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昨年8月にウクライナ軍がロシア領クルスク州に攻め込んでから続いていたクルスクにおける攻防戦が、ウクライナ軍の敗走で、終結を迎えている。
作戦を開始したウクライナに、合理性のない作戦であった。
ロシア側にも被害を出したことは間違いないが、ウクライナ軍も精鋭部隊を投入したうえで、甚大な損亡を被った。ロシア側の発表では7万人のウクライナ兵が殺傷されたという。もちろんこの数字の信憑性は、わからない。しかしここ数日だけをとっても、撤退中のウクライナ軍が攻撃されている様子などが確認できる。兵力・兵器の双方で、甚大な被害を出したことは、間違いない。
人的物的資源で劣るウクライナは、一人でも多くロシア兵を殺せばいい、という立場には立てないはずだった。ロシアの侵攻を排除するという目的にそって、よりいっそう戦略的に効率的な作戦が求められているはずだった。そのウクライナ側が、大規模な損害を恐れない作戦をとった。この作戦の帰結の責任は、ウクライナ政府指導部が負うべきである。
もっともこれには「ウクライナが何を失敗しても、その責任はただプーチンにだけある」といったウクライナ応援団的な主張もありうるだろう。
ウクライナに同情的な日本の軍事評論家層は、こぞって空想的なクルスク作戦の意味を吹聴し続けた。あまりの状況に、私はたまらず名指しの批判記事を書いたほどだった。

その結果、「親露派」としての糾弾を受けることになった。しかし、言うまでもなく本質的な問題は、篠田が「親露派」であるかどうかではなく、クルスク侵攻に合理性があったのかどうかであった。
貴重なウクライナ軍兵士の人命が、外国の地であるロシア領で失われた。多くの兵士がロシア軍に投降して捕虜となった。
さらには米欧が提供したウクライナ軍がもともと保有していなかった最新鋭の兵器が、破壊されるのでなければ、捕獲された。巨額の援助でウクライナ領の防衛のための兵器が、ロシア領侵攻で失われただけではない。混乱した撤退で置き去りにされた米欧の兵器群が、ロシア側の手に入ってしまった。その損失の意味は、過小評価できない。
もともとクルスクは、1943年にドイツ軍がソ連に対して攻勢を仕掛けて失敗し、戦局を大きく不利にしてしまう契機を作ってしまった戦場だ。どうやらゼレンスキー大統領は、クルスクという名称のロシアの原子力潜水艦が、2000年に乗組員全員が死亡する事故を起こしたことを縁起担ぎとして、侵攻作戦を思いついたような形跡がある。しかしもちろんそれは単なる駄洒落のようなものだ。より重要なのは、第二次世界大戦中のクルスクの戦いの歴史で示されている地理的な重要性だ。
クルスクは、モスクワとキーウを結ぶ平野部の線上に位置する。当時しきりに米欧諸国供与の兵器を用いてロシア領を攻撃したいと支援国に懇願していたゼレンスキー大統領は、モスクワ攻略まで夢見ていたのかもしれない。だが実際には、クルスクからキーウへの距離のほうが、モスクワへの距離よりも、圧倒的に短い。ロシア領であるかどうかは、関係がない。キーウのほうが近いのだ。
それにもかかわらず、ここで大規模な戦線が開かれて、そのうえロシア有利で進んだら、ウクライナ側が圧倒的に不利である。本来であれば、ウクライナにとっては、境界線を決壊させて兵力を集中させるのではなく、強固な防衛線を築くことに、合理性があった。
1943年にドイツ軍は、自らの実力を過信して、ソ連軍にクルスクでの正面衝突の戦いを挑み、撃破され、敗走した。その流れは、ソ連赤軍によるベルリン陥落まで、もはや変わることがなかった。
今回は、アメリカの調停が入っている最中の時期であり、ロシア軍がキーウにまで攻め込むことはなさそうである。それにしてもクルスク攻防戦におけるロシアの圧勝は、調停に向けた戦況の確定で、決定的な意味を持つことになった。
ウクライナ軍は、クルスク侵攻から、東部戦線の戦況を著しく悪化させた。今やロシア軍は、ドネツク、ルハンスク、ザポリージャ、ヘルソンの行政区を、ほぼ占領下に置いている。もし残存地域を非武装中立地帯に設定できれば、あとは現状の固定と、ウクライナのNATO非加盟(中立化)の制度的取り決めがなされれば、戦場で前進し続けているロシアであっても、停戦に向けた交渉に合理性を見出せる可能性が出てくるだろう。
もともと2023年末までに、ロシア・ウクライナ戦争は、膠着状態と言える段階に到達していた。しかし「ウクライナは勝たなければならない」の観念にかられたゼレンスキー大統領は、ロシア領攻撃を通じた戦局の打開という夢にとらわれるようになった。
そこで自身と対立しがちとなったザルジニー総司令官を罷免し、戦局の膠着を打開するためのクルスク侵攻に踏み切った。結果として、確かに膠着状態の解消を果たしたが、それはウクライナに全く不利な形での解消であった。
政治家の行動は、心情的な事情ではなく、客観的な結果にてらして、評価されなければならない。もちろん評論家層の言説も、やはり心情的な事情ではなく、客観的な結果にてらして、評価されなければならない。
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