキュメンタリーで証言者の一人となったのが、86歳のブライアン・アンサンク氏だ。
アンサンク氏は、英空軍の料理番として太平洋に浮かぶクリスマス島に向かった。同島はキリバス共和国ライン諸島に位置する世界最大の環礁で、1950年代後半から1960年代初頭、英国と米国が大気圏内核実験を行った場所である。
同氏は2発の水爆実験に立ちあった。合計すると広島に投下された原爆320個分の破壊力を持つ。
実験目撃から2-3か月経ったころ、同氏の口から血が噴き出してきた。数週間のうちに歯がすべて抜け落ちた。腸の不調に悩まされるようになり、妻は13回の後期流産に苦しんだ。生き残った2人の子供たちのうち、息子は心臓に2つの穴が開いて生まれ、娘は子宮が2つあった。アンサンク氏自身は皮膚がんに悩まされた。
下院によるリサーチ文書「核実験帰還兵」(2023年11月)によると、元兵士らへの健康上の懸念に関連して、政府は多くの研究によって「核実験帰還兵のがんの罹患率や死亡率は核実験計画に関与しなかった従軍兵と同様であり、一般集団よりも低いことが一貫して実証されている」としている。
実験場所の地元民たちは
実験場所となった地域に住む人の苦しみも忘れてはいけないだろう。
地元住民には事前に十分な警告がなかったばかりか、軍隊引き揚げ後は大量の廃棄物が残されてしまったのである。
オーストラリアの歴史家リザベス・タイナン教授は番組の中で「オーストラリアは物理的にも政治的にも有害な遺産を残された。この国の人々に多大な被害と悲しみをもたらした」という。実験場所の1つとなったマラリンガに残されたプルトニウムの量は、「地球上のすべての人を殺すのに十分な量だった」。
カンタベリー・クライスト・チャーチ大学のケビン・ルアン教授はこう話す。冷戦構造の中で、英国は核実験に力を入れた。「人間に被害が出ても仕方ないと考えたのではないか」。
米カリフォルニア大学のティム・ムソー教授は「核実験に携わった人々にとって、爆発から安全な距離など存在しなかった」と指摘する。当時から「私たちはその脅威を十分に知っていたのだ」。
核兵器の全廃を願う被団協の願いは実現するだろうか。
※「メディア展望」(1月号)の筆者記事に補足しました。
編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2025年2月5日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。