黒坂岳央です。
「人と関わらずに生きていきたい」というのが、最近よく見る生き方だ。
この考え自体は特段、珍しくはない。自分自身も若い時は「面倒くさいから誰とも関わらずに生きていきたい」と考えていたし、結婚も出産を一瞬たりとも考えたことがなかった。今どきは「積極的に人と関わって生きたい」と考える方が少数派だろう。
現代社会は娯楽に溢れ、テクノロジーの進展で自宅で一人で仕事をして生きていくこともできる。人の最小単位が「カップル」という国も世界にはそれなりにある中で、日本は「おひとりさま」に優しく、極めて寛容な国家なのだ。
しかし、これらの前提を踏まえても、人間関係を避け続ける生き方は勧められない。その根拠を述べていく。
Daniel de Andres Jimenez/iStock
人間関係は独学も速習もできない
学問やビジネスは独学も速習も可能だ。優秀な人であれば、学校や会社の力を借りず、自宅で一人でドンドン様々なスキルを身に着けていくことができる。
自分は特段、優秀な人間というわけでもないが独学とは相性がいいようで、様々なスキルを独習で身につけてきた。特に最近はAIを教師役にできるので、これまで以上に独学でスキルアップをする道が切り開かれている。
ところが、人間関係というスキルだけは実践経験でしか伸ばすことはできない。人間は機械と違って価値観、感情があり、そこを考慮せず相手とコミュニケーションを取ることなど不可能だからだ。
筆者は自分をかなりロジカルなタイプだと自認しているが、仕事をする際はお客さん、取引先の感情を無視することはしない。相手の気持ちを理解し、配慮し、先回りしてコミュニケーションを取るように心がけている。
これらはすべて、これまでの人生対人経験から身につけたスキルである。
年齢に応じた対人スキル
人生の年齢に応じて必要な対人スキルは変わってくる。
たとえば子供時代は親との関係が最重要である。親からの愛情が不足したまま大きくなると、後からその愛情不足はその子の人生に一生作用しかねず、しかも治療は困難を極める。自分自身も亡き父のコンプレックスが未だに残っているほどだ。
その後、思春期になると友達との関係が最重要になる。この段階では子供にとって友達との関係性が人生の全てになり、そこで生じた軋轢や信頼関係などの経験が大きく影響する。
成長して社会人になれば上司や同僚など、年代やバックグラウンドが大きく異なる相手との関係が始まり、人によっては恋愛、結婚、育児とステージを変えていく。
対人関係のスキルは“年相応の期待値”があるので、年を重ねるほど苦しくなる。昔、過去記事で取り上げたことがあるが、40代で司法試験浪人を続けていた中年男性は精神年齢が中高年で止まったままであり、「友達と夜通し騒いで遊びたい」という思春期で抱く願望を持ったまま中年になってしまっている。
だが、40代でそんなことに付き合ってくれる人はいない。年齢相応の人間関係スキルを逃すと、後からそれを取り戻すことができなくなるのだ。
人間関係は王道をいけ
世の中、生き方は1つではないと思っている。自分も中高生で不登校でほぼ学校に行かなかったし、ニート・フリーターを5年もやってすごく遅れて大学生になったりしたし、サラリーマンもやめて脱サラしてしまったので人生序盤から王道の道から外れっぱなしだった。
しかし、そんな自分も「人間関係だけは王道ルートがいい」と思っている。正直、若い時は一人でも何も問題ない。若いというだけで性別に関係なく、チヤホヤされて年上からかわいがってもらえるし、多少間違いを犯しても許してもらえる。
だがその無敵の魔法は30代で解ける。そこからは「その年ならこのくらいできて当たり前でしょ」という周囲から高い期待値を感じ続けることになる。そして人生は仕事を始め、恋愛や近所付き合いなど一人では完結不可能な場面が必ずやってくる。
「王道の人間関係ルート」は若い時は面倒でも、実はトータルで見れば一番“楽”なのだ。
◇
もちろん、「結婚しない」「子どもを持たない」といった選択は尊重されるべきだと思っている。しかし、それと「人間関係そのものを避ける」は別問題だ。
たとえパートナーを持たない選択をしても、友人、仕事仲間、地域のつながりなど、“他者とどう関わるか”の姿勢は一生問われ続ける。その時に好ましいふるまいができなければ、結局苦しむのは自分なのだ。
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