欧州で最も「無宗教国」と言われるチェコの宗教事情について紹介したい。チェコ国民の約60~70%が「無宗教」または「特定の宗教を信仰していない」と回答しており、正式な宗教団体に属している人は非常に少ない。例えば、カトリック教徒は約10~15%にとどまり、プロテスタントやその他のキリスト教宗派の信者もさらに少ない。そのことから、「チェコは世界的に最も世俗化した国」と言われている。
キリスト教徒になることを拒み続けたバルラフ・ハベル氏と自筆サイン(1988年7月5日、プラハでハベル氏宅で撮影)
当方が冷戦時代、チェコのローマ・カトリック教会の最高指導者トーマシェク枢機卿と会見した時、同枢機卿は「自分はハベル氏を信者にしたいのだが、難しくてね」と笑いながら語ったことがある。バーツラフ・ハベル氏はチェコの民主化の立役者であり、民主化後の初代大統領に選出された人物だ。トーマシェク枢機卿はハベル氏をキリスト者としたかったが、最後まで出来なかったというのだ。
ハベル氏が特別な無神論者だったわけではない。チェコ国民はローマ・カトリック教会に対して歴史的な不信感がある。チェコの宗教事情を語る上で、フス戦争(1419~1434年)の影響は大きい。チェコの宗教改革者ヤン・フスは、カトリック教会の腐敗を批判し、教会の改革を訴えたが、異端とされ、1415年に処刑された。フスの死後、チェコではカトリック教会とフス派(プロテスタントの一種)の対立が激化し、フス戦争が勃発。この戦争を通じて、チェコ人の間には「カトリック教会=圧政的な存在」という認識が広まり、宗教に対する不信感が根付くことになった。
それだけではない。チェコは17世紀、ハプスブルク帝国(現在のオーストリア・ドイツ系)の支配下に入り、カトリックが国教として強制された。1620年の「白山の戦い」でカトリック勢力が勝利し、プロテスタント系のフス派は弾圧された。カトリック化政策が進められ、多くのチェコ人が無理やりカトリックに改宗させられた。「強制的な宗教政策」は逆に国民の反発を招き、チェコ人の宗教離れを加速させた。
そして、20世紀の共産主義政権による弾圧(1948~1989年)だ。チェコスロバキアは1948年、ソ連の影響下で共産主義政権となった。共産党政府は宗教を「反動的な思想」とみなし、教会を国家の管理下に置き、宗教活動を厳しく制限した。カトリック教会の財産は没収され、司祭たちは投獄された。宗教教育は学校から排除され、無神論が推奨された。
以上、①フス戦争、②ハプスブルク帝国下のカトリック化政策、③共産化と宗教弾圧を経て、冷戦後、チェコ国民は「宗教を信じる=時代遅れ・保守的」という価値観が広まり、個人主義と共に、世俗化が進んだ。
ただ、チェコ国民は「無宗教者」が多いが、「無神論者」とはいえない。多くは公式な宗教団体には属していないが、「スピリチュアルな存在を信じる」人も多く、精神的な思想には興味を持つ人が少なくない。チェコでは、宗教は個人のプライベートな問題として扱われている。その一方、クリスマスやイースターといった伝統的な宗教行事は、宗教的な意味よりも文化的なイベントとして楽しむ。多くの人が教会には行かず、家族と食事をしたり、プレゼントを交換したりする、といった具合いだ。
日本もチェコと同じように「無宗教の国」と言われることが多いが、両国の間には宗教観で違いがある。日本の場合、神道・仏教が根付くが、明治以降の近代化と戦後の世俗化で信仰が形式化。伝統的に仏教・神道を信仰しているとされるが、日常では意識しない人が多い。「無宗教」と言いつつも、神社参拝や墓参りなど宗教的行為を行う。初詣、祭り、葬式などは宗教的要素を含みながらも伝統行事として行う。先祖崇拝、八百万の神など「ゆるやかな信仰」が根付いている。
日本の「無宗教」は「宗教を持たない」というより、「宗教を特に意識していない」という意味合いが強い。例えば、「仏教徒」と言っても、お寺に頻繁に通う人は少なく、お葬式のときくらいしか仏教を意識しないというケースがほとんどだ。神社に初詣に行き、お寺で葬式をし、クリスマスを祝うといったように、宗教的行事を日常の習慣として受け入れる。すなわち、日本では宗教は「信仰するもの」ではなく「文化や伝統の一部」として存在しているわけだ。
以上、チェコと日本はどちらも「無宗教の国」と言われることが多いが、その成り立ちや宗教観には大きな違いがあるわけだ。
(上記の内容は、ChatGPTとのやり取りを通じてまとめた)。
Xantana/iStock
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編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年4月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。